2002年10月27日東京教区集会 記録

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東京教区集会の記録
日 時:2002年10月27日(日) 午後2時~4時30分
会 場:東京カテドラル聖マリア大聖堂
参加者:岡田武夫大司教、司祭団、小教区信徒代表、修道会・委員会代表。計424名
司 会:大倉一美師、伊藤幸史師 

  司祭(男・修) 女子修道会 信 徒
中 央 5 0 27 32
城 東 6 0 34 40
城 西 3 0 23 26
城 南 8 0 33 41
城 北 6 0 36 42
武蔵野 7 0 30 37
多 摩 5 0 29 34
総 武 3 0 33 36
千 葉 5 0 41 46
その他 14 64 12 90
62 64 298 424

 

1.開会

聖歌「ガリラヤの風かおる丘で」

聖書朗読(使徒言行録11章19~26節)

 

祈り
『父である神よ、あなたがお遣わしになったイエスは、「わたしの名によって集まる人々の中にわたしはいる」と約束されました。私たち、東京教区のあなたの民の上に聖霊の光を注ぎ、この集まりを守り、導いてください。聖霊の助けに支えられ、協力と回心を通してあなたから託された使命を、果たしていくことができますように。

聖霊の交わりの中で、あなたと共に生き、支配しておられる御子、わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン』

 

大倉:この教区集会はここで質疑応答をいたしますが、この場で何かを決めて即来年度から実行に移すというような決定機関ではありません。みなさまから出された問題、課題が各地域協力体からまとめて出されますが、それを東京教区でひとつになって課題として共有しあうということです。岡田大司教にそのことをよく聞いていただいてしかるべき時期に、ひとつの決定が下されるのではないかと思います。ですからここで決めるというわけではありません。

司会者のことですが、東京教区には今、宣教司牧評議会というものがありません。本来ならば信徒のみなさまで司会もしていただきたいのですがそれがないためにやむを得ず司祭評議会の中から司会者を選出することになりました。

次に質疑に応える方々は、長年にわたってプロジェクトチームで何回も何回もみなさまの質疑を受け取り、整理し、それをまとめた方たちのうちから4人に来ていただきました。幸田神父、小宇佐神父、チェレスティーノ神父、立花神父です。

質問したいけれどできない方のためにはアンケートが準備されています。アンケートは集計し、ホームページあるいは小冊子、あるいは教区ニュースで必ず発表することにいたします。今日の質問・討議の内容についても同じです。

開会にあたって大司教様からご挨拶をいただきたいと思います。

 

 

 

2.大司教あいさつ

大司教:皆さま、せっかくの青空の日曜日わざわざカテドラルにお集まり下さいまして本当にありがとうございます。

「みこころが行われますように」とわたしたちは日々祈っております。

「主よ、どうかあなたのみこころをわたしたちに示してください。わたしたちに聖霊を豊かに注いでください。わたしたちが聖霊に照らされて心からの回心を行い、互いに力を合わせてあなたのみこころを行うことができますよう、どうぞわたしたちを助け導いてください。」

これは、わたしたち一人一人の心からの祈りであります。

今日わたしたちはさまざまな思いをもって、しかし同じ思い、つまり主のみこころを知り行いたいという思いを持ってここに集まっております。わたしたちが今ここに集まったのは、共に主のみこころを求めるためであります。わたしたち東京教区はこれからどうしたらよいか、一緒に捜し求め、祈り求めるためです。わたしたちは互いの意見や提案に耳を傾け合いながら、キリストにおける兄弟姉妹、同じ教会として、主が何をわたしたちに望んでおられるのか、一緒に探求し識別する、そういう集会であるとわたしたちは考えます。

互いの思いを分かち合いながら、よりふさわしい歩みを見出そうとする祈りの教会の集会であると、わたくしは考えています。

2001年6月25日、わたくしが発表した『新しい一歩』という呼びかけを受けて本年6月29日、再編成プロジェクトチームから『福音的使命を生きる』と題された「新しい一歩のための提案」が発表されております。

この提案についてただいま皆さまの意見を伺っています。十分な時間がなかったのでないかと心配しましたが、皆様は寛大に、そして熱心に多数の意見をチームに提出してくださいました。9つの地域共同体からだけでなく、小教区、個人からも寄せられています。私自身もすでに皆様の意見を拝見しました。プロジェクトチームは短期間のうちに皆様の意見を収集整理し、すでに回答を用意しております。それはすでに各教会に送られていますし、本日の集会の資料として皆さまのお手元に配布されております。

本日はこの回答を前提として、良い豊かな分かち合いができると期待しております。

何かとご多用のなか各教会から多くの方々がご参集くださいまして誠にありがとうございます。心から御礼申し上げます。また多数のシスター方、小教区を直接担当していない男子修道会の代表の方々もお越しくださり、ともに明日の福音宣教のあり方を求めて分かち合うこの集会に参加してくださることを大変うれしく存じます。

重ねて聖霊の賜物と導きをこの集会の上に祈りながら、わたくしの感謝と御礼とお願いの言葉とさせていただきます。

 

 

3.質疑応答

伊藤:各地域協力体の代表者の方々からの質疑また応答へと移ります。

 

【千葉地域協力体】

千葉:千葉地域協力体の立川です。茂原教会の信徒です。わたしたちの質問は次のようなことです。個別の問題はいろいろ重要な問題がたくさんございますが、本日の集会の意味を考えて個別の問題はとりあげずに、各小教区に共通する問題として次の質問をさせていただきます。

2003年4月から千葉県では3つの宣教協力体(各宣教協力体は4つの聖堂共同体からなります)の発足とその準備が始まります。宣教協力体そのものには話し合う場がそれぞれ提供されているが、3つの宣教協力体の間に、相互に情報交換をする場が設けられていないように、今までに与えられている情報では理解される。そこで12の聖堂共同体からなる3つの宣教協力体の上に”連絡協議会”(仮称)を設けたらどうかと思う。その目的は、宣教協力体(協議会)の進捗状況を相互に把握する。それから各宣教協力体に共通する問題点の情報交換。そしてお互いの孤立感をなくし、改革をスピードアップさせるため。この3つの目的から連絡協議会のようなものが設けられないだろうかというのが私たちの質問です。

これだけ単純に見ますと、本来宣教協力体というのはこれまで効率的に動いてこなかった部分をより効率的に働かせるために、小規模にコンパクトにして効率をあげるためにつくったのに、さらにその上に連絡協議会をつくるとなると、屋上屋を架するというか、元の木阿弥になってしまうのではないかとお考えになるかもしれないが、わたしたちはそういうことではなく、今あげた3つの目的からそういうものができたら良いのではないかと考えています。これは現在ある地域協力体を存続させるか廃止するかというものとは別の問題としてお考えいただきたいということです。

 

立花:大変前向きなご意見ご提案をいただきましてありがとうございます。千葉地区では新しく3つの宣教協力体ができる予定になっていますが、これは現在の地域協力体においてできあがっている「付き合い」や「つながり」を否定するものでは決してありません。千葉地区では全ての小教区が参加しての大会が毎年続けて行われてきましたし、外国人の司牧ということにも協力して取り組んできました。そうやって積み重ねてきたものが新しい協力体になったことですべて失われてしまうのは残念なことです。わたしも成田に4年おりまして、信徒の大会に出席しましたけれど、その中でいろんな方に出会いましたし、助けていただきました。新しい宣教協力体になって、まずそこでそれぞれが取り組んでいくべきものを模索していく中で、情報を交換したり、助け合ったりということは十分に可能ではないかと考えます。今回はより協力しやすいようにということで小さいグループになります。新しい宣教協力体として何ができるのかということを第一にして、そして宣教協力体がある程度形になってきたときに、連絡協議会が必要となるでしょうし、生きてくるのだと思います。また毎年というわけにはいかなくなるでしょうけれども、千葉地区の大会も開催できるでしょうし、そこでお互いのことをわかち合ったり、励まし合ったりして、協力していけるようになることを期待しています。

 

【総武地域協力体】

総武:潮見教会の横山です。53歳、男性。妻1人、娘2人です。生まれは千葉県の市川教会。現在は潮見教会です。

私共は、協力体から出した質問の積み残しと思われるものを3つ選び出しまして質問させていただきます。質問にあたって3名の人物像を想定させていただきます。

1人目はフランシスコ鈴木さんです。

「わたしたちは『新しい一歩』及び『福音的使命に生きる』が掲げるように、「わたしたちの教会が今を生きる人々にとって救いと希望のしるしになる」ことができれば良いと思います。私達は、現在すでに、心や体に障害をもつ人々と関わり、困難な立場にある外国人の相談にのり、またホームレスと呼ばれる方々の生活を支援しています。ある者は信者同士のグループを作り、ある者は教会の外の組織に参加して活動しています。

そこで質問です。教区が優先課題として、これらの活動に取り組むとき、私たちの現在の活動と、どのように関わりをもってくださるのでしょうか。私達は必ずしも大きな団体で活動したいとは思っていません。でも、同じような活動をしている仲間と連絡を取り合う機会ができることは、良いことだと思っています。私達は、現在の活動に「カトリック教会」の看板が必要であるとは必ずしも思っていません。しかし、活動の意欲が信仰に支えられていることも自覚しています。」

