菊地大司教

    「多様性における一致を掲げて」 宣教司牧指針の方向性について(第1部)

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    2018年5月20日 聖霊降臨の主日に
    カトリック東京教区 大司教 菊地功

     

     多様性における一致をモットーに掲げて、私は昨年12月に東京大司教として着座いたしました。私たちの東京教区は、社会の中における単なる組織体ではなく、キリストの体をともに形作る信仰共同体です。しかもこの信仰共同体はキリストによる宣教命令を受けているのですから、現代社会の直中にあって福音宣教共同体として存在しなければなりません。教区をともに形作っているそれぞれの教会共同体が福音に生き、御言葉と御聖体のうちに現存される主イエスと喜びをもって歩みを共にするとき初めて、全体としての教区共同体は福音に生かされた宣教共同体となります。そのために、それぞれの教会共同体が自らの多様性に目覚め、その自覚のうちに全体として一致しようとすることが不可欠です。

     着座してまだ半年しか経過しておらず、教区全体の訪問すらできていない現時点では、具体的な宣教司牧の指針を提示することはできません。しかし、多様性における一致を足がかりにして、これからの宣教司牧指針の方向性をできる限り明示したいと思います。

     

    1:「多様性」と「一致」

     聖パウロはローマ人への手紙において、「わたしたちの一つの体は多くの部分から成り立っていても、すべての部分が同じ働きをしていないように、わたしたちも数は多いが、キリストに結ばれて一つの体を形づくっており、各自は互いに部分なのです」と述べています(ローマ人への手紙十二章四~五節)。

     わたしたち自身がまず、それぞれの豊かな個性のうちに、与えられたいのちを生きています。様々な個性が集まって、あたかも一つの体の部分のように互いに結ばれることによって、この世界は成り立っています。当然、そこには様々な考え方や異なる価値観を持った、自分とは意見の異なる人たちが多く存在します。私たちが共同体の中で生きるということは、多様性のうちに生きるということを意味しています。画一的ではない豊かな社会は、私たち自身の多様性があってこそ実現します。

     もちろん多様性は、全体としての体を生かす部分としての多様性であり、共通善に導かれた神からの豊かな賜物を生きる個性でもあります。

     同時に私たちには、多様性のうちにありながらも一致していることが求められます。

    ヨハネ福音に、「父よ、あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください。彼らもわたしたちの内にいるようにしてください。(ヨハネ十七章二十一節)」と記されています。またコリント人への手紙には、「一つの霊によって、わたしたちは、ユダヤ人であろうとギリシア人であろうと、奴隷であろうと自由な身分の者であろうと、皆一つの体となるために洗礼を受け、皆一つの霊をのませてもらったのです(一コリント十二章十三節)」と記されています。

     御子が御父と一致していたように、私たちも一つの体として一致するようにと呼ばれているのですが、とりわけキリストに従う者は、御言葉と御聖体によって、キリストの体において一致するようにと招かれています。

     同じくコリント人への手紙に、「わたしたちが神を賛美する賛美の杯は、キリストの血にあずかることではないか。わたしたちが裂くパンは、キリストの体にあずかることではないか。パンは一つだから、わたしたちは大勢でも一つの体です(一コリント十章十七節以下)」とあります。

     さらに、エマオへと向かっていた二人の弟子は、イエスの御言葉によって「心は燃え」、食卓においてパンが割かれることによって目が開かれ、エルサレムに残された兄弟たちと再び一致するために旅立ちました(ルカ二十四章十三節以下)。二人の弟子は、御言葉と御聖体によって、キリストの体において兄弟たちと一致するようにと導かれたのです。

     

    2:福音を告げる教会共同体 

     福音は教会に集う私たちだけの隠すべき宝ではありません。教皇フランシスコは「福音の喜び」において次のように指摘されています。

     「神が実現し、教会が喜びを持って告知するこの救いは、すべての人のためのものです。神はすべての時代の一人ひとりと一つになるための道を整えました。神は人々を個々としてではなく、民として呼び集めることをお選びになりました。ひとりで救われる人はいません」(福音の喜び113)。

     その上で教皇は、「教会は無償のあわれみの場でなければなりません。すべての人が受け入れられ、愛され、ゆるされ、福音に従うよい生活を送るよう励まされると感じられる場でなければならない」と指摘されます(福音の喜び114)。

     さらに教皇は、「聖霊は、たまものの多種多様な豊かさを生み出すと同時に一致を築きます。この一致は決して画一的なものではなく、引き寄せる力を持った多様性の調和です。福音化というものは、聖霊が教会にもたらす多様な豊かさを喜んで認めます」と指摘されます(福音の喜び117)。

     東京教区の教会共同体にあっても、聖霊に導かれて、いつくしみのうちに誰ひとり排除することなく、多様性を受け入れ、それぞれに与えられた豊かなたまものを生かしながら、一つの民として一致し、福音を告げ知らせる共同体として日々成長する道を選び取りたいと思います。

