教区の歴史

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下井草教会堅信式説教

2016年10月09日

2016年10月9日

[聖書朗読箇所]

説教

下井草の教会のみなさま、今日このごミサに参加しておられますみなさん、ご承知のように、わたくしどもは、教皇様のご意向に従って「いつくしみの特別聖年」を祝っております。11月20日「『王であるキリスト』の祭日」に閉幕いたします。  
わたしたちの神は、いつくしみ深い方であるという信仰を深めるように、そして、その信仰を実行するようにと、教皇様は望んでおられます。  
イエス・キリストは、父である神、いつくしみの神の、目に見えるみ顔であります。神様がどんなにいつくしみ深い方であるかということを、主イエス・キリストが、その生涯を通して、わたしたちに教え、示し、そして、実行してくださいました。  

さて、今日の福音を見ましょう。  
イエスの一行は、ガリラヤからエルサレムへ上る旅行をしておりました。そして、サマリアを通られたときに、十人の重い皮膚病の人と出会います。この出来事の中に、「神のいつくしみ」、主イエスが行われたいつくしみのみわざが示されているのであります。
イエスは、癒されたサマリア人に言われました。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った」。この言葉は、十人の中の一人のサマリア人に向かって告げられた言葉であります。このサマリア人は、どんなに喜び、どんなに感謝したことでしょうか。この恵みをくださった神様を、大いに褒め称え、賛美したのであります。  わたしたちには、このような劇的な体験は無いかもしれませんが、同じような感謝と賛美の体験、信仰を通していただいた恵みへの感謝と賛美を行うことができると思います。  

「あなたの信仰があなたを救った」という言葉は、本当に、わたくしどもにとって、大きな恵み、大きな力を与えてくださいます。ちょっと考えてみますと、主イエスは、他の方々にも、同じような言葉をお与えになりました。  
「罪深い女」と呼ばれている女性に対して、「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。」(ルカ7・50)  

出血が止まらないで、何年も苦しんでいた女性がいました。彼女に向かって、「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。」(ルカ8・48)  
更に、ルカの福音のすぐ後になりましょうか、エリコで出会った目の見えない人に、「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを救った。」(ルカ18・42)。そう言われました。  
イエスの言われた言葉通りに、人々は癒やしを与えられたのであります。この人たちの信仰、深い信仰、主イエスへの素朴な、強い信頼、そのような信仰を、わたくしたちもいただきたいと思うのであります。  

今日、堅信を受けられるみなさん、「堅信」は「信仰を堅くする」と書きますね。既に、信じておられます、その信仰を、より深い、より確かな、より強いものにしていただくための秘跡が、堅信であります。  
「知恵と理解、判断と勇気、神を知る恵み、神を愛し、敬う心」、この「七つの聖霊の賜物」を授ける秘跡であります。今日を境に、かなり信仰の強い人になるのです。

今日は、更に、福音を読んで、わたくしが特に感じましたことを一つお伝えしたいと思います。  
「重い皮膚病」と言う言葉は、従来は「らい」、あるいは「らい病」と訳されていました。しかし、「らい」という言葉は、人々に不快感を与え、差別を助長させます。  
日本政府も、「らい予防法」という間違った法律があるということに気付き、廃止いたしました。  
どんなに多くの人が、病人は元より、家族、関係者が、苦しい、嫌な思いをして、過ごしてきたでしょうか。「らい予防法」は廃止されましたが、なかなか社会復帰が難しい、そのような現状であります。  

聖書には、この「らい」の人がたびたび出てきますが、「らい」はギリシャ語の原文では、「lepra(レプラ)」であります。旧約聖書にある「皮膚病の人」、「ツァラアト」という言葉なのですけれども、これが、ギリシャ語に訳すときに、「lepra(レプラ)」となりました。  
医学が進歩して、この病気を引き起こす病原菌が発見されました。発見者の名前を取って、「ハンセン病」、あるいは「ハンセン氏病」というようにもなりました。  
しかし、どうも聖書の中で、「十人のハンセン氏病の人」というのも、ちょっとそぐわない。「らい」、あるいは「ハンセン病」、どう訳しても難しい。それで、非常に苦労して、「重い皮膚病」と訳すようになったのです。  
「重い皮膚病」というと、ずいぶんとぼんやりとした印象になってしまいますが、聖書に出てくる「重い皮膚病」が「ハンセン病」と同じであるかどうか、ということは、今の医学では、確認できていないこともあって、「重い皮膚病」となっております。  

この人たちの被っていた苦痛、被害は、大変なものであった。自分自身の身体の変形、人に見られたくないような体の状態、それだけではなくて、人から忌み嫌われ、退けられる、一緒に暮らすことはできない、共同体の中には住めなくて、端の方に隔離されて、特に、旧約聖書の世界において、誰かに近づくときは、「わたしは汚れた者です」と叫ばなければならない、とされていました。どんなに屈辱的な思いをしたでありましょうか。  

「善きサマリア人のたとえ」を、みなさんはご存知だと思います。サマリア人とユダヤ人は、お互いに仲が悪い。口も利かない間柄であるということを、みなさまは知っていますよね。そして、「重い皮膚病」。  
二重に差別され、排斥されていたこの人が、イエスの一言によって、清くされ、癒されました。司祭のところに行って、自分が癒されたことを証明し、そして、社会復帰をしても良いという許可をもらうようになっていたそうです。このサマリア人は、まずイエスのところに来て、ひれ伏して感謝した。  
この出来事は、イエスがエルサレムに上る旅行中に起こった出来事の一つであります。  

「あなたがたの父がいつくしみ深いように、あなたがたもいつくしみ深い者となりなさい。」(ルカ6・36)  
わたしたちが、毎日の生活の中で、このいつくしみを実行するとしたら、どうすることであろうか。  
この「重い皮膚病のサマリア人」に当たる人はいないかもしれないが、良く見てみれば、良く考えてみれば、社会の中で、後回しにされたり、仲間に入れてもらえなかったり、いじめられたり、蔑まされている人たちがいるのではないでしょうか。  
そのような人に対して、わたしたち自身がいつくしみ深い者として、日々の生活を、神様にお献げできますように。 今日、堅信を受けられるみなさま、「信仰を強くしていただく」ということは、このサマリア人のように勇気を持って、主イエスにお願いし、そして、受けた恵みを感謝し、賛美する人になるということでございますので、どうぞ、この堅信の恵みを、生涯保ち、恵みに応えるようにしていただきたい。お願いいたします。