フランシスコ鈴木さんの質問は、教区が優先課題としてこれらの活動に取り組むときに、現在の活動とどのように関わりをもってくださるのだろうかという質問です。

2番目、今度はペトロ田中さんからの質問です。

「私達は、現在自分の住む地域にある小教区の教会に行かず、別な教会に行っています。直接の動機は、主任司祭と合わなかったからです。今の教会でも、毎週ミサに行っているわけではありませんが、ミサ後、静かに十字架に向き合う時間は、私の生活の中では大切なひとときです。再編成の掛け声は、わたしの信仰生活にとって、雑音のように響きます。

そこで質問です。司祭の協力体制は、本当に大丈夫なのでしょうか?わたしたちが嫌っていたあの司祭が、新しい組織で他の司祭と協力的に活動できるとは思えません。「論議を尽くす」ことによってだけではなく、「熱意と意欲」に支えられなければ、プロジェクトは進展しないと思います。また、「権威あるものに従う誠実さ」だけでは、熱意と意欲は生まれてこないと考えています。

いろいろな事情で、司祭中心に進んできたプロジェクトが司祭の協力を得られないことによって先に進まないという、皮肉な結果になるのではないでしょうか?」

ペトロ田中さんの質問は、司祭間の協力体制は本当に大丈夫なのでしょうかということです。

3つ目です。これはベルナデッタ佐藤さんからです。

「私達は『新しい一歩』及び『福音的使命を生きる』に提起されている問題に、あまり多くの関心を持ってはいませんでした。私たちの中には「全国福音宣教推進会議」という長い名前の会議が「ナイス」と呼ばれて開催された事を知りません。したがって岡田大司教及びプロジェクトチームが提案されている内容は、現状分析も含めて「そうなのか、そうだったのか」という程度の感想しか述べることができません。しかし、教区の講演会、または小教区での交わりにおいて、岡田大司教の再編成に対する熱意と理解を求める誠実な努力に応えて「私たちの司教 ペトロ 岡田武夫」に協力したいと思っています。

そこで質問です。私達は、これから提示された「宣教協力体」での活動開始に向けて、準備を始めます。各聖堂共同体での活動の共通点を考え、また財務、典礼などにおける違いを知ることによっていろいろな問題点を克服する努力が必要であると思います。

始めてみて現在提示されている組み合わせに問題がある、という意見が浮かび上がったとき、「見直し」は、どのような時期に行われるのでしょうか。例えば「3年間で見直しがある」というのと「少なくとも10年間は、現在の組み合わせで努力する」というのでは、熱意と意欲を継続させる方法に違いがあると思います。「次の一歩」を踏み出すタイミングを知っていることは、現在の歩みを確実に進めていくために必要であると考えています。」

ベルナデッタ佐藤さんの質問は、これから始めてみて現在提示されている組み合わせに何か問題があったときに、見直しはどのような時期に行うのでしょうかということです。

 

小宇佐:非常に心が痛むような答えづらい質問もありますが、まず、第一の質問ですけれど、今総武地区で行っている様々な活動と教区のプロジェクト、福音的使命を具体的に実現していくための働きがどのようにすりあっていくのか、影響しあっていくのかということだと思います。まず教区が優先的な課題として選んでいるものは、それぞれの今で言う小教区では力が及ばないような、その力を超えてしまうような問題を含んでいる、しかしどうしても解決の必要があるような問題を取り上げています。ひとつの小教区の中で様々な福音的な活動が行われていますが、そこで手に余る、なんとか援助してほしい、もっと力がほしい、そういったものを優先的に選んだつもりでいます。ですから基本的には各地で行われているそういった活動を支援する、あるいはその支援のための情報センターを行う、あるいはさまざまな専門家へのルートを開発する、そういったことが初めに来るかと思います。それぞれの情報センター的な役割を果たしながら、それぞれの場でもっと有効に働いていくことができる人たちを養成していく。専門家を紹介したり、養成機関を紹介したり、場合によっては養成機関を運営することもあろうかと思います。そういった小さな活動への支援ということ、そこにひとつの大きな目的、意味をおいています。

2番目の質問ですが、教区司祭の間で協力は得られるのかどうかということ。様々な問題がこの中には含まれていると思いますが、大きな枠の中で言いますと、今小教区の主任司祭はいうなればコンビニエンスストア、いろんなものを売っている、なんでもここで間に合わせますよ、というようないろんな働きが求められている。中には「この分野だったら」という専門店の得意な人もいるのではないかと思う。例えば身近な信者さんとのお付き合いが苦手でも、もっと別なところではもっと有効に働ける、そういった人たちもたくさんいらっしゃると思います。そういった人たちと自分の専門分野でどのような地位を確保しながらチームとして働いていけるのか、そういうことを考えていくことができるのではないか。そしてそのような枠組みの中で、有効に協力し合うことができるのならばこの協力関係はもっと生き生きしたものに変えられるのではないかという大きな期待をどこかに担いながら、協力ということを進めていけたらと思います。

3番目の問題、何年後に見直すのかということについて。これは具体的なことは決まっていません。協力関係が進んでいく中で、様々なキャッチボールが行われていく中で、それぞれの状況の進展、新しい発見、問題点などを見据えながら、総括していく時期をこれから探っていく必要があるのではないかと思う。この活動を総括し評価するということは必ず必要で、それはそう遠くなく、10年後ということはありません。その都度その都度、状況を把握しながら進展していくということが大切なことなのではないかと思う。組み合わせの見直しをいつするのかということについては、問題の質などにもよりますので、時期はまだまだ断定できないと思いますが、そのときを見失わないように細心の注意を払いながら、そのときを判断していくことが大切なのではないかと思います。

 

【城東地域協力体】

城東:本日の教区集会で城東地域協力体の意見をとりまとめることになりました、赤羽教会です。但し、質問ではありませんのでお答えしていただく必要はありません。発言に先立ちまして、まずこのような機会を与えてくださいましたことを感謝します。但し、これだけ大きな問題についての意見をわずか5分でとりまとめよというご意向の真の意図が必ずしも私たちには明瞭ではありませんでした。これは残念でならないことであります。

城東地域協力体は『福音的使命に生きる』に基づき、この教区集会に向けて話し合いを進めてきました。わたしたちは常に真剣にこの話し合いに取り組んできました。そこでの1つの結論として、わたしたちがたどり着いたことは「大司教様がなさりたいとおっしゃっておられるのだから、また、よい方向に向かわせたいというお考えなのだろうから、その善意のみに信頼して、できることならば協力をしなければならないのではないか」ということでした。これは決して城東地域協力体の全ての教会が同じ考えや意見を有していたからではなく、理解できないところから理解することを求めたときにわたしたちが得たもっとも消極的な意見の選択でした。見えないものを見えますといわなくては今どきの信者ではないと脅かされる裸の王様のように、最後にはわたしたちが何も身にまとわない姿にならないように願うしかありません。まるで何ひとつ足元に確信をもてずに谷を渡れといわれている綱渡りの道化師のようであります。この先に何があるのかまったく分からないのに、新しく一歩を踏み込んで「これからの福音宣教に生きよ」といわれても勇気をふりしぼることはできません。東京教区が本当に司牧の意味を知り、神の国の信者ひとりひとりの名を呼び、転んでいる人を自らの手で抱き起こしつつ、神への賛美の声を高らかに、一人も欠くことのないように生き抜くことを望むように願うばかりです。そしてこれまでの反省と未来への応援歌として次のエゼキエルの預言を東京教区へと捧げます。願わくは旧約の預言者エゼキエルの嘆きと警告とが将来の東京教区にあてはまることなきよう心から願うものです。

エゼキエルの預言(34・2-8)

主なる神はこう言われる。災いだ、自分自身を養うイスラエルの牧者たちは。牧者は群れを養うべきではないか。お前たちは弱いものを強めず、病めるものをいやさず、傷ついたものを包んでやらなかった。また、追われたものを連れ戻さず、失われたものを探し求めず、かえって力ずくで、苛酷に群れを支配した。彼らは飼う者がいないので散らされ、あらゆる野の獣の餌食となり、ちりぢりになった。わたしの群れは、すべての山、すべての高い丘の上で迷う。また、わたしの

群れは地の全面に散らされ、だれひとり、探す者もなく、尋ね求める者もない。それゆえ、牧者たちよ。主の言葉を聞け。わたしは生きている、と主なる神は言われる。

 

立花:不安と希望を語ってくださいました。率直なご意見ありがとうございます。正直に言えば、私も不安であります。多分みんな不安なのだと思います。信徒も司祭も、そしてもしかしたら大司教が一番不安ではないかと思います。複数の聖堂共同体でどんな協力ができるのか、信徒と司祭と修道者の協力は可能なのか、最も大きな不安は、果たして司祭同士ちゃんと協力できるのか。様々な不安がありますけれど、ここで何もしないでいるというのがもっと不安だと私は思っています。いろんな不安はありますけれど、頭の中だけで考えていても「希望」は出てこないと思います。実際に始めてみていろいろな困難に出会うでしょうけれども、その中から希望が見えてくるということを信じます。小教区の現場にいていろいろな人に助けてもらいたいという思いはいつもありますが、なかなかそれがうまくいきません。今度の再編成を通して司祭と信徒と修道者が一緒になって何かを進めていけることが一番の希望であります。

