吉祥寺教会堅信式説教

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    2017年6月11日、三位一体の主日、吉祥寺教会

    [聖書朗読箇所]

    聖霊降臨の次の主日が、今日、三位一体の主日です。
    「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同と共にあるように」。
    いま、読まれました、第二朗読の中にある、このパウロの言葉が、わたしたちのミサの開祭のときに、司祭が唱える招きの言葉となっており、わたしたちの、「父と子と聖霊」の神への信仰告白を表しています。

    ヨハネ福音の3章、この箇所は、ヨハネの福音の中でも、よく知られている箇所です。イエスとニコデモとの対話の延長の中で、イエス・キリストの教えの中心、真髄となる教えが告げられています。

    第一朗読で述べられていますように、父である神、イスラエルの神は、いつくしみ深い神です。
    『いつくしみの特別聖年』を、わたしたちは献げましたが、その、神のいつくしみは、御独り子、イエス・キリストの派遣、その生涯によって、完全にあらわされました。

    御父は、独り子、主イエスを世にお遣わしになり、そして、わたしたちと同じ人間とされ、御子の十字架の死を耐え忍ばれました。それ故に、主イエスがすべての人のために、救い主となられたのです。
    神が独り子をお遣わしになったのは、すべての人が救われるため、すべての人がイエス・キリストを信じて、永遠のいのちに至るためです。
    御子、イエス・キリストを信じる者は、永遠のいのちに移され、そして、神のいのち、救いにあずかる者とされます。ここに、わたしたちの信仰告白の中心があると思います。

    今日、堅信を受けられるみなさんは、この教会の信仰を人々にのべ伝えるという使命を授かり、そして、そのために必要な恵み、聖霊の賜物をお受けになるのです。

    改めて、今日ご一緒に考えてみましょう。
    わたしたちは、何を信じているのか。どのように信じているのか。わたしたちの信仰を、自分の言葉と自分の生活であらわし、伝えなければなりません。自分の心で受け止めた、神の言葉。それを、自分の言葉で、人々に分かる言葉であらわし、伝えなければならないと思います。

    わたしたちは、信仰講座、入門講座などに出席し、入信の秘跡を受ける準備をして、洗礼を受けました。その際、いろいろな言葉で信仰の説明を受けたと思います。そのわたしたちの受けた信仰を説明する言葉を、更に、自分の心の中で咀嚼し、自分の血肉とし、そして、自分の言葉で、人々に伝えなければならない、と思います。
    もし、自分の言葉で自分の信仰を伝えるとしたら、どのように述べたら良いのかということを、今日、堅信を受けられるみなさんは、特に考えていただきたい。

    福音宣教ということは、司祭や奉献生活者だけの任務ではなくて、洗礼を受け、堅信を受けた人、全員の務めですので、自分であれば、このような言葉で自分の信仰をあらわし、伝えるということを、考え、用意していただきたい。
    信仰をあらわし、伝えるということは、まず言葉により行われますが、行いによって、自分の信仰をあらわすのでなければなりません。

    わたしたちの信仰の中心には、「神は愛である。」という信仰告白があります。この信仰はわたしたちの心に注がれている聖霊の働きによります。その、神の愛を信じているわたしたちが、自分の生活の中で、神の愛をあらわし、実行しなければ、神の愛が人々に伝わっていくことは難しいでしょう。

    言葉と行いが一致しない人の信仰を、人々は、なかなか認めてくれないのではないかと思います。

    日本カトリック司教協議会は『いのちへのまなざし』増補新版、という教えの書を発行しました。これは2001年に出した、日本の司教たちの教えを、大幅に書き改めたものです。
    是非、みなさんに読んでいただきたい。

    その中に出てくる項目のひとつに、《子どもの貧困》という言葉があります。
    豊かな国であると思っていた日本で、いま、子どもたちが、貧困という状態に置かれています。《相対的貧困率》いう言葉が出てきていますが、子どもたちの何割かは、人間の基本的な必要、「食べること」「治療を受けること」などにおいて、非常に足りない状態に置かれている。「教育を受ける機会」も不十分である。そのようなことが、いろいろなデータから説明されている訳です。

    更に、もうひとつ、わたくしの心に訴えている事実は、日本の子どもたちは、「自分に価値がある」という思いを持つことが少ない。自分を肯定する気持ちが弱い。「自分は大切な存在だ」、「自分は必要とされている」、「自分は人のために役に立つ人間だ」などという思いを、なかなか持つことができない子どもが増えている、というように報告されています。

    神の愛、それは、すべての人に注がれる愛であり、「どのような人も、あなたは大切な存在であり、あなたは必要とされる存在なのですよ」ということをあらわし、伝えています。

    日本の教会の宣教ということを、毎日考えておりますが、わたしたちの教えは、もしかしたら、説明が難しいのかもしれません。

    しかし、わたしたちが、本当に信じている神の愛を、毎日の生活の中で実行するならば、ひとりひとりの人が、価値のある、かけがえのない存在であるということを、言葉と行いであらわし、伝えていくならば、多くの人は、わたしたちの生き方を認め、そして、わたしたちと一緒に歩んでいただけるようになるのではないでしょうか。
    そのように、言葉と行いにおいて、神の愛、イエス・キリストの教えを実行することこそ、日本の福音宣教、福音化の務めであると、わたくしは思い、今日、堅信を受ける方々は、是非、「あなたの福音宣教は、どのようにすることなのか」ということを、具体的に考えていただきたいと思います。
    よろしくお願いします。