東日本大震災復興祈念ミサ「思いつづける 3.11」

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    2017年3月11日、東京カテドラル

    [聖書朗読箇所]

    説教

    大震災が起こって間もなくのことでした。日本に住んでいたカトリック信者の7歳の少女、エレナさんが教皇ベネディクト十六世に手紙を出したところ、その手紙がイタリアのテレビ番組で取りあげられました。
    その手紙は、
    「日本に住む子ども達はどうしてこんなに怖い思いをしなければならないのでしょうか、神様とおはなしされる皇様、どうか神様に聞いてください」
    というような質問だったのです。

    「その質問に答えることはわたしにもできません。けれどもわたしたちは知っています。イエスは罪がないにもかかわらず苦しみをお受けになりました。イエスのうちにご自分を現わされた神様は皆さんの苦しみをご存知です。皆さんを愛しています。神様は皆さんの傍にいてくださいます。世界中の人々が皆さんとともにいてくださいます。今は大震災が起こったその理由はわかりませんが、何時かわかるときが来ると信じています。」

    教皇はおよそこのようにお答えになりました。わたしはこの教皇様の誠実な応答に非常に感動しました。(教皇ベネディクト十六世「霊的講話集2011」より)
    わたしもこの問題はわたしたちの信仰の試練であると感じました。

    今日は聖書から二つの箇所を取り上げご一緒に味わいたいと思います。

    まずローマ書5章です。
    ここでは、被造物の解放が述べられています。人間だけでなく、被造物も「滅びへの隷属」の状態にあるとパウロは述べています。
    「滅びへの隷属」とは何を意味しているのでしょうか。神が造った世界はきわめて善い世界です。しかし世界に悪が侵入し、神の計画のなかで神の御心に沿わない部分が出てきています。神の国の秩序が乱されています。この世界に見られる乱れ、「不秩序」が「滅びへの隷属」ではないでしょうか。
    パウロによればこの世界も隷属から解放されるときが来ます。それは神の創造の計画の中に織り込まれています。黙示録他で「新しい天と新しい地」の到来が告げられています。(黙示録21章1-7、イザヤ65・17,66・22参照)

    本日の朗読でパウロは言います。
    「 わたしたちは、このような希望によって救われているのです。見えるものに対する希望は希望ではありません。現に見ているものをだれがなお望むでしょうか。わたしたちは、目に見えないものを望んでいるなら、忍耐して待ち望むのです。」(ローマ8・24-25)

    この希望を新たにして下さるよう、慈しみ深い神に祈りましょう。

    本日の福音は、教会の看板などでよく見るイエスの言葉です。
    「 疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」(マタイ11・28)

    犠牲者・被災者・避難者の皆さんは大きな苦しみ、悲しみという重荷を担っています。その皆さんの傍に復活した主イエスは一緒にいてくださいます。このわたしたちの信仰の根拠は復活の主イエス・キリストのうちにあります。キリストはわたしたちの人生を苦しみのない快適な人生にしてくださるという約束はしてくださいませんでしたが、ともに「軛」を負ってくださると約束してくださいました。

    わたしは思います。復活したキリストはわたしたちの中におられます。わたしたちを通して生き働かれます。わたしたちが寄り添いと助け合うならば、そこには復活したキリストの恵みが働き、イエスご自身がそこにいてくださいます。
    キリストは最後の日に決定的に来てくださる。しかし今既にわたしたちの間に来て神のいつくしみと愛を示してくださっています。この信仰は世界を神のお望みにかなう現実に変化させるための戦いでもあります。

    主の祈りでわたしたちは
    「わたしたちを悪からお救いください」
    と祈り、その後司祭は副文でさらに祈ります。
    「いつくしみ深い父よ、すべての悪から、わたしたちを救い
    現代に平和をお与えください。
    あなたのあわれみに支えられ罪から解放されて、
    すべての困難にうち勝つことができますように。
    わたしたちの希望、救い主、イエス・キリストが来られるのを待ち望んでいます。
    アーメン。」

    震災の被災者と被災地と連帯しながら、勇気をもって、信仰と希望のうちに困難に立ち向かえることができますよう祈、聖霊の導きを祈りましょう。