京葉宣教協力体合同堅信式説教

2017年6月18日、キリストの聖体の祭日、市川教会

[聖書朗読箇所]

今日は、キリストの聖体の祭日です。
ヨハネの福音の6章が読まれましたが、イエスの言葉は、ユダヤ人には躓きであり、弟子たちにも、受け取りにくい言葉でした。

「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を受ける」(ヨハネ6.54)
と言われました。

ユダヤ人はびっくりした。「どうして、この人の肉を食べたり、血を飲んだりすることができるのだろう。冗談じゃない」という感じであったかもしれません。
弟子たちも、「一体、何をおっしゃっているのだろう。分からない」と思い、多くの弟子たちは、「もう、付いて行けない」と、イエスから離れて行った。
イエスは、十二人の弟子に向かって聞きました。
「あなたがたも、わたしから去って行くのか」。
「いいえ、わたしたちはあなたに従います。あなたをおいて、だれのところへ行きましょうか」。

ペトロが格好良く答えた。ペトロはそのように言ったが、イエスの言葉の意味、真意を理解していたわけではなかった。でも、この先生に付いて行く。そのような気持ちを、なお強く持ち、その決意を表明しました。

この前の日曜日の福音は、三位一体の主日の福音でして、どのような内容であったかと言いますと、
「神はこの世を愛し、わたしたち人間を愛された。そして、ご自分の命に招いておられる。非常に愛して、掛け替えのない独り子、イエスをお遣わしになった。イエスを信じる者が、みな、永遠の命に至るようにと、お考えになった。」
そのような福音でした。

今日は、その続きです。神様は、すべての人を、ご自分の「いのち」に招く。ご自分の幸せに招きたい。
ただ、その神様のお気持ちを知り、そして、受け入れ、感謝しなければ、人は、神の「いのち」に与ることができない。
受け入れようとしない、信じようとしない限り、神様といえども、人を強制することができない。人の心を、無理に動かすことはなさらない。
それでも、神様は、人が信じてくれるように、あらゆる手立てを尽くされた。そして、ナザレのイエスという人を遣わし、人々に、神の国の福音を説き、更に、イエスがご自分の体を十字架につけられること、十字架の上で、御血を流すことさえ、拒まれませんでした。
弟子たちは、後になって、このイエスの言葉の意味を悟ったのでしょう。

今日、キリストの聖体の日、ご聖体をわたしたちは信じ、ご聖体拝領をいたします。ご聖体は、ミサの中で、司祭によって聖別される。司祭の唱える聖体制定の言葉も、司祭は必ずこの言葉を唱え、みなさまは必ずその言葉を聞き、そして、その後、司祭が「信仰の神秘」と言います。

司祭の唱える言葉は、それは、どのような言葉でしょうか。
「皆、これを取って食べなさい。
これは、あなたがたのために渡される
わたしのからだである。」
《イエスのからだ》、それは、あなたがた、つまり、わたしたちのために、十字架につけられる体です。

「皆、これを受けて飲みなさい。
これは、わたしの血の杯、
あなたがたと多くの人のために流されて
罪のゆるしとなる新しい永遠の契約の血である。」

この言葉の中に、わたしたちの信仰の中心が凝縮されています。
イエスが十字架にかかり、そして、血を流されたのは、わたしたちの罪の赦しのためです。
わたしたちは、罪の赦しをいただきます。罪の赦しをいただくわたしたちは、心からの感謝を献げましょう。
ミサは、感謝の祭儀とも言います。ミサというのは、神様の恵み、イエス・キリストのみわざに、心から感謝を献げる。一緒に感謝を献げ、神を賛美する、典礼の儀式です。

神様は、わたしたちをご自分の「いのち」に招く。しかし、わたしたちは、どんなに頑張っても、神様に完全に満足していただけるような、神様のみこころに適うような人間になることができないのではないか。聖書の歴史は、人々が神様の招きに応えきれない、それどころか、神様の招きを拒む人々の歴史でした。

わたくしは、若いとき、キリスト教に出会い、信者になり、そして、司祭になりました。
信者になったときの気持ちを思い出してみると、あのときの方が熱心であった気がします。進歩しているはずだが、そのような実感がない。人には、神様の教え、イエス・キリストの教え、聖書の教えを説いていますが、自分の説いている信仰をどれだけ、実行できているだろうか。本当に恥ずかしい。
そのような自分でも、神様は、赦し、受け入れてくださっている。罪の赦し、そして、わたしたちに永遠の「いのち」を与えてくださる。その信仰で、わたしは、毎日歩んでいるのだ、と思います。

今日、堅信を受けられるみなさん、この世界の中で、キリスト教の信仰を守って生きるということは、決して易しいことではない。
イエス・キリストは、いつも、わたしたちとともにいてくださる。そして、励まし、力付けてくださいます。
それは、聖霊の派遣によります。堅信は、聖霊の賜物を授け、生涯に渡って、イエス・キリストの弟子として、力強く歩むことができるようにしてくださる秘跡です。

今日の堅信式を、生涯思い起こし、大切にしていただきたいと思います。

聖書朗読箇所

第一朗読 申命記8:2-3、14b-16a
第二朗読 一コリント10:16-17
福音朗読 ヨハネ6・51-58

(福音本文)
〔そのとき、イエスはユダヤ人たちに言われた。〕「わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」
それで、ユダヤ人たちは、「どうしてこの人は自分の肉を我々に食べさせることができるのか」と、互いに激しく議論し始めた。
イエスは言われた。「はっきり言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物だからである。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる。生きておられる父がわたしをお遣わしになり、またわたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる。これは天から降って来たパンである。先祖が食べたのに死んでしまったようなものとは違う。このパンを食べる者は永遠に生きる。」

説教へ戻る