教区の歴史

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「世界病者の日」 ミサ説教

2006年02月11日

2006年2月11日、東京カテドラル聖マリア大聖堂にて

 

 

皆さま、東京教区では故ヨハネ・パウロ2世教皇様のご意向にしたがい、今年から毎年、「世界病者の日」のミサをカテドラルで捧げることにいたしました。第14回を迎える今年の「世界病者の日」は、オーストラリアのアデレードで開催される予定で、すでにその日のために教皇ベネディクト16世のメッセージが発表されています。教皇様は今回のメッセージで、精神障害の人々にわたしたちの注意と関心を向けるよう促しておられます。このメッセージによると、実に世界人口の5分の1の人が精神障害に苦しんでいる、とのことです。これは実に大きな数字です。 

教皇様は、心の病に苦しむ人々に向かって、その苦しみをキリストと共に御父に捧げるよう勧めておられます。また彼らを助け世話をし、介護をしている人々、家族に向かって、感謝の意を表明すると共に、教会として援助する意思を表明しておられます。そして最後に、聖母の取次ぎを願う祈りと祝福でメッセージを結んでいます。(どうか、このメッセージをお読みください) 

 ⇒ 中央協議会ホームページ 『2006年「第14回 世界病者の日」教皇メッセージ』

 

皆さまご存じのように、東京教区は「心の問題」への取り組みを優先課題の一つに掲げています。その関わりにおいても、本日のミサはいっそう大切です。わたくしは、皆さまとご一緒に、主が心の問題に苦しむすべての人を癒してくださるよう願い、そのご家族を支え慰めてくださるよう願い、そして日々苦しむ人々を助け癒す仕事に携わっているすべての人々を励まし助けてくださるように願って、このミサを捧げます。 

心の問題に苦しむ人々は、少なくはありません。神はその苦しみをご存じです。

いつくしみ深い主は必ず、その人々に癒しと救いの恵みを注いでくださいます。教皇ベネディクト16世は先日、最初の回勅「神は愛である」を発表されました。病気や心の問題に苦しんでおられる皆さん,この厳しい現実にもかかわらず愛である神がおられるという、わたしたちの信仰をより確かなものといたしましょう。 

神の愛は、御子イエス・キリストの生涯に余すことなく現わされました。キリストは、病む人々を癒し、悪霊に憑かれた人から悪霊を追い出し、神の国が到来していることを示されました。それだけでなく、実にキリストはわたしたちの病をその身に負い、わたしたちのために苦しみを受け、贖いと救いを全うされたのでした。

わたしたちは、このキリストの十字架にあずかることをとおして復活にあずかることができるのです。 

人間になぜ病気や障害があるのでしょうか。人々はこの疑問に苦しみ、たじろぎ、悩みます。病気・障害という問題は、神の創造の神秘に深くかかわっています。神との親しさと一致の失われた原罪状況にある世界に生きなければならない人類は、戦争、紛争、飢餓、貧困など社会的問題と共に、病気、疾病、障害という各自の心身の問題をも背負わなければなりません。そのような状況において、イエス・キリストによって到来した神の国だけが、この問題を解決してくれるのです。まさに、わたしたち教会はこの神の国の到来の証人、そしてキリストの復活の証人であります。 

神は愛であること、神の支配=神の国はすでに来ていることを、日々の生活と行動で示していくことこそが、わたしたちキリストの弟子のなすべき最も大切な務めです。最後の審判のときの基準は愛のみ業です。それは何かと申しますと、マタイ福音書25章で言われている、人の基本的欲求にこたえることです。すなわち飢えている人に食物を与えるなどのことです。もちろん、病気の人を見舞うことは優れた愛の行いに数えられます。また、病気に苦しむ人々とその苦しみを分かち合い、病者を慰め、励まし、労わることは、疑いもなく優れた愛の業であり神の愛の証です。 

先日(2006年1月29日)鹿児島司教に叙階されたパウロ郡山健次郎司教のモットーは、「それでも、喜び・希望・感謝」です。これは、この不条理な悲惨な世界と人類の現実が目の前にあるにもかかわらず、それでも喜びます、希望します、感謝します、という信仰宣言でありましょう。本当に素晴らしい信仰です。不条理な世界の中で、人はいったい何によって生き、何のために生きることができるのでしょうか。人は、自分が誰であるのか、自分の存在はどんな意味を持っているのかを知って初めて、人間らしく生きることができます。自分の存在の意味、価値を信じ、認め、受け入れること、これが誰にとっても非常に大切なことだと思います。

信仰者にとって、自分の価値を信じ、認めるとは、自分を造ってくださった神の愛を信じることです。そして、その神の愛は、神の愛を信じる人から伝えられ証されるのです。神に愛されていることを信じる人々が、互いに信じ、受け入れ、支え合う、そのような仲間が教会であります。 

では、皆さん、ともに祈りましょう。

「主なる神よ、信仰の弱いわたしを助けてください。あなたが聖母の取次ぎによって、かつてカナの婚宴で栄光を現されたように、弱く脆いわたしたちの体と心をとおしてあなたの栄光を現してください。わたしたちをとおして、あなたの平和と慈しみが、大河のように、洪水のように現れ注がれますように。わたしたちが忠実にあなたの愛を証し伝えることができますように。そして、わたしたちが互いに兄弟姉妹のなかにあなたの素晴らしい創造の恵みを認め、謙遜と尊敬をもって仕え合い助け合うことができますよう、導き照らしてください。主キリストによって、アーメン。」