教区の歴史

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2006クリスマス ボクが一緒にいるよ~主の降誕(ルカ 2・1-14)

2006年12月24日

・・・「カトリック新聞」2006年12月24日付(3889号)掲載

2000年前、ローマ帝国の命令によって、ヨセフは身重の妻マリアを連れた苦しい旅を強いられました。旅先で、まともな部屋がなく、家畜小屋のようなところで生まれた幼子は飼い葉桶に寝かされました。この夜、天使から救い主の誕生を知らされたのは近くで野宿をしていた羊飼いたちでした。当時の羊飼いは牧場で羊を飼っていたのではなく、羊の群れを追って旅をする人々でした。貧しく粗野な人々で、町の人からは流れ者、ならず者としてさげすまれていました。

「布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子」これが羊飼いたちに告げられた救い主のしるしでした。当時のベツレヘムには何人もの赤ちゃんがいたことでしょう。でも牛やロバのえさを入れる飼い葉桶に寝ているような赤ちゃんは滅多にいません。だからしるしになるのです。もしも救い主のしるしが「絹の産着を着て、金のベッドに寝ている乳飲み子」だったとしたら、羊飼いたちは会わせてもらえなかったでしょう。でも大丈夫。飼い葉桶に寝ている幼子だからこそ、羊飼いたちは近づくことができたのです。

きょうの話に続く箇所(15節以下)で、羊飼いたちはこの幼子を探し当てました。この幼子は何もしてくれません。救い主だからといって病気を治してくれるわけでもなく、立派な説教をしてくれるわけでもありません。羊飼いたちのつらく貧しい現実を何一つ変えてはくれません。それでも、彼らは「神をあがめ、賛美しながら帰っていった」(20節)のです。

羊飼いたちの喜びはどういう喜びだったのでしょうか。それは救い主がこんなに近くに、自分たちと同じように貧しく、無力な姿で来てくださったという喜びだったのではないでしょうか。自分たちは神から見放されているのではない、神はこんなに小さく貧しいかたちで、こんなに近くに来てくださった。そういう喜びです。

わたしたちにもその喜びが感じられるでしょうか。幼子イエスは今も飼い葉桶の中からわたしたちに語りかけています。

「ボクが一緒にいるよ。いじめや暴力を受けている人、生きているのがつらい人、自分はもうダメだと思っている人でも、ボクが一緒にいるよ。どんなに闇が深くても、どんなに苦しみが大きくても、ボクは神様が君と一緒にいるということのしるしとしてこの世に来たんだ。十字架の上でもう一度身動きのできなくなるまで、ボクはずっと君と一緒に歩き続けるよ。だからあきらめないで、だから死なないで。だから一緒に生きようよ。ボクが一緒にいるんだから」