 

【中央地域協力体】

中央:中央地域協力体、神田教会委員会小林直人でございます。本日はこのような教区集会で質問の機会をあたえてくださりありがとうございます。中央地域協力体は東京の中央に位置します6教会と、大島の教会からできている協力体でございます。昨年6回の会合をもちまして、12月に意見書を提出いたしました。中央地域協力体としてのホームページも開設いたしまして、この再編成、あるいは制度改革に向けて極めて意欲的な取り組みをしてきたというふうに考えています。今年はまた6回の会合をもちまして9月の末には意見書を提出することができました。私たちとしてはこの新しい一歩のご提案にどう答えるかということで非常に緊密に会合を開いてお互いの意見を交換し合うことができたことは非常に大きな神様のお恵みであるというふうに考えています。さらにはこの改革により新たな一歩を踏み出すと共に、またその過程でいろんな不都合が生じたら、またこのような会合により基本的な変更等を議論する場が持てることを希望いたします。私たちは今回の新たな第二弾の考え方に対していくつか質問をまとめました。今日は4つ質問したいと思います。ただ、この質問というのは第二弾のプロジェクトチームのご提案があってから、協力体としては会合をもつことができませんでしたので、必ずしも全て地域協力体に所属する教会が一致した質問でないということを改めて申し上げたいと思います。

第1の質問です。これはここにお集まりの方もご関心が高いと思いますが、基本的に今後のプロセス最終決定についてどういう状況になるのかということをお教えいただきたい、と思います。今回のプロジェクトチームのご提案というのは最終決定ではないというふうに書かれてございます。9月の末に意見書を出してから10日あまりで次の代案が出てまいりました。検討の時間としてはやや短すぎるのではないかと、今後再編成案の最終決定までどのようなプロセスと時間を費やすのかお教えいただきたいと思います。

第2の質問。かなり具体的な質問となりますが、わたしたちの中央地域協力体では非常に大きな教会は単独教会で良いのではないか、あるいは2教会の組み合わせもご提案いたしましたけれども、単独教会や2教会は良くないというご指摘がございました。逆にそういう一律のことではなくてむしろ各教会の特性をご理解いただいて本当に東京教区にとってどうあるべきかというところから考えていただいた方が良いのではないか、というのが第2番目の質問であります。

第3の質問。先ほど既にご質問に出たので繰り返しになるので、あまり申し上げませんが、第一段階から第二段階の移行についてどういう形があり得るかということです。今回新たに準備の整ったところから、あるいは差し迫った必要のあるところから順次移行していくというご指摘がございましたが、具体的にそのプロセスというのはどういうふうになるかということであります。

最後4番目の質問は、第一段階、第二段階の再編を経ますと現行の約80の小教区が約20に減る。もちろんかつての小教区は聖堂共同体として残るわけですが、基本的には教会が減ってしまうというわけでそれは全体としての教区のアクティビティの低下にならないでしょうか?また小教区の良さというのがございます。そういうものをなくさないように、さらにその制度改革のなかで活かしていくには何か良いお考えがあるかということ。これは我々自身が考えなければいけないこととも思います。

最後にわたくしどもはこの制度改革あるいは新しい一歩について決してネガティブというわけではなくて、できるだけより良い教区の改革に協力していきたいと思っております。

 

チェレスティーノ:だいたい色々な意見質問の中で今出された質問は一番多かったと思います。各地域とかいろいろな人から。まず最終的決定、いつどういうふうにどういうプロセスでなるか。この改革は大きな改革でそれに対していろいろな心配、不安があるが、最終的に誰かが責任を取らなくてはならないと思います。成功するにしても失敗するにしても自分が責任をとってこれをこうしたいというのは岡田大司教です。だからみなさんの意見、今日の意見・質問を聞いた上で、いつされるか。多分最後のあいさつにヒントがあるかもしれませんが、私たちの話し合いの中では必ず年内にはすることになっています。2週間後に司祭評議会があるので今日の確認もまた必要かもしれませんが、岡田大司教は近いうちに最終的に、責任を持ってこういうふうにしますからよろしくお願いします、ということになると思います。

そして第二の質問の組み合わせ方、大きな教会は単独でいいのではないかという問題。これは最初からプロジェクトチームとしては避けたいと思っていたことです。なぜかというと教区全体を活性化するのにみんなの協力が必要です。この改革は近隣の教会同士の協力、または可能だったら宣教協力体を超えても余裕のあるところはもうちょっと離れたところ、または教区全体にも協力を願いたいということから始まったのです。だから協力に参加しないというケースはなるべくさけたい。第三の質問にもつながりますが、来年4月からの改革で求めることはほんとに少しだけです。前の地域協力体よりもっと小さな宣教協力体にして協力をどんどん深めていく。教区全体を見るとわずかな協力だけでそのままやっていけそうなところもあります。都心とか世田谷あたり。でもほんとにひとつひとつの教会では今でもやっていけないところもあるので、そこはもっと早く協力が深まって、司祭が派遣できない状態になったときに司祭たちがみんなで責任をもって地域全体の宣教司牧にあたるということが予想されます。だから第二段階はいつ始まるかというと、とにかくすべての宣教協力体がたとえば二千何年に小教区になるということではないとわたしたちは思っています。正直言って最初の頃はそういう気持ちもありました。去年の今ごろの段階ではみんな協力すればすぐできるんじゃないかとも思っていました。でもみんなの意見やもっと詳しい事情を聞いてみたら、やっぱりみんなが同じように進むのではなくて、早く第二段階に入る地域とそうでないところが出てくると思います。

そして最後の今の小教区のよさが失われるという点。まず、教会が減るということは今だれも考えていません。教会またはそこに集まる信徒の共同体はみんな残る予定です。もちろん、地域の信徒の中で「近くに3つの古い教会があってみんな建て直さなくてはならない、不便だから、1つだけ一緒に力をあわせて建て直しましょう」という話があったら、その地域の信徒と司祭、教区本部で話し合ってそういうこともできます。しかし、こちらから「そこはやっていけないから閉鎖する」とかそういうことは全然考えていません。あとは小教区の「良さ」は、小教区にじゃなくて共同体にあると思います。小教区は教区をわけて地域にした、ただの一種の区域です。聖堂共同体はそのまま残って、他の共同体と協力する中でわたしたちはもっと活性化すると思っています。多分質問に十分こたえなかったと思いますが、これからまたみんなでこの対話を続けながら率直な意見を出し、それを素直に受け止めながらプロジェクトチームと大司教はこの改革を進めていきたいと思っています。

 

【城北地域協力体】

城北:城北地域協力体の下井草教会七澤と申します。質問は4つあります。一つ目に宣教協力体の組み合わせの第二案について。二つ目はナイスの総括についてもう一回お聞きします。三つ目は信徒の参画について、四つ目最後が心のケアに関する基本姿勢についてお伺いします。

まず一つ目。組み合わせ第二案を見て非常にびっくりしました。わたしたちのところだけ5つとなっています。「『福音的使命を生きる』への意見書に対するプロジェクトチームの考え」という文書の中で「14+15などは他の小教区の要望によって、このような組み合わせになりましたが、組み合わせとしては不自然ではないと感じております。」とありますが、ここで2つほど質問があります。ひとつは、地域協力体の中で、不安と不満をたくさん抱えながら意見調整をしてアンケートをとり、信徒の集会を開き、そういうものを抱えながらですけれど、一応これで行こうという事をお出しいたしました。その中には第一案に対する反対はしておりません。そして14+15という意見は一度も出ておりません。どこからもその意見は出ておりません。それなのに他の小教区の要望によって「第二案」が提示されたというのはどういうことなのでしょうか。

そして2つめ、他の組み合わせは3つ又は多くても4つの聖堂共同体です。わたしたちのところだけ5つもありますけど、「組み合わせとしては不自然ではない」とおっしゃる根拠は何ですか。なぜ不自然でないのか。わたしたちは非常に不自然だと思います。うちの主任司祭なんかカンカンです。でも自分じゃいえないので「お前言って来い」といわれて今日来ました。「強い調子で言って来い」といわれました。

みなさんの要望を聞いて、そして不自然でないという5つを前提にし(て別の代案を考え)ますと、5つの(聖堂共同体からなる)宣教協力体というものがもうひとつできてしまうという話し合いの結果になってしまいました。ただ5つというのはあまりにも大きすぎるのではないか、最初の趣旨、膝と膝をつきあわせて神父様もみんな協力してやろうというところからすると趣旨からずれてのではないか。ですから再考していただきたいということも強くお願いしておきたいと思います。こちらから提出した質問書の中にはどういう組み合わせがよいのかということを、その5つに関してですけれども、お書きしております。

