東京大司教区

カトリック吉祥寺教会

※新型コロナウイルス感染症防止のため、ミサや各種行事の時間が変更になっている場合があります。教会にお越しの際は、必ず事前にお問い合わせくださるようお願いいたします。

名称

カトリック吉祥寺教会

教会堂名

聖霊

創立年月日

1949年2月21日

主任司祭

ビジュ・アウグスティン・キシャケル  S.V.D.(神言修道会)

助任司祭

洗礼者ヨハネ 森 智宏 S.V.D. (もり ちひろ 神言修道会)
使徒ヨハネ トラン・ナム・フォン S.V.D. (神言修道会)

信徒数

3,117人(2019年12月31日現在)

主日のミサ

土曜日 17:00
日曜日 9:00 /10:30 
第1日曜日 15:30(英語)
第2日曜日 15:00(ベトナム語 ※9月から)
第3日曜日15:30(タガログ語)

※外国語ミサは9月から全て15:00開始となります。

週日のミサ

火・水・木・金 6:50

宣教協力体

武蔵野南

教会学校

第1・第3日曜日 9:00ミサ後

講座

当面の間休止

諸活動

7月から開講
※詳しくはお問い合わせください。

住所

〒180-0005 東京都武蔵野市御殿山1-7-8 [Google地図]

電話

0422-44-0181

Fax

0422-44-0180

ホームページ

http://www.svdtokyo.jp/

身障者設備

スロープ、トイレ、車いす

交通案内

JR中央線・総武線、東京メトロ直通 東西線 「吉祥寺」下車。
京王井の頭線 「吉祥寺」下車。公園口より徒歩6分。
※駐車場あり(お申し出ください)

吉祥寺教会小史

1935年(昭和10年)

神言会会員(ゲマインダ神父とグドルフ神父)が、西荻窪に民家を借り、東京での宣教を開始する。

1936年(昭和16年)

現在の吉祥寺東町(十一小路)に、アルベルトホームを開設し、フラッテン神父が院長となり、ナーベルフェルト神父、ライツ神父ら七名が居住し、宣教司牧の他に、神道、仏教、考古学などの研究に従事した。

1942年(昭和17年)

高円寺教会の分教会となり、フラッテン神父が担当。翌年には、はじめての受洗、結婚、堅信式が行われた。

1945年(昭和20年)

外国人宣教師は、軽井沢・山中湖に強制疎開。宣教師不在の間、近隣の邦人司祭がミサを捧げに来た。そしてアルベルトホームには都心から移動してきた神学生が居住 した。終戦後、強制疎開させられていた宣教師が戻り、フラッテン神父を中心に本格的な宣教活動が始まった。1946年スカウト活動などが創設され た。

1947年(昭和22年)

フラッテン神父は修道会の管区長となり転任、修道院長にポンセレット神父、主任司祭にはナーベルフェルト神父が就任する。

1948年(昭和23年)

教会の用地探しをはじめ、交通の便が良く、かなり広い場所の確保に奔走。信徒との協力も得て、現在地(1941坪)を購入確保する。

1949年(昭和24年)

2月21日、吉祥寺教会として、高円寺教会から独立する。その年の暮れに信徒会館が落成し、仮聖堂として初ミサが行われる。

1954年(昭和29年)

4月17日現在の聖堂が完成。その後司祭館、伝道館など整備された。吉祥寺教会の創設期に多くの方が協力してくださったが、特に伊澤千三郎氏、大塚市助氏、山之内一郎氏らが忘れられない。創生期に当たって戦後の困難な生活の中で、青年たちの活躍がめざましく、押田成人神父(ドミニコ会)、奥村一郎神父(カルメル会)、藤岡和滋神父(東京教区)らの青年時代の活躍の場となっていた。

1957年(昭和32年)

安田神父が主任司祭として就任。

1971年(昭和46年)

敷地内の一角に、11階建ての分譲マンションを建設。3階までは信徒会館、司祭館、事務所など教会部分となり、4階以上は分譲マンションとなっている。

1973年(昭和48年)

12月13日、隣家からの類焼で、聖堂の後方の屋根が燃え、パイプオルガンが使えなくなった。翌年4月修復工事が始まり、あわせて、第二バチカン公会議後の典礼にあわせた聖堂内陣に改修された。

 
その後、吉祥寺教会は現在に至るまで神言会会員による宣教司牧活動が行われ、常時3、4名の司祭がいることから、主日のミサの回数も多く、また、交通の便も良く、広さもあることから、多くの信徒を抱えることになった。