教区の歴史

教区の歴史

平和祈願ミサ(広島カテドラル幟町教会)

2001年08月05日

2001年8月5日、広島カテドラル幟町教会

 

「戦争は人間のしわざです」ということばで始まる教皇ヨハネ・パウロ2世の広島での「平和アピール」は20年をへた今日、いっそう力強くわたしたちの心に迫ってきます。

20年前と比べて平和への環境が好転しているといえるでしょうか。決して楽観は許されない世界情勢であると思われます。

「平和を実現する人々は幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる」(マタイ5・9)、と主キリストはいわれます。復活されたキリストが弟子たちにお現れになったとき、「あなたがたに平和があるように」(ヨハネ20・19)といわれて弟子たちに聖霊をお与えになりました。

実に、わたしたちキリスト者の使命は、聖霊の働きに従いながらキリストの平和を人々にもたらし伝えていくことであります。

キリストの平和はまずわたしたち人類の心の中に打ち立てられなければなりません。そしてそれはこの地上に父なる神の支配が及ぶように、「地上の平和」として樹立されるべきであります。

教皇は「平和アピール」のなかで繰り返し「過去を振り返ることは将来に対する責任を担うことです」といわれます。

人類の歴史は進歩と発展の歴史ですが、同時に戦争と破壊の歴史でもあります。

とくに去る20世紀は2つの世界大戦が行われた、悲惨な大量殺戮の世紀でありました。教皇は大聖年を迎えるにあたって「紀元2千年の到来」を発表され、そのなかで次のようにいわれました。

「現代の教会という観点からは、わたしたちはどうしても識別の欠如を嘆かずにいられましょうか。それは時々、黙認に陥り、多くのキリスト者は、全体主義政権による基本的人権の侵害を見過ごしてしまいました。また、現代の影のなかでも、不正や差別がはびこる深刻な事態に対して、多くのキリスト者に共同責任があることを嘆かずにはいられません」(36番)。

教皇は、20世紀の歴史のなかに置かれた教会が全体主義政権の人権侵害の動きを識別できなかったことを嘆いておられます。

おなじような反省が日本のカトリック教会でも行われなければなりません。

1995年、第2次世界大戦終結の50年目に際して日本カトリック司教協議会は「平和への決意」を発表し、そのなかで次のように述べています。

「今のわたしたちは、当時の民族主義の流れのなかで日本が国をあげてアジア・太平洋地域に兵を進めて行こうとするとき、日本のカトリック教会が、そこに隠されていた非人間的、非福音的な流れに気がつかず、尊いいのちを守るために神のみ心にそって果たさなければならない預言者的な役割についての適切な認識に欠けていたことも、認めなければなりません」。

戦前・戦中、日本のカトリック教会は外国の宗教として冷たい目でみられ、打撃と迫害を受け、軍部から戦争に協力するよう強く圧力をかけられました。当時の教会指導者の苦衷は察するにあまりあります。それを考慮に入れなければなりませんが、今日からみれば、あえてつぎのように反省しなければなりません。「教会は、預言者としての役割を果たすという点において不充分でありました」。

教皇は、大聖年をむかえるにあたって、まず教会の過去を反省するように呼びかけられました。この教皇の呼びかけに応えて、わたしたち日本の司教は「第2次世界大戦とそれに向かう流れについての正しい認識と検証を」行う決意を表明し、て次のように述べました。

「教皇のこの呼びかけにこたえて、わたしたちも、この戦後50年を節目として、人間として、信仰者として、戦争へ向かった過去の歴史についての検証を真剣に行い、真実の認識を深め、悔い改めによる清めの恵みを願いながら、新たな決意のもとに世界平和の実現に挑戦したいと思います」。

この司教団の勧めをうけて日本カトリック正義と平和協議会は「新しい出発のために」というメッセージを発表しました。それは、「天皇制国家主義のもとでの教会の戦争責任」という問題の核心に迫って歴史的検証と反省を行おうとしたものです。

21世紀をむかえ、事態はますます深刻になっています。教会のますますの働きが期待されます。

「平和への決意」のなかで司教団は「平和な世界の実現のために」6項目の課題を提示しました。これらはすべて大切な課題です。6年をへて、いまそれらがどのように実行されているか、真摯に点検と振り返りを行うべきです。

わたくしは今回とくに第7の項目に注目したいと思います。

(7)家庭、教会、学校における、青少年を対象とした平和教育を促進する。

平和教育の重要な要素に、歴史教育があります。とくにアジアの近現代史の学習が重要です。

「平和を実現する人は幸い」。このキリストのことばはとくに次の時代を担う若い人々へ向けられています。若い人々が平和のために働けるよう、かれらを助け励ますことは教会の非常に重要な使命です。

まず大切なのは、真実を見つめることです。アジアの人々の叫びと訴えに耳を傾けることです。できうる限る、偏見や主観を捨てて、謙虚に真実を見つめ、真摯な反省と回心を行いましょう。生命の尊厳への畏敬、アジア諸国の人々との連帯と共感に基づいて、同じ人間として、同じキリスト者として、誠実に平和を探求するよう努めましょう。

「若い皆さん、アジアの若者といっしょに、アジアの近・現代の歴史を学ぶ機会をもちましょう」。

今日は、教皇訪日20周年記念を行うにあたり、そのことを若い人々に呼びかけたいと思います。