     ところで教皇ベネディクト16世は、回勅「神は愛」において、教会の本質は次の三つの務めであると指摘されています。

     「教会の本質はその三つの務めによって現されます。すなわち、神の言葉を告げしらせること(宣教・ケーリュグマ)とあかし(マルテュリア)、秘跡を祝うこと(典礼・レィトゥールギア)、そして愛の奉仕を行うこと(奉仕・ディアコニア)です。これらの三つの務めは、それぞれが互いの前提となり、また互いに切り離すことができないものです。(神は愛25)」

     私は、教区共同体にあっても、この三つの務めが十分に具体化していることが不可欠であると思います。またこの三つの務めは、無関係に存在するのではなく、「互いの前提となり、また互いに切り離すことができない」のですから、教区共同体にあっても三つの務めの相互関連性を深めていく必要があります。

     そこで、多様性における一致を実現し、福音を告げ知らせる教会共同体を育てるために必要だと思われるいくつかの取り組みのポイントを、この教会の本質である三つの務めに導かれながら、記してみたいと思います。これらのポイントは、現時点での私の限られた情報に基づいていますので、最終的な方針ではなく、流動的な検討課題です。今後、これらのポイントについて、それぞれの方面で取り組まれている信徒、修道者、司祭の意見をいただき、ともに検討する中で識別を重ね、具体的な方向性を定めていく努力を始めたいと思います。

     

    3-1:「神の言葉を告げしらせることとあかし」

     何よりもまず、私たちにとっての最優先事項は福音宣教であります。教会共同体には既存の組織体として様々な課題があり、同時に教会を取り巻く現実は日々変化する対応を求めています。そういった要求や必要への対応に追われるとき、私たちはもっとも優先すべき福音宣教の務めを後回しにしてしまう誘惑に駆られます。しかし、どう考えても、主イエスご自身から与えられた福音宣教命令は最優先事項であり、後回しにすることはできない課題です。

     福音宣教に優先的に取り組むためには、様々な課題があることは事実ですが、その中でも、以下のような事項に取り組みたいと考えています。

     

    1:修道会の垣根を越えた、教区における司牧協力体制の充実

    2:滞日外国人司牧の方向性の明確化と見直し

    3:継続信仰養成の整備と充実

    4:現行「宣教協力体」の評価と見直し

    5:カトリック諸施設と小教区・教区との連携

     

    3-2:「秘跡を祝うこと」

     典礼は、「キリストの神秘と真の教会のまことの本性を信者が生き方をもって表し、他の人々に明らかにするためにきわめて有益である」と第二バチカン公会議の典礼憲章は指摘します(2)。その上で典礼憲章は、「典礼は教会のうちにある人々を日々、主における聖なる神殿、聖霊における神の住まいに築き上げ、キリストの満ちあふれる豊かさに達するまで成長させるのである。同時に典礼は、キリストをのべ伝えるために彼らの力を驚くほど強め、こうして外にある人に対しては、諸国民の中に掲げられたしるしとして教会を示」すと指摘しています(2)。

     教会共同体の典礼を豊かにすることは、一人ひとりの霊的成長のために不可欠であると同時に、力に満ちた福音宣教のためにも不可欠なのです。

     考えられる事項はいくつもありますが、中でも以下の点に取り組みたいと考えています。

     

    6:イベントの豊かさだけではなく、霊的にも豊かな共同体の育成

    7:信仰の多様性を反映した典礼の豊かさの充実

    8:文化の多様性を尊重した典礼の豊かさの充実

     

    3-3:「愛の奉仕を行うこと」

     使徒言行録には初代教会のあり方が、次のように記されています。

     「信者たちは皆一つになって、すべての物を共有にし、財産や持ち物を売り、おのおのの必要に応じて、皆がそれを分け合った(使徒言行録2章44-45節)」。

     教会はそのはじめから、共同体として愛を実践し、互いに支え合ってきました。キリスト者が個人として愛の業を実践することは大切ではありますが、同時に教会は全体として、「秘跡とみことばをないがしろにすることができないように、愛の奉仕をないがしろにすることもできません(神は愛22)」。

     東京教区においても、多くの方々が個人として様々な愛の奉仕に関わっておられます。また教区にも、様々な取り組みが存在しています。それらを総合して、教区共同体全体の愛の奉仕の業として、一度見直してみる必要があるのではないでしょうか。

     そこで以下の点に取り組みたいと思います。

     

    9:教区全体の「愛の奉仕」の見直しと連携の強化

    10:東日本大震災への取り組みに学ぶ将来の災害への備えの充実

     

    ≪以下、第2部へ続く。≫
    ※第2部は、7月に掲載される予定です。

    東京大司教 タルチシオ菊地功
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