教区の歴史

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大森教会訪問に際してのミサ (大森教会)

2003年01月05日

2003年1月5日 大森教会

 

大森教会の皆様、新年明けましておめでとうございます。

今日はご公現の祭日です。大森教会は「主のご公現」教会であります。昨年創立80周年を迎えられました。内山神父様のお言葉によれば「2003年は正に末広がりの新しい一歩を踏み出す年」であります。

重ね重ねおめでとうございます。

ご公現とは救い主イエスの誕生が遠く、東方の異邦人の博士たち(占星術の学者たち)に示され、彼らがはるばる幼子イエスをベツレヘムに訪ね、黄金、乳香、没薬をささげた、という出来事を指しています。今日はこのことを記念する日であります。

ところで、この東方の博士たちというのですが、この「東方」のなかにはもっとも東方である極東の日本という国も含まれているのでしょうか。日本にもご公現が実現したのでしょうか。

1549年、今から453年前、聖フランシスコ・ザベリオによって始めて日本に福音が伝えられました。4世紀半前のことです。

ですから日本にはすでにご公現が訪れたと言えます。

しかし日本では依然としてキリスト教は少数派にすぎません。キリスト者は全人口の1パーセントと言われています。カトリック人口は40万から50万、外国人を含めれば100万人くらい、0.3パーセントを占めるにすぎません。わたしたちキリスト者はほんの一握りの少数者に過ぎないのです。こういう意味ではご公現は「まだまだである」と言えます。そこでむしろ今日本では、変な言い方ですが、「ご公現中」だと言えましょう。

それではわたしたちはどうしたらよいのでしょうか。

わたしたち一人ひとりがキリストの光を受け、キリストの光を輝かせるものとならなければならないと思います。

仏教に「一隅を照らす」という言葉があることを思い出します。わたしたちの置かれている所は社会の片隅かもしれません。しかしそこで、自分の生活と仕事を通してこの社会にキリストの光を掲げることができると思います。いやあえていえば、すでにわたしたちはキリストの光となっています。そのことに気づくことが大切だと思います。イエスは「地の塩、世の光」ということをいわれました。あなたがたは「世の光」でなければならないという意味でいわれたと思いますが、同時に「あなたがたはすでに世の光となっている」という意味で言われたとも思うのです。そこで、わたしたちはすでにキリストの光とされているのだ、ということに気がつくということが大切だと思うのです。気つかなければ光を掲げることもできないのです。

イザヤ60章で次のように言われています。「主があなたのとこしえの光となり、あなたの神があなたの輝きとなる」。この言葉に信頼して歩んでまいりましょう。キリストこそわたしたちの光です。

 

もう一つお伝えしたいことがあります。

それは2003年を迎えたこの世界の状況についてです。新しい年を迎えたいま、世界から戦争の脅威と危機が去りません。

戦争ほど非人間的なこと、神の御心にそむくことはないのです。戦争とは神の似姿であり兄弟である人間が互いに殺し合うことです。こんなことはあってはならないことです。戦争は人間の尊厳をそこなう、もっともいけないことです。

本来この世界は神の造られたものであり基本的に善いものです。神はご自分の造られた世界を「よし」とみたもうたのです。また神は人を神に近いもの、神に似たものとして造られました。これを見て神は「はなはだよい」と言われたのです。

それにもかかわらず、いわゆる原罪のためにこの世界には悪がはびこっています。それでも基本的にこの世界は善であり人間は神の創造の作品、神の似姿です。人間には誰も侵してはならない尊厳が与えられています。

わたしたち人間は、信者であってもなくとも、お互い神の似姿、イエスの十字架によってあがなわれたものとして、互いにそのすばらしさを認め合い助け合うことができるはずです。

他の国民を真に兄弟として受け入れ合い大切にするならば戦争はありえないと思うのです。

新しい年の初めにあたり、2003年が平和の年、戦争への誘惑に打ち勝つ年としてくださるよう、いつくしみ深い神に祈りましょう。

そのためになにができるか、真剣に考え話し合っていただきたい、そして平和のために働くという何らかの行動を起こしていただきたい、とお願いします。