教区の歴史

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International Day 2013 東京教区インターナショナルデーの説教

2013年09月22日

2013年9月22日 東京カテドラルにて

先日、こういう話を聞きました。

ある知的ハンディキャップの人たちの施設で、軽い障がいを持った人たちに、お金の価値を教えようとしました。社会的自立のために必要だからです。ある若者に、10円玉と50円玉の価値の違いを教えようとしました。でもいくら教えても彼は10円玉のほうが50円玉より大切だと言うのです。大きさのせいでしょうか? 彼に「なぜ?」と聞いたら、そうではありませんでした。「50円玉では電話がかけられない。でも10円玉だと電話でお父さんの声を聞くことができる。だから10円玉のほうがいい」というのです。(分かりますか? 携帯電話やプリペイドカードが普及する前は、みんなコインで公衆電話を使っていましたね。その時代の話です) 彼の考えは間違っているでしょうか? 間違っているのはわたしたちの考えではないではないでしょうか?

わたしたちはお金がたくさんあればいいと考えます。日本だけでなく、世界中の人がそうかもしれません。少しでも多くのお金を手に入れるために、みんな一生懸命です。お金があれば、あれもできる、これもできると考えるからですね。あれも買えるし、これも買える。そしてお金はいくらあっても足りない。お金を手に入れること自体が目標になって、そのことばかりを考えるようになる。これがお金が神になった状態です。これを聖書では「マンモン(mammon)」と言います。

イエスは今日の福音で「神とマンモンとに仕えることはできない」とおっしゃいます。一番大切なことはなんですか、とイエスは問いかけるのです。お金がいらないとは言いません。でもそれは何のためですか、お金が一番大切ですか、それよりも大切なのは何ですか、イエスは強烈に問いかけています。

9節には「不正のマンモンで友達を作りなさい。そうしておけば金がなくなったとき、あなたがたは永遠の住まいに迎え入れてもらえる」という言葉があります。「友達を作る」とはどういうことでしょうか? 貧しい人を助けて貧しい人を友達にしなさい、そうすればあなたがたは神のもとで永遠の救いにあずかることができる。そういう意味でしょう。それだけでなく、そうすることをとおして「神さまを友達にする」という意味もあるかもしれません。

お金は人とのつながりを作るためなんですね。ちょうど、あの障がい者の青年のように。彼にとってお金とは、お父さんと電話で話すためのものでした。わたしたちにとっても、お金は、人とのつながりを作るためのもの、そして神とのつながりを深めるためのものだ。そのことを忘れないように、見失わないようにしましょう。

今年のインターナショナルデーのテーマは、「Migrations: pilgrimage of faith and
hope」です。これは昨年の秋にベネディクト16世教皇が2013年の「世界難民移住者の日」のために決めていたテーマです。日本語では「移住:信仰と希望の旅」と訳されていますが、「pilgrimage(巡礼)」なんですね。

移住者の多くは経済的な理由で、国を超えた移動を余儀なくされた人かもしれない。政治的な圧迫やその他の厳しい理由があるかもしれない。多くの移住者の置かれている状況は厳しいものがあります。その多くの移住者を支えているものは信仰です。神が、このわたしたちを決して見捨てないという信仰。愛である神は、どんな困難の中にあってもわたしたちとともにいてくださる、という信仰が難民や移住者を支えています。わたしはいろいろな難民や移住者の方に出会って、その人々の中に本当に強く、深い神への信頼を見つけることができました。「神さまがいるから大丈夫」何度、そう聞かされたことでしょうか。

そして「希望」。さまざまな理由で国境を越えて移動する人々にとって、希望はとても大切です。必ずよいものが与えられる、今は苦しくても、いつか神がよいものを与えてくださる、その希望が移住者を支えています。この希望ということも、多くの移住者から学ぶ機会がたくさんありました。

そして、わたしたちが信仰と希望をもって歩むとき、そこに本当の意味で神との出会いがある、ベネディクト16世教皇がMigrationをPilgrimageだというのはそういう意味です。

アブラハムは移住者でした。モーセも移住者でした。ヨセフとマリアも移住者でした。その中で信仰と希望を持って生き、神との出会いを経験しました。

ヘブライ人への手紙の11章1節にこういう言葉があります。

「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。」

目に見えるものの典型はお金でしょう。目の前の、目に見えるものではなく、目に見えないもっと大切なものに心を向けて歩む。信仰をもって、希望をもって、神に向かって歩んで行く。わたしたちの教会はそういう旅をしている神の民です。

この旅の中でわたしたち(外国から来た人も日本人も)はたまたま東京や千葉という町に滞在しています。そして今日ここでさまざまな国や地域から来た人々が出会って一緒に神を賛美しています。このわたしたちが信仰と希望と愛のうちに一つになって歩むことができますように、聖霊がわたしたちを強め、相互の理解とすべての人々の平和のために働く力を与えてくださいますように、心を合わせて祈りましょう。アーメン。