二つ目です。ナイスの総括についてということで伺います。この回答を見ますと、ナイスについて触れられているのですが、こんなことを期待していたのではないのです。なんか全然こたえてくれてないなという感じがいたしました。岡田大司教様の去年の6月2日、生涯養成講座での発言。ホームページにもありますけれど、タイトルは『教会の使命とは』というところです。全部は読みません。「東京教区としましても、NICEというのはどうなのかについて、総決算というようなことをしなければならないのではないかと考えています。」とお書きになっています。その「総決算」というのをどのように行うつもりでしょうか?『新しい一歩』がまさにこれだというそういうお答えではなくて、諮問というものと答申というものを繰り返し繰り返し、15年かけて現在がある。その現在は、おっしゃるには「福音的使命感」の危機だと。諮問と答申を繰り返してきたのに、というよりもそれしかやってこなかったんじゃないかという気がします。で、何をしてきたからこうなったのか、または何をしてこなかったからこのような福音的使命の危機があるのかということをわかりやすく総括していただきたいと思います。そしてこれをこれからの新しい一歩、新しい教会作りということに結びつけていかないと同じことをやります。また諮問をして答申が出て終わりということになってほしくないからお願いします。さて、この総決算というものをどのようにおやりになるのか、できる限り具体的にお答え下さい。

あと2つあります。信徒の参画ということについてお伺いいたします。組織づくりの時点から、という意味では、もう既に遅れているとおもいます。前に懇談会をしたと書いてありますが、このプロジェクトチームにも信徒のメンバーが現在いませんし、先ほど宣教司牧評議会という言葉もでましたが、おそらく新しい制度に移行してからそういうものが休眠中、または復活するか、新しくできるか、するのでしょうが、その前に、新しく制度に移行するにあたって、信徒が参画をして、今ある各種の委員会そしてこれから立ち上がってくるであろう委員会、すべてとは言いませんが、その多くに信徒を参画させて、共同責任を担うチームワーク(それはキーワードとして書いてありますので)そういうものの第一歩だと思っていただきたいと思います。お考えになれないのでしょうか。

それで、例えば信徒の養成プログラムということに関しても、神父様たちがお考えになったものをボンとくださるのも結構なんですが、どういうものが必要かとかそういうものを立案する時点で、すでに信徒が参画していてそのニーズを拾い上げる。聖職者だけでは拾いきれないニーズまで信徒が参画することによって拾うことができるのではないか。

また司祭の意識改革についても、(教区集会資料に)新しい制度が始まってしまえばそこに絶好の機会があるではないかというようなことをお書きになっていますが、ちょっと甘いと思います。キーワードになっているのが、協力とかということですが、この文章を見ますと、修道会司祭としては、「個人としてプロジェクトチームに参加できない、まず教区としての方針を示し、その上で修道会の管区長に協力を要請してほしい、そこから協力したい」ということですが、どこかで聞いたような話で、ちょっと思い出してしまうのは、「まず父親を葬りに行かせてください。それから主に従います」全然違うかもしれませんが、わたしにはそんな風に聞こえます。なんかすごくいいかげんだなと。司祭の意識改革ということについて本気に考えているとは思えないです。まずはプログラム立案の時点で信徒をそこに入れたらどうですか?司祭研修会に信徒の講師を招く等の、新しい一歩というよりも初めの一歩ぐらいの気持ちで取り組んでいただきたいというのが希望であります。それで、新しい制度に移行したら信徒が参画できるような組織になるのでしょうか?イエスの場合とノーの場合でお答えいただきたいのですが、まずイエスの場合、どういう分野でどういうレベルでどういう権限までということで信徒が参画できるようになるのですか?それはいつからですか?ノーの場合「霊性と召命と役割が違う」という聞き飽きた説明ではなく、それ以外の具体的な理由のご説明をお願いしたいと思います。

最後に四つ目「心のケア」についてなのですが、これは文章の比較だけです。ここに書いてありますのは(教区集会資料)「教区が医療機関を持ち、司祭が医者やカウンセラーになることは考えていない。何が教会で出来るか、何をなすべきかを専門家の意見を聞きながら慎重に見極める事が必要。」とあります。その前に出た『福音的使命を生きる』には14ページに「小教区や個々の司祭にはあまりに荷が重いといわざるをえません。専門的なスタッフを持った教区の機関が必要なのは明白です」とあります。この「機関」というのはいったい何を意味するのですか?この今比べた2つの文章でずいぶん違う印象をうけるのですが、そのへんのことを具体的にお願いします。以上4つをお聞きしたいと思います。指名して申し訳ないのですが、小宇佐神父さんお答えいただけないでしょうか。

 

幸田:一番目の質問だけわたしが答えさせていただきます。

これについてはほんとうに誤解を与えてしまったかもしれませんが、第二案というのはこちらのほうがいいからこれが改正案です、ということではないのです。様々な組み合わせについての意見が小教区単位、または地域協力体の単位で寄せられまして、それをもし取り入れるとすればどういう可能性があるかということを第二案として出しました。その出し方が混乱を与えるやりかただといわれるとそうかもしれないと思いますが、出された意見をできるだけ取り上げたいと思って第二案を作りました。不自然さも指摘されればそうかもしれません。ですから、今言っていただいたこと、そして文書で出していただいたご意見をもとにして、きちんともう一度考え直すことにさせていただきたいと思います。

 

小宇佐:ナイスの総括について、またこれとは別にもう一枚質問が来ていまして、日本の教会、特に再宣教以来の歴史的総括が必要なのではないかという質問が実は(城北の意見書に)添付されています。歴史を踏まえながら未来を構築していく、これは基本的な作業でこれなしに新しいものは何も生まれてこないということは重々承知していますし、130年の再宣教の歴史そのものも研究しています。そしてこの歴史研究はある意味個的レベルで、公に「これが総括である」ということはなかなか出しにくい。さまざまな利害関係、あるいは傷つけあい、といったものも生まれてくるでしょうし、こういった歴史的な研究をとおして総括していくときに一番大事なのは現場ひとつひとつの中にたってこの歴史がどのような自分自身に対して痛みを催しているのか、わたしはそのなかでどのように痛んでいるのか苦しんでいるのか、その苦しみを自分のものとして受けない限り、単なる批判になってしまう、単なる傷つけあいになってしまう。それは一番避けなければならないことではないかと思う。このナイスの総括そのものもそれぞれの場ではなされているが、東京教区として公のものとなっていないのは確かである。まだひとりひとりの胸の中にはいろいろなものがある。この胸の中にあるいろいろなものをすり合わせていくこと、このすりあわせていくのはきちんとした現場を共有して初めてすり合わせができていく。そのように考えています。総括そのもの非常に大事ですし、過去の反省なくして未来を築き上げていくことはできないのも重々承知。その上で、ぶつかり合いながらはっきりしたものを掴み取っていくということがなによりも大事なのではないかと思う。

信徒の参画についてはそのとおりです。信徒が加わっていない委員会あるいは会議それはほんとうに片肺飛行だし、しかし今の状況の中ではそうなのだということ、信徒を加えうるシステムがない。例えば昔のブロック会議、今の協力体の中でほんとうに代表権をもってここにでて来られる人がいるか、そのような組織、そのような協力体制ができているか、まずそのことが問われてくると思います。そして本当に代表権を持って集まることができるような場であるならばこのように「協力、協力」ということすら呼びかけないでいいような現実ではないかと思う。本当に私たちが協力を始めなければもうこの片肺飛行のまま墜落してしまうかもしれないのが私たちの現実であるということ。それを本当に痛切に踏まえていかなければならないのではないかと思う。

あと心のケアについて。これは本当に幅の広い奥深いキャンバスを持っています。いろんな問題そしていろんな社会的な矛盾や抑圧や差別やそういったものがさまざまな人の心を傷つけている、この心のケアの問題は社会全体の問題といってもいいほどの幅広い広がりを持っている。しかし今苦しんでいる人たちをなんとかしなければならないということはわたしたちの最大のといってもいいぐらいの大きな課題、テーマではないかと思っています。今日のミサの第一朗読に出エジプト記が読まれましたけど、未亡人と孤児と寄留の外国人の叫びがあがってくるような世界だったら神様は見捨てるとそのようにおっしゃっておられる。そのような現実の中でほんとうにわたしたちが今、一番小さな人、わたしたちにとって本当に痛みとなっている人、その人たちと共にあろうとするときその現場はどこなのかということ。それを真剣に探し求めながらその現場の中で共に道を探っていくこと、それが心の問題ではないかと今ターゲットをしぼってきたということかと思います。そして心のケアの問題に教会が携わるというときに教会というのは信徒を含めた全キリスト信者ですよ。信徒の中にはたくさんの専門家がいます。その人たちのネットワークをどうやってつくっていくのか?あるいはその人たちが持っている知識をもっともっと集めていくということがまず第一に考えられることではないかと思う。そういったまずは言うなればセンター作りというようなところからはじめながら、それぞれ個別で行っている例えば自助グループの援助などそういったことを含めながら、一番大きなのはネットワーク、情報交換の場、どこにどんな専門の先生がいて、どこにいったらどんなケアをしてくれるのか、そのことをしっかりわきまえながらいろんな人に情報を伝えられるようなそんな場を築き上げられれば、そしてさらにはそういった専門的な先生たちが一緒に働いてくれるようなそういった関わりを築き上げていければ。答えになるかどうかわかりませんが、今イメージとしてあるのはそんなところです。

