教区の歴史

教区の歴史

東京教区司祭叙階式訓話

2003年03月02日

2003年3月2日、東京カテドラルにて

 

朗読箇所
イザヤ 11:1-10
ヘブライ 5:1-10
ルカ 1:46-55

 

アンセルモ 川口 薫さん
使徒ヨハネ 田村 路加さん

お二人の司祭叙階式に際して、お二人に、そしてこの式に参加くださった皆様に、司教としていくつかお話したいと思います。

 

(信頼)

お二人は長い勉強と研修、準備の期間を経て司祭に叙階されるにふさわしいものと認められました。これはわたしたち教会共同体にとって非常に喜ばしいことです。

とはいえ、人間であるお二人が聖なる司祭の任務を引き受けるということは、不安なしにできることではありません。いま受階者の胸中を多少の不安がよぎっているとしても不思議ではないのです。わたしたちがこの聖なる任務を引き受けるのは実に神の助けを信頼するからです。天使のお告げを受けた聖母は次のように答えました。「わたしは主のはしためです。おことばどおり、この身に成りますように」。

「主への信頼が」最も求められています。とくにお二人には今日、聖母に倣い主への信頼を新たにしてくださるようお願いします。

 

(謙遜)

司祭も人間である以上、人間としての弱さが伴います。自分の弱さとどのように付き合っていくのかということは各司祭の生涯の課題です。まず自分の弱さと問題を率直に認めることが大切です。それが謙遜ということではないでしょうか。わたしたちは「土の器」のなかに司祭職という尊い任務を受けます。この土の器を壊さないよう、ひびが入ったらすぐ修復するよう心がけましょう。

聖母の賛歌(マグニフィカート)の謙遜な祈りはわたしたち司祭の日々の祈りです。この祈りを唱えるたびに、聖母の取次ぎによって、謙遜の徳を願い求めましょう。

 

(司祭と司祭、司祭と司教)

司祭として心がけるべきことはたくさんあります。まず司祭同士が助け合うということが大切です。とくに今日一緒に叙階されるお二人は生涯の友としてこれからもよく助け合い支え合ってください。互いに相手を自分より優れたものと認め、互いに補い合い励まし合うようにしてください。

司教との関係も大切です。司教は司祭の心身の健康に心を配り、司祭としてよく働けるよう配慮しています。司教と司祭の間のコミュニケーションが不足することもありえますが、互いに注意し合い、よく理解し合うよう心がけましょう。司教は慈父としての愛をもって司祭のために働くものであることを互いに忘れないようにしたいと思います。

 

(これからの教区)

ご存知のように4月20日(復活祭)から宣教協力体が発足します。それと平行して教区の優先課題への取り組みが行われます。教区の優先課題として「外国人司牧」「心のケア」「信徒の信仰生涯養成」の3つの課題が掲げられています。新司祭となるお二人には、何らかの形でこの優先課題の取り組みに力を貸していただきたいと考えています。

皆様も、教区のこのような刷新・改革の努力をよく理解し協力してくださるよう切にお願いします。

 

(聖霊の賜物)

聖霊の助けがなければわたしたちは何もできません。

キリストは、肉において生きておられたとき、激しい叫び声をあげ、涙を流しながら、ご自分を死から救う力のある方に、祈りと願いをささげ、その恐れ敬う態度のゆえに聞き入れられました。(ヘブライ 5:7)

わたしたちもキリストに倣い、自分の弱さと受けるべき務めの重さを思いつつ、信頼をこめて全能の父なる神に聖霊の助けを祈りましょう。

 

「どうか主よ、わたしたちに、あなたの霊を豊かにお与えください。聖霊の賜物を日々豊かに注ぎ、知恵と識別の霊、思慮と勇気の霊、主を知り、恐れ敬う霊でわたしたちを満たし、司祭の務めをよく果たすことができるよう、導き助けてください」(イザヤ 11:2-3)。アーメン。