港品川宣教協力体合同堅信式説教

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    2017年10月15日、年間第28主日、麻布教会

    [聖書朗読箇所]

    主イエスは、神の国の福音を、いろいろなたとえ話によって、説明されました。
    最近の主日の福音は、3回ほど続けて、『ぶどう園』に関するたとえ話です。
    『ぶどう園の主人と農夫のたとえ話』が先週(年間第27主日)、その前は、『ぶどう園に招かれたふたりの息子のたとえ話』(年間第26主日)、さらに、3週間前は、『ぶどう園で働く労働者のたとえ話』(年間第25主日)でした。

    ぶどう園というのは、神様が、わたしたちを派遣して、働く場所、人々を招いて、神様のみ心を行わせるための世界を表していると思われます。
    わたしたちは、この世界、ぶどう園に遣わされ、そちらで、神様のみ旨に従って、良い実を結ぶようにと、期待されています。

    今日は、「王が王子のために催す婚宴のたとえ話」です。
    今日の話に出てくる王は、父である神様、御子イエス・キリストのために、婚宴を催すということを伝えている話であると思われます。
    『婚宴』、あるいは、『宴会』という主題は、聖書を通して、たびたび登場します。
    今日の第一朗読、イザヤ書では、万軍の主が、すべての民を招く祝宴が述べられています。
    「万軍の主はこの山で祝宴を開き
    すべての民に良い肉と古い酒を供される。
    それは脂肪に富む良い肉とえり抜きの酒。
    主はこの山で・・・(省略)・・・
    死を永久に滅ぼしてくださる。
    主なる神は、すべての顔から涙をぬぐい
    御自分の民の恥を 地上からぬぐい去ってくださる」(イザヤ25・6-8)。

    神様が、わたしたちを、その喜びの宴会に、招いてくださるという、喜ばしい福音が、すでにイザヤ書で、述べられています。

    さらに、黙示録の中では、次のように言われています。
    「子羊の婚宴に招かれている者たちは幸いだ」(黙示19・9)。

    神の国が完成したときのイメージを持って、神様は、すべての人を、ご自分の宴会に招いてくださるという、喜びの便りを告げています。この言葉をわたしたちは、聖体拝領の前に唱える祈り、「神の子羊の食卓に招かれた者は幸い」として唱えています。

    さて、今日のたとえ話の後半です。
    礼服を着ていない者は、外の闇に放り出されてしまう、と言うのです。
    王は、家来を遣わして、いろいろな人を王子の婚宴に招きましたが、人々はいろいろな理由をつけて、招きを断ります。
    そこで、王は、良い人であっても、悪い人であっても、誰でも良いから、呼んできなさいと命じます。そして、部屋がいっぱいになるほどの人が、婚宴の席に連なることになった。急に呼ばれて、身なりを整える余裕もないままに連れてこられた人に対して、礼服を着けていないことをとがめられるということであるならば、それは、よく分からない話であるということになりはしないでしょうか。

    この、「礼服」は、何を意味しているのでしょうか。
    人生には、いろいろと重要な場面、例えば「死」という場面がありますが、いつ、どのようにして、その場面が自分に訪れるのかということを、わたしたちは、よく知ることはできない。
    たぶん、そのことを教えているのかもしれない。いつでも準備していなければならない。いつでも、そのときが来たら、そのときを、よく迎えることができるように、心を整え、生活を整えていなければならない。わたしたちは、そのようにしなければならないのだと思います。

    恐らく、この礼服というのは、文字通りの、立派な、婚宴のときに着ていく服というよりも、王の招きに、いつでも応えることができるような、準備のことを指しているのではないかと思います。準備とは、心の準備、生活の準備のことではないかと思います。
    ふさわしい心、それは、神の招きに、いつでも応えようとする信仰、そして、自分が至らないものであるということを、よくわきまえる、謙遜さ、神の恵みへの感謝、そして、神の国の完成へと、自分が連なることができるという希望を表しており、そして、そのような心構えで、日々誠実に生きる、日々の愛の実行ではないかと思います。

    今日、ご一緒に献げている、このミサは、神の国の完成の宴会の前触れ、かたどりであると言われます。
    ミサというのは、主として、『ことば』の食卓と、父である神との親しい交わりを示す『感謝』の食卓から成り立っていますが、ご聖体をいただくときに、ふさわしい準備をして、主の御からだをいただきます。
    それは、ちょうど、神の国に最終的に入るときのことを、あらかじめ、表していると考えることができます。

    さて、今日、堅信を受けられるみなさんは、『福音を宣教する』という使命を授かります。福音宣教とは、すべての人を、神の国の宴会へ招くということであると、言い換えることができます。

    「神様は、すべての人を、ご自分の幸せ、ご自分の喜びの集いに招いてくださっています。ですから、いつもふさわしい心で準備していなさい。生活も整えなさい。」
    そのようなことを、人々に教え、伝えることが、福音宣教ではないかと思います。