 

城北:どういう機関かと聞いているんです。だってここ(『福音的使命を生きる』)に書いてあるじゃないですか。

幸田:これについてはですね、教区としてこういうことに取り組んでいこうというのが私たちの提案なんです。「機関」と書いたのは、それがどういうものになっていくのかどういうセンターになっていくのかそうじゃないのか、そういうこともまだ未確定であるから「機関」という表現を使いました。誤解を与えたかもしれませんが、センターを作るとかそこまでまだいっていません。それは来年度から具体的な検討を始めていくという段階です。

チェレスティーノ:信徒の参加について補足させていただきます。確かにプロジェクトチームは司祭だけで始まった。その理由は信徒と司祭の仕事の時間はまったく逆ですから、一緒に集まるのは難しいと判断されました。ただし、今年の6月に「福音的使命を生きる」が出される前から、再編成懇談会というのが始まって、そこに10数名の信徒と大司教、そのなかに幸田神父さんとわたし、2人の司祭はただオブサーバーとして入って、だいたいプロジェクトチームが提案するものすべてをこの懇談会でも検討してきました。その中ではっきりした意見を出したり、提案を出したりして、この懇談会はこれからもプロジェクトチーム以上に活躍して進んでいくと思います。

また、ひとつの具体的な提案として本部献金3の見直しのときも、信徒中心の財政小委員会で検討して提案しました。たしかに、はじまりは大司教のそばにいた人たちだけれども、進んでいく中で、信徒の参加は不要ということはだれも思いません。この集会でもこういう風にはっきり言っていただいたので、こちらも気をつけて参加者を増やしたいと思います。

 

【城南地域協力体】

城南:大変僭越でございますけれども、城南地域協力体を代表いたしまして碑文谷教会の小野ですがご質問させていただきたいと思います。城南地域協力体では数度に渡りまして代表者が集まっていろいろ検討を重ねました。基本的には必要な改革には全面的に協力をしていこうという体制ではあります。しかしいくつかの疑問もありますので卑近なところから質問させていただきたいと思います。城南の中では非常に信者の多い千何百人という信者を抱えている教会が3つ集まって協力体を作るということになっています。小さな教会が(小さな教会という意味は信者が少ないという意味ですが)幾つか集まって協力体をつくるということころもあるわけです。それで全体から見ればどうも偏りがあるのではないかという考えがありましてそのことに触れて質問させていただきます。

今日配られましたパンフレットの中にも「大きなところが集まるのはどんな意味があるのか」というような設問がありまして、それに対して答えが出ているわけですが、そのこととはちょっと観点を変えました質問ですのでどうぞよろしくお願いいたします。

一つは現在各小教区でそれぞれ特色のある事業を行っているわけです。今度協力体になったときにそれが削除されるといいますか、勢力をよそに割いていかねばならないということが起こらないかという疑問です。基本的に私たちが考えておりますのは、小さな種を蒔いて大きな林をつくろうということではなかったのか、大きな木を持ってきていきなり林をつくっちゃおうというのは非常に無理がありはしないかという基本的な問題が中には含まれています。そして現在各小教区が特色をもった宣教司牧を行っていることに支障がおこらないか、それは大きな教会といえどもめいいっぱいでありまして、余力があるとはどうも思えない。協力し合おうということをやると各共同体が何かを割かなければならないという問題がでてくるのではないかとそういう意味の質問です。

第二点目は宣教協力体に協議会みたいなものが設けられるのだと思いますが、その協力体協議会において各共同体の自主的な活動を大幅に認めるという決定をしたときにはそういうことでかまわないかということであります。これは各共同体がそれぞれ実施していることが良しという風に協力体として認めることになれば「そのままやってください」ということがおこるのではないか

そうすると現状と何も変わらないということでありまして、そういうことでも差し支えないかという質問です。

それと宣教協力体のあり方は、具体的には協議会の運営によって決まってくるだろうと思われますが、協議会の協議事項、運営方法などについて、東京教区として強いガイドラインを示すことを考えているかどうか。あるいは各協議会の大幅な自主性にゆだねることになるのか。これが3点目です。

それから4点目ですが、宣教協力体の世話役の司祭(これは第二段階では主任司祭だと思いますが)は、協力体の運営にかなりの労力を割くことになるということは目に見えていることであります。その場合に司祭本来の役割である聖堂共同体における宣教司牧活動に大きな支障はでてこないか。ということであります。

大きな教会が集まるという裏には大きな教会同士組み合わせるということの他に方法がなかったのかということも含めましてご回答をお願いしたいと思います。

 

小宇佐:まず大きな教会同士の結びつきということの問題点が指摘されていますけれど、この再編成の中での一番大きなキーワードは協力ということだと思います。協力をしてお互いがお互いをぶつけあっていく、いうなれば自分を知るためには関わっていかないと自分がわからない。そしてまず自分がわかったうえで、何ができるのか、何を生み出していくことができるのか、相手がわかって自分がわかって初めてそれが生まれてくるかと思います。まずはおつきあいしてみないとわ何も始まらない。それが大きな教会同士でも関わっていこう、まずは協力からはじめていこうというよびかけです。付き合いを始めて自分がわかる、相手がわかる、そして自分のできてないところ相手のいいところ、相手から学ぶところあるいは相手に何か与えることがある、そういったひとつひとつを発見して、お互いを成長させていくための協力、そしてその成長がうまくベースにのっていけばこのお付き合いがひとつに結ばれていくという可能性にまで発展していくかもしれない。でも今はまずそのお付き合いからはじめていきましょう。それがこの4月から始まっていくよびかけです。

2番目の各共同体の自主性を認めれば今と変わらないのではないかということですが、お互いの自主性を認める、つまり良さを認めあうということは相手の良さから学ぶということで、そういうことに開かれていくと思います。認め合うということは豊かになるということだと思います。そしてその豊かさこそが本当は活性化の大きな力になっていくのではないかと思うのですがどうでしょうか。

そして宣教協力体協議会のあり方、これを自主性にまかせるのか、あるいは教区として強力なガイドラインをもっていくのか、ちょうどその中間です。この強力なガイドラインを示すのではなくゆるやかなガイドライン。この協議会の中でどのような方向付け、司祭団と信徒団の位置づけとか決定されたことについての権限とか力とかそういうことに対しての教区全体としての大まかな共通の認識が必要になってくるのではないかと思います。そしてこのゆるやかなガイドラインは必要になってくると思いますが、このガイドラインにそってお互いがお互いを生かしあっていくような関係、つぶしあうような関係にならないように、そういったかかわりを生み出していく方向性というのは常に探っていかなくてはならないのではないかと思います。

それから宣教協力体の世話役が大変になっていくのではないかという懸念があります。わたしたちも持っています。しかしそれを乗り越えていくことができるひとつの方法は、司祭間でどういった協力ができていくか、一人の人に偏っていくものをどう分担していくか、そういった協力をうまく持っていくことにおいてしかこの大変さを乗り越えていく方法はないのではないかと思います。そしてそれも司祭または私たちに託されていく大きなテーマになっていくのではないかと思っています。

 

【城西地域協力体】

城西:佐久間神父様の身体上のご都合により大変僭越ではございますけれどもわたくし小林が神父様のお書きになりました原稿を代読させていただきます。これはすべて質問事項だけでございます。

城西地域協力体を代表してプロジェクトチームに質問します。城西地域の最後の集会に際してさまざまな意見が出されましたが厳密な意味での質問の意味は限られたものであります。それをここで申し述べます。次の12点であります。どうぞご安心下さい。一項目が非常に短いです。ですから12という数におどろかないでください。でも12という数はキリスト教にとって非常に意味のある数ではございませんでしょうか。

1、信徒の信仰生活のあり方について触れないでいかにして福音的使命を生きよといわれるのでしょうか?

2、司祭の数の不足について今回はなぜ触れられないのでしょうか?

3、信徒によって成り立っている教区の改革でプロジェクトチームに信徒がひとりも加わっていないのはどういうことでしょうか?

4、修道会担当の小教区についてその修道会の責任者(例えば管区長)との話し合いについて触れられていないのはなぜなのでしょうか?

5、司祭方にのみ関係する問題をどうして信徒全般にまで知らせるようなことをなさったのか信徒としては理解できません。

6、今回の改革についてなぜ各小教区に解説者を派遣なさらなかったのか?地域協力体だけでは代表委員の1~2名だけにしか問題の解説は及んでいません。

7、財政問題に関してはかえって信徒の不安を招いていることについてはどうお考えでしょうか?

8、なぜこのようにことを性急に運ばれるのか理解に苦しみます。

9、問題が深刻化するところでまずスタートするということは考えられなかったのでしょうか?

