聖職者の集い・聖ペトロ聖パウロのミサ説教

2017年6月26日、東京カテドラル

[聖書朗読箇所]

6月の最後の月曜日、東京教区は聖職者の日とし、そして、司祭の叙階25年、50年、更に60年のお祝いをし、聖ペトロ・聖パウロのごミサをお献げいたします。

「あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない」。
有名な言葉です。わたしたちの教会は、ペトロという岩の上に建てられました。
このペトロ、ひとりの人間としての弱さを担い、ご承知のように、主イエスを三度も否んだ人でした。しかし最後は、立派な殉教の死を遂げました。

もうひとりの人、パウロは、ご承知のように、キリスト者を迫害しておりましたが、復活したイエスに出会い、熱烈な異邦人の人となり、殉教いたしました。
今日の第二朗読は、パウロが殉教を前にして、自分の心境を語っている箇所であるとされています。
「わたしのうちに生きているのは、もはや、自分ではなく、キリストである」と、パウロは断言するまでに至ったのでした。

このふたりの人の信仰を、わたしたちは受け継ぎ、同じ信仰をすべての人に宣べ伝え、証しするという使命を受けております。

さて、わたくしども、東京教区は、数々の課題を持ちながら、主イエス・キリストから使徒たちに授けられた教会の建設という務めを、困難のうちにも、一生懸命務めているところです。
東京教区において、わたしたち司祭は、何度も相談し、「信仰を宣べ伝え、証しするという使命は、司祭、奉献生活者だけでなく、信徒も含めたすべての信者の務めである」という共通理解を得た上で、今度は、「すべての人が、福音宣教という使命を実行することができるように、司祭は環境を整え、教え、励ますようにしよう」と話し合おうとしているところです。

10月の下旬には、司祭集会を予定しておりますが、その中で、更に話を煮詰めていき、そして、来春復活祭の後すぐに、『入門講座・信仰講座担当者養成講座』(仮称)を開始したいと考えております。
その際、難しい言葉を使わなくとも、自分の言葉で、自分が信じたことを、その時、その場所で、人々に現し、伝えることができるよう、お互いに励まし合い、そうできるよう、「実習の機会を設けようではないか」ということも話し合っています。

ところで、福音宣教ということは、言葉で福音を宣べ伝えるということだけではなく、わたしたちの生活、わたしたちの仕事、わたしたちの存在を通して、イエス・キリストの生き方を人々に表し、伝えることでもあります。

いま、日本の社会で、どのようなことが、一番問題であり、どのような問題を、わたしたちは緊急で重要な問題として、取り組まなければならないのでしょうか。
わたくしは、そのひとつが〈いのち〉という課題であり、もうひとつは、〈平和〉という課題ではないかと思います。
どのような宗教を信じる人にとっても、あるいは、宗教を信じない人にとっても、〈いのち〉の尊さ、そして、〈平和〉の大切さは同じではないかと思うからです。

〈いのち〉ということについて考えてみますと、日本では自殺をする人(自死者)が非常に多く、かつて、14年間にわたって、自死者が3万人を超えていました。
たしか、1998年から14年間、その後、政府をはじめ、色々なかたの努力もあり、自死者の数は減ってまいりました。
しかし、若者については、あまり改善されていないとのことです。15歳から34歳までの人たちの、自殺する人の人数が、非常に多いと言われております。この年齢の人たちの死因の第一位は、病気ではなく、自殺であるということです。この背景には、「いまの社会の生きづらさ」ということがあるでしょう。
更に、自分の存在を評価できない、自己肯定感の低さということがあると指摘されています。
「頑張りなさい」と言われて頑張っても、上手くいかない。頑張った末に、疲れ切ってしまう。その人たちに、更に「頑張りなさい」と言うことは、何の効果もないと言われています。
それよりも、「あなたは非常に大切な人なのだ」ということを実感できるような、そのような状況、環境が、必要ではないでしょうか。

わたしたちの宗教は、「神様が、わたしたちひとりひとりを造り、ひとりひとりを掛け替えのない存在として、大切に思っていてくださる」ということを信じる宗教です。
「あなたの髪の毛1本も、神様は知っているよ。あなたは他に替えることのできない、掛け替えのない大切な存在なのだよ」というメッセージを、わたしたちは受け取っているのです。
苦しんでいる人、落ち込んでいる人に、「がんばれ」、「このようにした方が良い、あのようにした方が良い」ということは、むしろ言わない方が良いようでして、まず先に、あなたの存在は、わたしたちにとって大切であるということを表し、伝えることが大切であると思います。

まして、わたしたちは、神を信じる者でありますので、「わたしたちの神は、あなたのことをよく知っているよ。大切に思っているよ」、そのようなメッセージを表し、伝えなければならないのではないかと思います。

それは、もちろん、まず司祭、奉献生活者の務めですが、信徒も含めた信者全員で、「毎日出会う、いろいろなかたがたに、そのようなメッセージを現し、伝える。決して、押し付けたり、指示したり、非難したりしないで、その人の存在を大切に思う」というわたしたちの働きを行うべきであり、そのことを行うことが、最も大切な、教会の福音宣教ではないかと思うのです。

使徒ペトロ、使徒パウロの殉教を記念する今日、ふたりの信仰の証しを引き継ぎながら、いまの日本で、わたしたちが行うべきことは何であるかということを、今日、深く心に刻み、分かち合いたいと思います。

聖書朗読箇所

第一朗読 使徒言行録12・1-11
第二朗読 二テモテ4・6-8、17-18
福音朗読 マタイ16・13-19

(福音本文)
イエスは、フィリポ・カイサリア地方に行ったとき、弟子たちに、「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」とお尋ねになった。
弟子たちは言った。「『洗礼者ヨハネだ』と言う人も、『エリヤだ』と言う人もいます。ほかに、『エレミヤだ』とか、『預言者の一人だ』と言う人もいます。」
イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」シモン・ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。
すると、イエスはお答えになった。「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」

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