合同堅信式ミサ説教

2017年6月4日、聖霊降臨の祭日

[聖書朗読箇所]

今日、わたしたちは、聖霊降臨の日を迎え、2017年の合同堅信式を行います。

いま、ヨハネの福音の20章による聖霊降臨の次第が読み上げられましたが、堅信の秘跡は、弟子たちが受けた、「聖霊降臨」という素晴らしい出来事を、わたしたちに与え、伝える秘跡です。

聖霊降臨の様子は、使徒言行録、第一朗読で伝えられました。それに対して、ヨハネの福音は、復活と聖霊降臨の出来事を、あたかも、1つにつないでいるかのように語っています。

ここで注意したいことは、弟子たちの変り様です。弟子たちは、恐れ、おののき、不安な状態にありました。ユダヤ人を恐れていた。そして、恐らく、先生、イエスを見捨ててしまった。裏切ってしまったという、後ろめたさ、あるいは、負い目を持っていたからではないでしょうか。

そのイエスが、彼らの隠れ家に現れて、
「あなたがたに平和があるように」と言ってくれた。
「弟子たちは、主を見て喜んだ」とあります。
この喜びの体験が、わたしたちの教会の出発にあります。

わたしたちは、言わば、この弟子たちの喜びの体験を、いまここで追体験して、また派遣されていくのであります。
復活したイエスは、弟子たちに、息を吹きかけて言われた。
「聖霊を受けなさい。」
聖霊、聖なる霊です。霊とは息です。そこで今日のヨハネが言う「聖霊」とは、イエス・キリストの息によって表されています。
わたしたちも聖霊を受け、聖霊によって、罪を赦し、そして、使徒としての働きを行うための力を受けます。
ヨハネの福音は、使徒たちが受けた経験を伝えておりますが、使徒たちの体験を、教会は多くの人に延長させました。
その結果、特定の人だけの体験ではなくて、数え切れない多くの人々、場所と時間を越えて、まったく同じ恵みが与えられるようにと、典礼が執行され、秘跡が与えられるのです。
この後、洗礼の約束の更新をしていただきます。そのとき、司式者がお尋ねする言葉、それは、まず、「悪霊と、そのわざと誘惑を退けますか」ということです。
洗礼を受けたときに、みなさんは、ご自分で、あるいは、代父、代母を通して、「退けます」とお答えになりました。そして、信者としての歩みを続けて来られました。
「誘惑を退ける」という約束をしたわけですが、この世の中には、さまざまな誘惑があります。誘惑というのは、外にある問題だけではなく、わたしたちの心の中にもある問題です。
本当に、誘惑を退けて来たのだろうか。そのようなわたしを、神は赦し、受け入れてくれるだろうか。そのような思いが、わたしたちの胸をかすめるかもしれません。

使徒たちが受けた使命、それは、「罪の赦し、神の愛を伝える」という使命です。同じ使命を、わたしたちも受けています。わたしたちの教会は、「罪の赦し」ということを、非常に大切に教えている。
洗礼によって、すべての罪の赦しを受けました。しかし、それで、罪の問題が終わったわけではなく、わたしたちは何度も、また「罪の赦し」を受けなければならない。
このようなわたしを、本当に神様は愛してくれているのだろうか。
「罪」という言葉も、場合によっては分かりにくい。主の祈りで、「罪をおゆるしください」と祈りますが、「負い目」をおゆるしください、とも翻訳されています。
「負い目」と言った方が、わたしたちの文化の中では分かりやすいかと思います。
もっと分かりやすいのは、「恥」という言葉です。「恥」と「罪」は同じであるとは言えませんが、「恥」という言葉を、わたしたちは、非常に敏感に感じることができるからです。
この罪深い、恥ずかしい、このわたしを、神は、それでも愛し、受け入れ、赦してくださる。
この信仰を持って、日々歩みます。罪を犯す人間であるわたし、そして、罪であるかどうかは別として、弱い、もろい、わたしたちです。そのわたしたちが、イエス・キリストの弟子として、歩むことができるように、聖霊の助けが与えられる。
それが、今日の堅信式です。

今日のミサの奉献文の中では、一つの言葉が付け加えられています。
即ち、「今日、堅信の秘跡を受け、聖霊を注がれた人々が、主イエスの弟子として、歩み続ける恵みをお与えください。」という言葉です。

「『人を愛する』ということは、大変なことです。人間にはできなくとも、神にはできないことはない。
そのおかげで、この至らないわたしが、神様から愛されている者であり、周りの人から大切にされ、赦してもらっている存在であるということを、思い起こしましょう。
そのおかげで、この至らないわたしが、神様から愛されている者であり、周りの人から大切にされ、赦してもらっている存在であるということを、思い起こしましょう。
そのようにしていただいているのだから、わたしたちもそのようにできるはずだし、そのようにしなければならないと思います。

更に、日本の社会で、わたしたちはこのような愛を表し、伝えていかなければならないと思います。
ここに一つの本があります。日本カトリック司教団発行『いのちへのまなざし』(増補新版)。これは、いまの日本の社会、家庭で、「いのち」というものが、どのような問題にぶつかっているのか、そして、どのような課題があるのかということを、分かりやすく、丁寧に語っている、司教全員の合意による教えの文書です。
これを、今日、堅信を受けられるみなさんは、特にお読みになり、ご自分の生活の中で、一つでも良いですから、何かいのちを大切にするために、実行するようにしていただきたいと思います。
ひとりでお読みになるのではなく、ご一緒に読んで話し合うということもできれば、更に良いことです。
よろしくお願いします。

聖書朗読箇所

第一朗読 使徒言行録2・1-11
第二朗読 一コリント12・3b-7,12-13
福音朗読 ヨハネ20・19-23

(福音本文)
その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。そう言って、手とわき腹とをお見せになった。
弟子たちは、主を見て喜んだ。イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」
そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」

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