これはちょっと補足いたしますと、各教会にわたって例えば個別的な問題があります、例えば非常に信徒の数が少なくて教会財政の問題があるとか、ある教会に外国人の信徒が集中してしまっているなど、それぞれの教会の事情によって異なると思いますのでそのようなことを想定していただければよいかと思います。

10、教区長とプロジェクトチームとは必ずしも意見が合致しないと聞いて大変不安に思っていますが、これはどういうことでしょうか?

11、いずれは小教区での主日のミサの執行が困難になることがありましょうが、そのために積極的指導が見られないのはどうしてですか?

12、今回の新しい一歩及び再編成についてさまざまな会議に参加しましたが、あまりにも否定的な雰囲気と印象に恐れを感じています。これはある修道司祭から出されました。聖霊は大司教とプロジェクトチームだけに働いているとお考えなのでしょうか否や。

以上は城西地域協力体の最終会議においてプロジェクトチームにあてに提出された質問を取りまとめたものであります。質問ではない意見については今回は触れておりません。

 

チェレスティーノ:さっきもありましたが重要なことですからその場でぱっと答えるということより先に質問をいただいてみんなでちょっと打ち合わせをしました。それぞれ違う意見を出さないように、または大司教と反対の意見を出さないように。でも突然もらった今日の質問にできる範囲の中で答えてみます。信徒の福音的使命を生きる、これは今カトリックだけじゃなくて宗教全体が今の世界にどんな意味を持っているか、一般社会のひとは非常に厳しい目でわたしたちを見ている。だから司祭も信徒もかわってみんな変わってもっと福音的にならなくてはならないと思います。これは制度の問題ではなく、意識改革、回心の問題だと思います。確かに司祭がお互いに協力できるように、または司祭がもっといい司祭になって素晴らしいミサができるようにもっと教育しなくてはならない。生涯養成といいましょうか、司祭もみんな弱いもので、がんばってもからまわりするときもあるから、司祭の養成はとても大切です。また召命を起こすための働きについてもよく言われます。養成する、(召命のための)運動をする、だれがするかというと、実は今東京教区はとても弱いです。司祭のほとんどが現場にいて教会で活発に忙しく働いていて、全体を導くまた全体を養成する部分は今一番足りないのです。これから教区本部を充実して、教区全体の導き、司祭の意識改革と養成、召命の運動、その他いろいろな問題のために働く何人かの司祭を大司教が教区本部に呼びたいと思っています。これから少しずつ力を入れていけると思います。

司祭の不足は、確かに今回は触れていないのは、最初にはっきり言ったからです。ただ、不足しているから仕事を減らすということではなくて、不足しながらも宣教を活性化したいから、組織を少し軽くして、少しずつ信徒の協力を得ながら活性化に挑みます。信徒の参加についてはさっきも少し返事があったのでそれ以上は今はいえません。修道会担当の小教区の場合は確かに難しい。でも何回か大司教とわたしたち本部の人たちと修道会の担当者、管区長または小教区を担当している司祭と話し合った結果、みなさんが恐れているより、協力はできると感じています。お互いにわかりあっていると思います。確かに教区の希望のすべてに応じることはできないかもしれない。でも修道会も教区と一緒に福音宣教のために働きたいと言っています。先週から東京で働くすべての修道会と個別に話を進めているけれども、思ったよりいい会話で、お互いに思っていることを言って、そして協力できるところをはっきりさせているところです。

どうして司祭のみの問題に信者を巻き込むかということについて。これはものの見方だと思いますが、決して司祭だけの問題ではないと思います。たとえばの話、もし来年四月から世田谷教会に主任司祭が不在となったらみなさんの考え方が変わってくるかもしれない。実際司祭不在またはサバティカルのために司祭がいないところに私たち事務局の司祭がまわってミサをしたり、みんなと話したりしていると、やっぱり信徒だけになったとき、みんなの意識が変わってもっと一生懸命にがんばって、もっと司祭、大司教にも協力的になるということに私たちは気がついたのです。

このような改革はどうしてこんなに早急に運ばれるのか。きょうのパンフレットの中にも、早急じゃなくて前からのナイスとか、もっとさかのぼれば教区大会のときからの自然の進め方だと私たちは思っています。

教区長とプロジェクトチームの意見は一致していない?これは言えないと思います。だいたいプロジェクトチームの集まりに大司教も参加してプロジェクトチームが出す提案もすべて大司教が目を通して見ているから意見の違いはないと思います。

まだいろいろな質問が残っていますが、どこまで答えたらいいか、この辺でよろしいでしょうか。

 

大倉:一番最後は?聖霊は大司教とプロジェクトチームにだけに働いているのか?

 

チェレスティーノ:それは聖霊に聞いてみないと・・・ごめんなさい。今のは冗談です。失礼しました。わたしたちは聖霊の働きを信じています。でもどこにふくかだれもいえないと思いますから、お互いに尊敬しあってお互いに信頼しあって教会のために働くことしかないと思います。

 

【武蔵野地域協力体】

武蔵野:武蔵野地域協力体を代表しまして荻窪教会の鈴木でございます。大変長い会議になりまして、持ち時間が5分ということで、かいつまんで大きな枠組みだけをお話させていただきます。武蔵野地域協力体は7つの小教区でございますが、共通してこのように歩んでいこうと決めましたことは以下の一文でございます。

「再編成プロジェクトチームの役割に期待し、大司教のリーダーシップを待つことが肝要である。」これは先ほど城東地域協力の方がおっしゃった「裸の王様になりたくないので、消極的な選択であるが」というような姿勢ではなく、むしろわたくしどもは福音的使命を一生懸命生きようとするときの積極的な姿勢としてプロジェクトチームの役割へ大きな期待を寄せて、しかもリーダーシップの発揮を待っているというその意見のとりまとめでございます。ただ今日のお話にもたびたび出てまいりましたが、不安がたくさんございます。3つの不安をわたくしどもは感じておりますので、それを9月の末に協力体からプロジェクトチームのほうに差し出させていただきました。第一の不安は、この一連の手続きが少し難しすぎる、少し知的にすぎるということであります。「わかりますか?」と訪ねられた私たちの小教区のおばあさんは「わかりません」としか答えられませんでした。「共感できますか?」「共感したいけれどもわかりません。少し手続きが難しすぎる。」今日お集まりの方々は代表されてきていらっしゃると思いますし、わたくしも仕事の関係等々でこのような作業を訓練されましたのでついていけるぎりぎりのところかもしれませんが、一般の信徒にはいささか難しい歩みではないか。

二番目の心配は最初に出された資料『新しい一歩』から『福音的使命を生きる』までの経過があるいは経緯があるいはどんな会合がどこでもたれたのかということが見えてこない心配と不安です。いろいろなところで今日のお話の「懇談会に信徒を招いて」というようなお話が例えば伝わっていればわたしたちの不安もひとつひとつ解消されてきたのではないかということを感じております。

三番目のことですが、わたしたちは今日の大司教様の最初のお話にもありましたように、主は何を望んでおられるかを祈りの中で探し求め、聖霊の助けによってそれを見極めて生きたいと願っている小さな羊の群れでしょう。ですから祈りながら歩んでいきたいと思うわけです。10月になって小教区のミサでの共同祈願にこの教区集会のことを入れてほしいというご希望があってミサの中で祈ってまいりましたが、むしろこの歩みは祈りと共に進めてこなければいけなかったのではないでしょうか。

その三つがわたしたちが危惧する点でありますし、不安に感じているところでございます。

それをふまえまして幸田神父様が10月10日に非常に短い期間で丁寧にお答えいただいたので、大方の質問に対してはある意味での納得が得られていることですが、今日みなさまが触れられなかった点を少し質問の形で提起させていただきたいと思います。

『福音的使命を生きる』の中に、3つの優先課題を出されておりますが、その3つの優先課題にいたったプロセスもやはり見えてこないし、説明が不足していると思います。さらにその一番初めには信徒の養成についてかかれていらっしゃいます。信徒の養成、これまで教区総会あるいはナイス、東京教区でもナイス事務局のようなものを作って信徒の養成を一歩一歩進めてまいりましたが、何がうまくいかなかったのか、この優先課題の第一に掲げていらっしゃる養成とはどんなビジョンのもとでなされていらっしゃるのかそのあたりのことを、もちろんこれからのことでありますとお書きになっていらっしゃいますが、これからどういう方向で何をなさっていくのか。例えばでありますが、今までの養成はこの関口の地にみなを呼び集めてそこで何か新しいことのご説明なりお教えを乞うという形でしたが、例えば新しく出来上がる宣教協力体に何らかの養成チームのようなものが来ていただいて、わたしたちのすみずみまで養成の手助けをしていただくことまで考えていらっしゃるのかどうかそのようなことも含めてご質問という形で提起させていただきたいと思います。

 

幸田:武蔵野地域協力体の文書で出してくださった3つの点についてなかなか難しい問題もありますけれど、精一杯努力していきたいと思います。私たちの力も時間も足りないので、足りない点がいっぱいあります。

