東京大司教区

カトリック田園調布教会

※新型コロナウイルス感染症防止のため、ミサや各種行事の時間が変更になっている場合があります。教会にお越しの際は、必ず事前にお問い合わせくださるようお願いいたします。

名称

カトリック田園調布教会

教会堂名

アシジの聖フランシスコ

創立年月日

1932年10月4日

主任司祭

ドミニコ 竹内 正美 O.F.M. (たけうち まさみ:フランシスコ会)

助任司祭

アントニオ M クラレ 金 東炫 O.F.M.(きむ どんひょん:フランシスコ会

信徒数

3,697人(2019年12月31日現在)

主日のミサ

土曜日(クララ聖堂) 19:00 (クララ聖堂)
日曜日(大聖堂 ) 7:30 / 9:00 (子供と共に) / 11:00 (手話あり )

週日のミサ

月~土曜日 7:00(クララ聖堂)
初金ミサ:第1金曜日 10:00(クララ聖堂)

宣教協力体

世田谷南

教会学校

要問合わせ

講座

下記 公式ホームページ参照

福祉活動

要問合わせ

住所

145-0071 東京都大田区田園調布3-43-1 [Google地図]

電話

03-3721-7271

Fax

03-3721-2479

ホームページ

http://catholic-denenchofu.jp/

身障者設備

スロープ(または、バリア・フリー)、エレベーター、トイレ

交通案内

東急東横線・目黒線「田園調布駅」西口より、線路沿いを徒歩10分 。 東急東横線・目黒線・東急多摩川線「多摩川駅」より、線路沿いを徒歩5分 。
※駐車場(約30台)・・・できるだけ、公共交通機関をご利用ください。  

歴史

シャンボン大司教はカナダ管区のフランシスコ会に田園調布教会で働くための宣教者の派遣を要請した。そして1930年に家を借りて、教会活動が始められた。 このように田園調布教会は、1931年にカナダ・フランシスコ会の宣教師によって創立された。アシジの聖フランシスコを保護の聖人としていることから、聖フランシスコ教会とも呼ばれている。 現在の地に修道院が建築されたのは1931年10月4日で、 アシジのフランシスコの祝日にシャンボン大司教により献堂式が行われた。 この日を期して、 近隣一帯を小教区として独立司牧する任務がフランシスコ会に委託された。 1933年、 活動が始まって僅か1年足らずの内に、 信者数は165名になっていた。 1934年3月には教会委員会が創設され、 青年会も発足し、 東京連合大青年会に加盟した。青年たちは、こどもの公教要理や 図書の販売を担当し、 研究会も頻繁に行われた。 同年5月には婦人会も設立された。 1936年管区長館が鹿児島から東京に移り、 東京での宣教活動は強化された。 1936年には信者数が390名になり、 ミサに与かる人も増えて聖堂には人があふれた。 聖堂の増築が始まり、 1937年7月に完成した。 宣教活動は勢いを増していた。 だが1941年12月8日、 日本軍の真珠湾攻撃が勃発すると、 事情は急変した。 神父たちは敵国人としてただちに連行収容された。 ただ1人の邦人司祭であった稲用神父が、 困難かつ危険な時期、 教会を守り通した。 1944年夏、 警視庁が建物を接収し、 当時枢軸国を離れたイタリア大使館員の軟禁所となり、 教会は田園調布駅前の目黒氏邸、 次に北沢氏邸に移り、 信徒に開放された。 1945年8月終戦により、 忍従の時を過ごしてきた教会は再び現在地に生を受けた。 門標も 『カトリック田園調布教会』 と新しくなった。 一般信徒も疎開先や応召から復帰し、 他の小教区の戦災にあった人びとも合流して、 瞬く間に戦前の数をはるかに凌駕し、 その間に求道者、 新信者も増えて毎日曜3回のミサ毎に聖堂は満員となった。 当時の信徒数は千数百名と概算されている。 田園調布の地に宣教が開始されて70余年の現在、 東京教区内でも、3番目に信者数の多い教会に発展した。  

現状

現在の聖堂は1955年に建てられたもので、建物1階はホールと会議室等、2階が500人収容の大聖堂となっている。 敷地内にフランシスコ会の修道院があり、常時4~5名の司祭、修道士がおり、その司牧を受け、教会委員会を中心に、典礼、財務・財政、召命、広報、環境、 福音宣教等の委員会活動や地区家庭集会、聖歌隊、教会学校、ボーイ・ガールスカウト等の活動が行なわれている。  住宅地に存在するこの教会には子供や青年が多いこと、 また家族信者の多いことが特徴である。 司牧にあたる数名の司祭の年齢も若く、 活気にあふれた教会である。 現在の司牧活動では特に、 聖書、 教理、 回勅類の勉強会が活発で、 信徒の養成に力が入れられている。