教区の歴史

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韓人教会訪問ミサ説教

2008年03月30日

2008年3月30日

 

「神のいつくしみの主日」と呼ばれる復活節第2主日に皆さんの共同体、韓人教会を訪問し、ごミサを捧げることができますことは、わたくしの大きな喜びであります。 

今日の福音はヨハネの20章で、わたくしの心にもっとも深く刻まれている聖書の箇所の一つです。ユダヤ人を恐れて家の戸に鍵をかけて引きこもっていた弟子たちのところへイエスが現れて「あなたがたに平和があるように」と言われました。そして手とわき腹を弟子たちにお見せになりました。ヨハネ福音書は「弟子たちは、主を見て喜んだ」と伝えています。このときの弟子たちの喜びを想像してみるのがわたしは大変好きです。 

彼らは恐れていた、悲しんでいた、悩んでいた、自分を責めていた...後ろめたい気持ちだった...など考えられます。「あなたがたに平和があるように」と再度イエスが言われ、弟子たちは生き返った気持ちになりました。心配、恐れがいっぺんに吹き飛んだような気持ちになったに違いありません。彼らは自分たちが主を裏切り見捨ててしまった罪をゆるされたことを知ります。

「父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす」とイエスは言われました。このイエスのことばにわたしたち教会の使命が示されています。教会はイエスによって派遣されました。その際、イエスは言われました。「聖霊を受けなさい」。 

教会とは聖霊を受けた神の民であり、同時にイエスによって聖霊と共に派遣された神の民です。弟子たちは罪のゆるしを宣べ伝え、イエスの復活を宣言しました。初代教会の宣教の働きを述べ伝える聖書が『使徒たちの宣教』であります。ここからわかることは、聖霊の働きが豊かであったこと、人々は大きな喜びをもって生活し、祈っていたこと、財産・持ち物を分かち合っていたことなど...です。この弟子たちの日々は当時の人々に大きな証しとなりました。やがて困難なこと、迫害も起こりました。そして命をかけて信仰を証しする殉教者たちが現れました。まさに本日の第2朗読、ペトロの手紙で言われているとおりです。

「今しばらくの間、いろいろな試練に悩まねばならないかもしれませんが、あなたがたの信仰は、その試練によって本物と証明され、火で精錬されながらも朽ちるほかない金よりはるかに尊くて、イエス・キリストが現れるときには、称賛と光栄と誉れとをもたらすのです。」(一ペトロ1.6-7) 

さて、わたしたちの教会には多くの偉大な殉教者がおります。韓国の教会には多くの殉教者の聖人、福者がおられることをわたしたちは知っています。日本の教会も殉教者の教会であり、日本26聖人をはじめとする多くの殉教者を出しました。そして今年11月24日、長崎で「ペトロ岐部と187人の殉教者」が列福されるという恵みをいただくことになりました。 

そこでこの機会に、今回の列福について少しお話したいと思います。

  1. 今回の列福は日本の司教団主導によって実現しました。以前の列聖・列福は日本の教会の運動によって実現したものではありませんでした。
  2. 今回の福者はすべて日本人です。それは日本人信者を励ますためであると思われます。
  3. 188人の中で185人が信徒です。信徒を励ますことを意図していると思われます。
  4. 女性、子ども、障害者も含まれています。
  5. 司祭は代表的な4人、修道士は1人だけ選ばれました。しかし、選ばれなかった多くの殉教者がいるのです。

今回の列福とは、ただ昔の物語を紹介しようということではなく、現代に生きる人々に向かって、温かくそして強い励ましを送ることを目指すものです。韓人教会の皆さんにも是非、この188人の殉教者の生涯を知っていただきたいと思います(日本語の冊子が発行されています)。