教区の歴史

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死者の月 帰天司祭合同追悼ミサ説教

2007年11月26日

2007年11月26日 年間第33主日

 

聖書朗読 ローマ5.17-21
福音朗読 ヨハネ6.37-40

 

今年も死者の月を迎え、本日11月の司祭月例集会の日に、すべての亡くなられた司教、司祭のため、とくにこの一年の間に帰天された司教、司祭の永遠の安息を願って、ご一緒にミサをお捧げいたします。  

ご存じでしょうか。司教館の2階にチャペルがあります。そのチャペルには東京教区ゆかり司教、司祭の遺影の写真(カード)が壁に掲げられています。今朝、数えましたら51人いらっしゃいました。わたくしが大司教に就任してから亡くなられた方は11人、そのなかでわたくしが葬儀を司式した方は9人です。わたしたちもいつかこの写真のなかに加わるのだと思いながら日々お祈りしております。この1年は濱尾文郎枢機卿様はじめ多くの方が帰天されました。教区の司祭だけでなく宣教会・修道会の司祭で主のもとへ召されたすべての方々の永久の安息のためにお祈りいたしましょう。 

死は等しくすべての人に訪れます。わたしたちもやがて地上のいのちを終える日を迎えます。そのときのためによき準備をしなければなりません。よき準備とは永遠のいのちへの信仰を深めること、罪のゆるしへの信仰と希望を深くしていただけるよう祈ること、現在の生活と任務から離脱しなければならない時が来ることを、いつも念頭において日々誠実に、敬虔に過ごすことなどではないでしょうか。 

今日はパウロのことばと主イエスのことばを深く味わいながら信仰を深めたいと思います。パウロはアダムとキリストを比較して述べます。一人の人アダムによってすべての人に罪、その結果である死が人類に入ってきました。しかし、一人の人キリストによってすべての人の罪のゆるし、神の義といのちが与えられます。わたしたちはキリストへの信仰によって義とされ、神のいのちに与る者とされるのです。

主イエスは宣言します。

「わたしをお遣わしになった方の御心とは、わたしに与えてくださった人を一人も失わないで、終わりの日に復活させることである。わたしの父の御心は、子を見て信じる者が皆永遠の命を得ることであり、わたしがその人を終わりの日に復活させることだからである。」(ヨハネ6.39-40)

またパウロは次のように言っています。

「神は、すべての人々が救われて真理を知るようになることを望んでおられます」(一テモテ2・4)。

御子を信じる者は死からいのちへ移され復活のいのちに与る者となります。わたしたちはこの信仰を生き、この信仰を現し伝える使命を受けています。 

今年はカテドラル外装の工事を無事に終えることができました。毎日カテドラルを見ていますが、より優美な姿、色に変わったような気がいたします。皆様の祈りと献金に感謝いたします。この感謝の心をこめて次のように祈りたいと思います。

 

いつくしみ深い父よ

東京カテドラル大改修完成に感謝して祈ります。

あなたはわたしたち教会をこの世に遣わされ、

わたしたちがすべての人の救いのしるしとなるよう望まれました。

どうかわたしたち東京教区に

現代の荒れ野において悩み苦しむ多くの人々の

いやし、慰め、励まし、希望のしるしとなる恵みをお与えください。

東京教区の神の民を通してあなたの恵み、光が

多くの人に現れ伝えられますように。

わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。