カトリック泉町教会

image_pdfimage_print

名称

カトリック泉町教会 (八王子の分教会)

教会堂名

聖マリア

創立年月日

1878年

司祭

八王子教会担当

主日のミサ

第2土曜日 16:00(4月より)

宣教協力体

多摩西

住所

〒193-0814 東京都八王子市泉町1287 [Google地図]

電話

042-622-1642(八王子教会)

Fax

042-627-6490(八王子教会)

身障者設備

スロープ(または、バリア・フリー)

交通案内

京王線「京王八王子駅」より
2番のりば 西東京バス 市11系統 松枝住宅行き、「泉町停留所」下車徒歩1分
JR「八王子駅」北口より
8番のりば 西東京バス 市11系統 松枝住宅行き、「泉町停留所」下車徒歩1分
JR「西八王子駅」北口より
2番のりば 西東京バス 市01系統 松枝住宅行き、「泉町停留所」下車徒歩1分

歴史

1876年、当時はまだ外国人が居留地外に滞留にすることが困難な時代であったが、山上青年はテストヴィド神父を自分の村、下壱分方に招いた。キリスト教の自由、平等、博愛の精神に、大いに共鳴していたからである。
村人たちはこぞって神父を出迎えた。その様子を山上氏は晩年次のように語っている。「横浜より神父を請し、ひとたびその教理の講演を試みるや、聴衆はくものごとく集まり、たちまちにして志願者は続出し…‥」
1877年には信者はすでに50人を越えていた。この洗礼の勢いは1890年まで続いた。村の中心には礼拝室と神父の宿泊所もできた。1890年の信徒数は250人で、今にも全村が信者になるのではないかと思われた。又、テストヴィド神父はこの信者共同体は信仰の第3段階に達していると言っていた。
だが試練の時が訪れた。1890年、テストヴィド神父は病に倒れ、治療のために日本を去らねばならなかった。神父と下壱分方の信者のきずなは固かった。慈父を失った信者は約2年間、既に広範な地域を受け持っていた2人の宣教師の世話を受けることになった。この間に天主学校が経済上の問題で廃校となり、信者の教育の場が閉ざされた。1892年には全村を大火が襲い、一瞬にしてほとんどが灰塵と化した。これを期に多くの村人が都会へと出て行った。1892年、27才のメイラン神父が初代の主任司祭として着任した。彼の教理指導は大変厳しかった。社会的視野を持つ信仰を、初期の時代から培い、政治の舞台でも活躍していた下壱分方の信者には、彼の指導に従うのに多くの苦労があったと思われる。火事の後の聖堂がまだ建築中のことなどもあって、本町の教会が以後宣教の拠点とされ、下壱分方は巡回教会として新たな出発をすることになる。
1927年、テストヴィド神父による宣教50年を記念し、元八王子(現在の泉町・初期の下壱分方)の聖堂は信者の手により、立派に建て替えられた。この聖堂は現在も使用されている。44年の 間、八王子で司牧したメイラン神父に代り、1936年から日本人司祭が司牧にあたることになった。特に1943年から八王子と元八王子を往き来して、きめ細かな司牧をした西田神父は、宣教100年を記念して、両教会の信者の協力によって、元八王子に建てられた司祭館に住み、100年目にようやく司祭常住の教会を誕生させた。
その後は岩子神父が司牧にあたり、少しずつ発展の途をたどっていった。

参考資料:教区ニュース81号(1991年4月)より