教区の歴史

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合同追悼ミサ説教

2007年11月04日

2007年11月4日午後2時 府中墓地にて

 

第1朗読 イザヤの預言25.6-10
第2朗読 2コリント4.16~5.6a
福音朗読 ヨハネによる福音11.19-2

 

今年も11月最初の日曜日、府中墓地で皆さんと合同追悼ミサを捧げ、すべての亡くなられた方々の安息をお祈りいたします。とくにこの墓地で眠りについている土井辰雄枢機卿様をはじめとする司教、司祭、修道者、信徒の方々を偲んで共に祈りをお捧げいたします。またこの1年の間に帰天された司祭の納骨式をいたします。今年お納めする司祭はヨハネ・マリア・ヴィアンネ高井幸一神父様です。2006年11月12日に亡くなられました。わたくしはご遺骨を司教館2階のチャペルに安置し、1年にわたって日々お会いし、お祈りしてきました。神父様の永久の安息のためにお祈りをお願いたします。また今年の10月10日に帰天された前教皇庁大使エンブローズ・デ・パオリ大司教様を偲び、その安息にためにも祈りたいと存じます。大司教様は7年間にわたり日本の教会のために尽くされました。 

今日の第1朗読はイザヤの預言です。イザヤは希望に満ちたことばを伝えます。それは主なる神が開かれる祝宴の話です。主の救いに与った者が招かれる喜びの宴です。主はそのとき「死を永久に滅ぼしてくださる」とイザヤは預言しています。 

第2朗読は使徒パウロのコリントの教会への第2の手紙です。

「わたしたちは、天から与えられる住みかを上に着たいと切に願って、この地上の幕屋にあって苦しみもだえています」とパウロは言います。誰にとっても地上の人生は苦しみであり、仏教が言う四苦八苦の世界であります。しかし、いつか天にある永遠の住みかに迎えられるとわたしたちは信じ希望しています。わたしたちがそう信じ希望できるのは、わたしたちに与えられている神の霊、聖霊によります。聖霊をわたしたちは復活された主イエスから受けています。 

本日の福音はヨハネの11章、ラザロのよみがえりの場面です。このときイエスは言われました。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことはない。」

力強いことばです。イエスを信じる者はすでにまことの命に与っているとイエスは教えています。 

パウロは「内なる人」は日々新たにされていると言っています。内なる人とはすでに始まっている新しい人、日々新たにされるわたしたち一人ひとりのことではないでしょうか。どうか主よ、わたしたちの中に日々新たにされる命が与えられていることをより深く信じることができますよう、聖霊を豊かに注いでくださいと祈りましょう。