2016年カテドラル献堂記念ミサ

2016年12月8日、無原罪の聖マリア
東京カテドラルにて

[聖書朗読箇所]

説教

今日は無原罪の聖マリアの祭日であります。以前は、「無原罪の御宿り」と言っておりました祭日でありますが、今日のミサの意味、主旨は、集会祈願ではっきりと示されております。
即ち、おとめマリアは、御子のふさわしい母となるために、はじめから、罪の汚れのない者とされました。そのマリアの取り次ぎを求めて、わたしたちは祈るわけです。
「マリアが、すべての汚れを免れたように、わたしたちも清い者となり、主なる神、父である神のもとに近づく者となることができますように。」そのように願って、この御ミサをお献げしたいと思います。

この東京カテドラルは、無原罪の聖母に献げられた教会であります。2014年に、献堂50周年のお祝いをいたしました。
このカテドラルを建設するために、多大な努力をされ、尽力をされたのは、白柳誠一枢機卿様であります。
白柳枢機卿様は、2009年の12月30日に父なる神のもとへ旅立たれました。12月30日は御命日でありますが、「毎年12月8日に白柳枢機卿様のことを思い起こしましょう。」ということにしております。
白柳枢機卿様は、81歳で亡くなられました。その生涯を振り返ってみますと、長い年月、司教、大司教、枢機卿として重責を担われ、東京教区の選任者であるだけではなく、司教協議会の会長を長く務められ、また、諸宗教者による平和の建設のために尽力されました。
今日、改めて、白柳枢機卿様の生涯を思い起こし、いつくしみ深い神が、枢機卿様の生涯に豊かに報いてくださるようにと、祈りたいと思います。

ところで、この東京カテドラルは、ケルン教区の多大な支援によって建てられた大聖堂であります。東京教区とケルン教区は、友好関係を結び、互いに助け合い、祈り合うという、姉妹の教区になっております。ケルン教区は、非常に大きな教区でありますが、第二次世界大戦によって、甚大な被害を受けました。
しかしながら、そのような状況でも、日本の教会のため、特に東京教区のために、多大なる犠牲を払ってくださったのであります。両教区の友好関係がちょうど40周年を迎えたとき、わたくしたちは、ケルン教区を訪問いたしました。その同じ年に、ケルンから、マイスナー枢機卿様の一行が、わたくしたちを訪問してくださったのであります。

ケルン訪問の際に、わたくしもケルンのみなさまにお話する機会がありましたので、何回か、日本語でしたが、お話をさせていただきました。
そのときに、日本の社会は、どのような状況にあるのかということをお話し、日本では、非常に自殺者が多いということをお話したのであります。いま、自殺というよりも、自死という方が良いということになっております。そして、当時、毎年3万人を超える自殺者が報告されていました。その「3万」という数字に、ドイツの方は驚いて、1桁違うのではないでしょうかと言われたことを、いま思い出すのであります。
幸い、3万人を超える自殺者は、最近、3万人を割るようになりましたが、依然として高い数字を示しており、自殺に至らなかった未遂者は、既遂者の何倍、十倍以上いるのではないかと推定されています。そういう日本の社会の中で、わたしたちは、人々の励まし、安らぎ、支えとなる教会を作っていきたいと思います。

わたしたちは、神に祈り、イエス・キリストを信じ、そして、マリア様にお祈りを献げますが、同時に、わたしたちの間の、人と人との間の、温かい、安らぎのある人と人とのつながりを作っていくべきではないかと思います。
神とのつながりは、まず、人と人とのつながりに反映され、そして、人と人とのつながりは、神とのつながりへと高められていかなければならないと思います。東京、そして、この日本という社会は、あたかも、荒れ野のような状況にあると思います。まさに、現代の荒れ野ではないだろうかと思います。

教皇ベネディクト十六世が、即位なさったときのお話の中に、この「荒れ野」という言葉が、出てきました。わたくしは、教皇様の教えに倣い、わたしたち教会は、現代の荒れ野における、「泉」、あるいは「オアシス」とならなければならない。ある程度はなっているわけです。かなりなっているかもしれませんが、依然としてわたしたちは弱い、そして、罪深い者でもあると言えます。無原罪の聖母の祭日、わたしたちは、聖母のように、汚れのない者となれますようにというお祈りをお献げします。
そう祈るということは、わたしたちがそうなっていないということを意味しているわけであります。しかし、悪いところばかり見ないで、既にわたしたちがいただいている神の恵みを思い起こしましょう。わたしたち、兄弟姉妹の中に、そのような神様の恵みが、既に与えられている、その恵みに感謝し、その恵みを与えてくださった、主なる神様を賛美したいと思います。

今日の第二朗読、そして、詩編唱和の中にも出てきました、エフェソの信徒への手紙の中に、次のような言葉があります。
「天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。」
わたしたちは、そのようにして、選ばれた者であり、わたしたちは、主イエス・キリストの贖いの恵みを被っている者であります。この信仰を新たにしたいと思います。
おとめマリアが天使を通して告げられた、神のお告げに対し、「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」と答えられましたが、このおとめマリアの信仰に倣い、わたしたちも様々な困難の中に「お言葉どおり、この身に成りますように。」と申し上げることができるようでありたいと思います。

様々な課題、困難の中、神の恵みが働いているということを、更に固く信じ、希望を持って歩んでいきましょう。
そして、このカテドラルが、現代の砂漠における、泉であり、オアシスであるという働きをより良く果たすことができますよう、わたしたち一同、力を合わせ、ご一緒にお祈りをお献げいたしましょう。

聖書朗読箇所

第一朗読 創世記3・9-15,20
第二朗読 エフェソ1・3-6,11-12
福音朗読 ルカ1・26-38

(福音本文)

〔そのとき〕天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。
天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。
すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。 彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」
マリアは天使に言った。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。神にできないことは何一つない。」
マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。

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