養成について。先ほどの城西地域の一番目の質問で「信徒の信仰生活のあり方に触れずして」という意見がありましたけれども、それは私たちはこの養成という問題の根本に考えていることです。何かとにかくいろんな養成講座や研修会をすればいいということではなくて、本当にどういう信仰生活のあり方を私たちがめざすのか、本当に生き生きとしたキリスト信者として生きるというのはどういうことなのか、そこから養成を考えて・・養成というのでしょうか、私たちが育ちあっていくようなものを考えていかないことにはどうにもならないと思います。

東京教区にはこれまでたくさんの研修会や養成講座が行われてきました。一貫性がないと言いきってはいけませんが、なかった面があるかと思います。また一生懸命信徒の方がいろんなことを学んで小教区に帰ってもそれを生かせなかったということも多々あったと聞いています。本当に教区として私たちがどういう根本的な方針をもち、そしてその中でどういう共同体を作っていき、その中でどういう奉仕が必要なのかというきちんとした指針のようなものをもって進んでいきたいと思ってます。これはおっしゃったように具体的に今あるわけではないです。来年度からその指針づくりのための委員会のようなものを発足させて集中的に考えていきたいと思います。そこには先程からでている信徒の方の参加というものも考えていきたいと思います。そして宣教協力体ごとでこの養成あるいは研修会のようなものをということをおっしゃっていましたが、わたくしたちが漠然とですが考えているのはまさにそのことです。このカテドラルに人を集めて研修するというのではなくて、もっとみなさんの共同体に近いところでやっていく、それも教区が出かけていってやるというよりもそれぞれの宣教協力体ごとにやっていくことを教区としてバックアップしていく、そういう形で考えていけたらと思っています。まだあまり具体的じゃないかもしれませんが・・ほんとに聖体奉仕者とか集会司式者とかそういう特別な方のことだけを考えているのではないことはわかってください。根本にあるのはもっと小さな単位での共同体信徒同士の支えあいというものをほんとうに教区として養成の基礎にすえるというふうに考えています。いろいろな方法がこれまでにも世界各地で行われていますし、そういうものを研究しながらそういうものを基礎にしてそのうえで聖堂共同体、宣教協力体というのを積み重ねていくというような方向を今考えてはおります。

 

【多摩地域協力体】

多摩:八王子教会の吉川と申します。私どものほうでは今回情報公開ということについてお話ししていきたいと思います。再編成での最大のポイントのひとつに「協力」ということが挙げられています。よりよい「協力」を実現するためには、お互いを知ることが大切だと思います。現在は、各小教区ごとの状況などについては十分な情報が得られない場合が多いように感じますし、自分の所属教会の情報を知らない場合さえあるのではないでしょうか。

教区民の情報取得に対する温度差があるにせよ、所属宣教協力体内に留まらず、活動を他宣教協力体及び聖堂協力体に拡大したり、或いは他で行われている活動を所属協力体及び聖堂協力体で進める場合など、互いに理解し尊重するためには、ある程度系統的な情報公開が重要になると考えています。

今後再編成をすすめるにあたって、全教区民が各宣教協力体及び聖堂共同体の、教会運営規約および信徒活動等の最低限必要と思われる情報を知ることが出来るように、教区本部として公開する予定はあるのでしょうか?

教区公式ホームページでも最近多少公開されてはいますが、もう少し系統だって分かり易いものであるとよいと思います。例えば小教区レベルでの活動なのか、信徒有志の活動なのか、エキュメニカル・社会福祉的な活動なのか、などです。またホームページ以外のメディアでも公開が必要だと考えています。

各小教区の現状を知ったうえで、その次に必要と考えるのは、今回4点質問を用意してまいりました。

一点目。現在、各小教区において、それぞれ小さなグループ活動といえるような宣教司牧活動を行ってきております。今後、再編成を行うに当たって、同一宣教協力体内の活動の拡大や活動費等の予算の問題による活動部会の統廃合、そして他宣教協力体への活動参加の働きかけなどの要望と必要性とがでてくるものと思われます。しかし、活動方針等が明確に定められていない場合、信徒間の活動に支障が発生する可能性が考えられます。東京教区としての活動ガイドラインを提示していただければ、信徒間の問題も解消され、お互いに納得のいく、より活動し易い環境を作れると考えるのですが。また、ガイドライン作成にあたって信徒の意見交換・提出の機会を設けていただければありがたいと思います。

二点目。各小教区において外国籍信徒数が以前と比べ増加してきており、小教区の行事やお知らせ等の広報活動において、言語の問題、文化の問題等の要因により、工夫が必要とされてきています。現時点では、外国人司祭の方々の協力を得て、実現できている部分もありますが、小教区の広報活動としては、完全なものではありません。信徒の皆さんが平等に情報を得て、協力し合いながら活動を行っていくためにも、宣教協力体及び聖堂共同体内での広報活動への教区としてのサポートを期待したいと思います。再編成後のCTICなどで、邦人信徒から外国籍信徒および外国籍信徒から邦人信徒への情報交換が気軽にできるような場を提供していただけるでしょうか?

三点目です。教区レベルでの「福音的使命に生きる信徒の養成」の具体的なプランを提示していただきたいと思います。例えば聖体奉仕者の養成、心の問題を抱えた人と接する場合の講習会、など。

四点目。地理的に広い範囲に聖堂共同体が存在するような宣教協力体は、協力して各活動を行う時に信徒の負担はより増すと思いますが、それに対して、教区として何か支援プランなどは考慮しているのでしょうか?例えば、ネット導入整備のサポートとか、財政的な優遇・補助等。

 

立花:情報公開は非常に重要なことだと思います。今回の改革を通して教区本部の充実ということも少しずつ進んでいこうとしています。それにともなって情報公開の機会も増えていくのではないかと期待しています。

一点目、教会の運営規約及び信徒の活動などの情報について。これは情報の収集が今のところ十分ではありませんし、これから少しずつ整えていく必要は感じていますけれども、プロジェクトチームとして具体的にこういう風にしていくという話はまだしておりません。

それから二点目の小さな活動グループについての教区としてのガイドラインについてですが、様々な活動があると思うので、情報を集めて考えていく必要があると思います。プロジェクトチームの話し合いでは教会運営規約や宣教協力体協議会の規約のガイドラインを作る必要があるということで議論を進めているところです。そしてご指摘のとおりガイドラインの作成にあたって信徒の声をよく聞くということが大切だと思います。

三つ目。外国人信徒との情報交換をCTICなどで考慮してほしいということですが、東京教区にはカトリック東京国際センター(CTIC)というのがありまして地道な活動を続けて成果をあげていますし、その機能はさらに充実させていく必要があると思います。ただ、外国人のことについてはCTICが何でもみんなやるということではないと思います。CTICはそれぞれの現場で活動している人たちを支えたり、手が回らないところを助けたりということをします。日本人の信徒と外国人の信徒が共に信仰をいきていくために、たしかに情報というものはとても大切だと思います。現場で関わっている人たちとCTICがどういう協力をしていけるのか、どのようにしたら情報が日本人にも外国人にもうまく伝わっていくのか、それは取り上げる必要のある課題だと思います。

それから四番目の信徒の養成については先ほど幸田神父さんがお話になったので省かせていただきます。

広い地域の協力体の負担増について教区としての支援があるのかということについては、複数の聖堂共同体がひとつの宣教協力体として協力していこうとするとき、どのような利点やどのような課題があるのか正直言って「はじめてみなければわからない」部分がかなりあると思います。地理的に広い宣教協力体ではどういうことが負担で、何が必要なのかということがはっきりしてきたときに、例えば協力司祭を増員するとか、教区として経済的な援助をするとか具体的な教区の対応が考えられると思います。

 

大倉:これをもちまして一応地域協力体代表者からの質問と回答を終わります。多分皆様ひとりひとり質問したいですね。今日感じたことを直接プロジェクトチームの方々にぶつけて質問したいことたくさんあると思います。大司教に対してもあると思います。それをやりますと非常に混乱がおこりますし、今日質問と答えは前もって準備してお互いに何回か提出しあったものでまとめています。それでも不満がたくさん残ることだと思うんですね。今ここでまた質問が出ますと、またプロジェクトチームが集まって回答しなくてはならないので、非常に時間もかかりますので、それに関してはこれが終わった後でプロジェクトチームの責任者のひとりである幸田神父さんがお話になると思います。

それでは先ほどからずっと話しあいをお聞きになって考えられていたことあるいは前もって自分がおっしゃりたかったことがたくさんあると思いますので、岡田大司教さんからまとめと自分の考えをお話しいただきたいと思います。

 

 

 

4.大司教のまとめ

大司教:本日はみなさまほんとにこの青空のもと貴重な時間を東京教区のためにお使いいただきまして本当にありがとうございます。心から御礼申し上げます。2時間半わたくしも皆様の声に一生懸命耳を傾けました。聖霊の働きは聖霊に聞かないとわからないとかいった人がいますが、聖霊は司教だけに働くわけではなくプロジェクトチームだけに働くわけではないことはもちろんでございます。ですからみなさんにお聞きしております。私は聖霊はいつだれをとおして働かれるか本当に不可思議だと思っております。多くの人々、苦しんでいる人、悩んでいる人、声に出せない人から聖霊のうめきが聞こえてこないだろうか、教会の外にいる人から聖霊のうめきが聞こえてこないだろうか、そのように思っております。先程の質問のときにたしか立花神父様がお答えした場面ですけれど、不安について立花神父さんは「わたしにも不安があります。そしておそらく司教にも不安があるでしょう」とおっしゃいましたが、それを聞いてわたしの心臓はますますどきどきとしてきたのであります。正直に申しますと私、昨日、今日とかなり重苦しい気持ちで過ごしてまいりました。そして今朝お祈りしながら御ミサをささげながら思いは午後2時から。そして黒い雲がむくむくと私の胸に去来する。でもそういうことは別に今日始まったことではないんですね。だいたい司教になるというのはそういうことなので、司教になるように言われたときの気持ちをまざまざと思い出しております。不安の中に自分の支えは何だろうか、「私は本当に神様の御心を求めてやっているだろうか」これしかない。私は神様ではないので神様の御心はわかりません。でも神様の御心ではないかと思って皆さんと一緒にやっていきたいと思っています。自分だけが神様のみこころを知っているとは思いません。皆様と一緒に神様の御心を求めてやっていきたいと思っております。

そして不安の中に希望をもって最後の神様による完成を信じています。神様が最後に完成してくださることを信じています。途中経過はいろいろだと思います。そしてこの私たちをどのように用いてくださるか、それが今おこなわれていることであると思います。私は自分が非常に非力無力だと感じておりますので、主に信頼を置く人、希望をおく人として歩みたいと願い、そのようなモットーを司教して選びました。このような司教とおつきあいいただいてみなさま申し訳ないのですが、どうか支え助けていただきたいとお願い申し上げます。

ナイスの総括ということについておっしゃった方がいらっしゃいます。それをいわれることは私にとって非常につらいことで、これも正直に申し上げます。総括といった場合、いろんなレベルの総括があります。東京教区としての総括、司教協議会の総括、そして私個人の総括というのがあります。名前をあげていいのかわかりませんが大阪教区の中川神父さんが最近お書きになった『妖怪の住む教会』という本の中に、ナイスについてもかなり的を得た批判というか感想があるように思います。それから私個人としてはナイスを振り返って何が問題なのか、何が良かったのか、何がなされていないのか、それを整理しないことには私としては司教としてやっていかれないと思って、個人的には拙い文章を書きました。もしよろしかったらみなさまおひとりおひとりにお届けしたいと思いますが、これは東京教区長であるわたしの公文書ではございません。司教として発表する場合には一人でやってはいけない。いろんなところで審議して最終的にはわたしの責任で発表するべきです。でも今申し上げているのはわたくし個人が誰にも相談せず、自分で自分の思いをできるだけ自分の言葉でわかりやすく書いたつもりのものです。是非ごらんいただいて、岡田が何を考えているのか、あるいはどういうやつか、どうして信者になったのかそういうことが少しでもおわかりいただけたら少しはわたくしたちの相互理解が深まるのではないかなと思っています。そして司教協議会としての総括ということについてわたしは何度も提案いたしました。でもまだその時期にあらずということで却下されております。残念であります。東京教区としてはわたくしの責任であります。就任して2年であります。今この再編成ということに取り組んでおりますが、何もかも一緒にできませんのである程度見通しがたちましたら必ずやこのナイスの総括(総括という言葉が何をさすか問題ですけれども)、ナイスの評価、どこが問題で、どこがよかったのか、どこがまだなされていないのかなど一緒に見ていきたいと、これは教区としてやらなければならないと考えている次第です。

それからこの機会にもうひとつ申し上げたいと思います。私たちは今「宣教協力体」「聖堂共同体」という言葉をプロジェクトチームが提示して、みなさんから特に大きな反対がなければその用語を採用しようかと思っていますが、ちょっと紛らわしくて正確にまだなかなか言えないような状態です。それでひとつこういう言葉があるんですね。「宣教共同体」これはどこで出てきたかといいますと、1984年に日本の司教団は非常なる決意をもって『基本方針と優先課題』というのを発表したんですね。もうそろそろ20年たつものですが、これがどうなっちゃったの?それこそ、ナイスの前にこれがどうなっちゃったのかという総括をすべきだと思っております。この基本方針には2つあって「できるだけ多くの人を主の食卓に招き、洗礼の恵みを伝える」ということと「今、私たちの住んでいるこの社会の中でイエス様の御心が行われるようにもっと努力する」というこの2つであります。それを実現するために3つの優先課題を掲げました。その第一が「教区、小教区を宣教共同体になるように育成する」で、(宣教協力体と聖堂共同体とややこしいですけど)宣教する共同体になるように今の教区・小教区を育成しましょうという司教たちの申し合わせをそれぞれの教区でやってきたと思います。私も東京教区でやっていきたいと考えております。2番目に修道会、宣教会、諸事業体と具体的な協力体制を敷くというこの課題です。協力というのは誰でも反対はしないのでしょうが、「具体的な協力」というのはなんでしょうか?これは非常に大きな課題です。カトリック教会全体の、それこそローマ聖座でいうべきことだと思いますが、(わが東京教区は中に多くの修道会、宣教会、そしてその人たちが担っている色々な学校や施設などたくさんありますが、その)修道会の方たちとわれわれ教区はほんとうに協力していかなければならない。具体的にやっていかなければならない。今回の協力体構想につきまして色々な課題があります。私は修道会の管区長さまなどと何回も話し合いを重ねてまいりました。そして今、個別にそれぞれの会の方とお会いして具体的なこと、それは教区との契約、協定のことであります。場合によっては会計のことも含まれております。そういうことについて話し合い、合意があればそれを実行していく。これは対等に話し合って決めることですから、いくら司教だからといって強制したり押し付けたりすることではできませんし、すべきことではないと思っております。この優先課題の2、これを東京教区としてもしっかりやっていきたいと思っております。それからさらに第二回のナイス(福音宣教全国推進会議)のこともあまり人が言わなくなったのですがこれも総括しなければならないと思っております。これは93年ですね。そして家庭の現実から福音宣教のあり方を見直すということでやりました。今の家庭はどうなっているか。教会として何をなすべきであろうか。そういうことを話し合ったわけです。非常に示唆にとんだ提案がなされました。その中に今の家庭が難しい状況におかれている。人々は心の不安におののいている。家庭内暴力などいろいろな問題が浮上しているという事実がございます。そういうことについて東京教区は何もしてこなかったわけではない。カリタスの家で家族のいろいろな問題などを受けてやってまいりました。今度プロジェクトチームから人々の心の問題について教会としてもしっかりやっていきたいという案が出ております。それとカリタスの家の努力とどのように総合できるでしょうか。そこから取り組んでいく所存でございます。

最後になりますが、小教区の再編成案これをどう確定するのかという大切な問題がございます。異論のある部分につきましては丁寧にご意見を伺い、そして司祭評議会でも話し合い、できるだけ早く、できれば年内にわたしとしての決断をみなさんに伝達できるように努める所存でございます。本当に私は無力でありますけれど、みなさまの支え、祈りによって自分の任務を遂行していきたいと考えています。みなさまから率直に意見を出していただいたので、どう感じておられるか、かなりといっていいのか、少しといっていいのか、わかってきたように思います。私の気持ちもわかっていただき、キャッチボールを繰り返しながら、イエス様から与えられた使命を一緒に、そしてお互い痛みを担いながら、そして痛みだけばかりでなく喜びも共にしながら歩んで生きたいと本当に願っております。今日は皆様本当にありがとうございました。

 

 

 

5.閉会

主の祈り

聖歌『キリストはぶどうの木』

 

幸田:みなさん今日は本当にありがとうございました。今日のこのやり方、質問の時間も、質問者の人数もそして答えの時間も限られていて、中途半端な面もあったと思います。そして自由に参加者が発言できるようにという強い要望もありますが、どうしても無理だと思ってこのような形になりました。これで意見の集約ができたとはいえないということもよくわかっております。でも、ひとつのステップとして大切なことだと私たちは考えました。それでお帰りの前に是非このアンケートを書いてお帰りいただきたいと思います。このアンケートの目的はみなさんにせめてこのアンケートの形でこの集会に参加していただきたいということ。それからみなさんが代表してきた小教区や修道院などの雰囲気も少しでもお聞かせいただきたいということ。そういうことをお聞かせいただきながら、教区集会とプロジェクトチームの歩みの反省のもとにしたいと思いますし、今後のためにも役立てたいと思います。このアンケートを大司教の決断の根拠にはしません。アンケートで半数以上がこういう意見だったからこうするぞということではないのですけれども、いろいろなり形で参考にさせていただきたいと思います。これまでもたくさんの個人的な意見をお寄せいただきましたが、それも参考にさせていただきます。参考にするというのは決して読んでああそうですかと終わらせるのではなくて、本当にひとつひとつの問題、課題を真剣に受け止めて取り組んでいきたいと思っています。

このアンケートの結果は何らかの形でみなさまにお伝えしていくつもりでおります。

本当にありがとうございました。

 

(終了)