教区の歴史

教区の歴史

コルカタの聖テレサ列聖記念ミサ説教

2016年09月20日

2016年9月19日15時、東京カテドラル聖マリア大聖堂

[聖書朗読箇所]

説教

本日の第二朗読は、ヨハネの手紙であります。
ヨハネは繰り返し、「神は愛である」と述べています。
父である神は御子イエスを遣わし、イエスの御顔によって神の愛、すなわち神のいつくしみを示されました。誰も神を見た者はおりません。イエスを見る者は、イエスを遣わされた父である神を見るのであります。
父である神は、御子の生涯によって愛するということを教えてくださいました。
主イエスは、自分が弟子たちを愛した愛、その同じ愛によってお互いに愛し合うよう、お命じになっております。そしてそうできるように、イエスの愛を行うことができるように、ご自分の霊である聖霊をわたしたち教会に注いでくださっているのであります。
ヨハネの手紙が言っておりますように、実に目に見える兄弟を愛さない者は目に見えない神を愛することができません。
わたくしたちは日々、兄弟を、隣人を愛するようにと召されております。
隣人を愛することは、すなわち主イエス・キリストにお仕えし、主イエス・キリストを愛することに他なりません。
今読まれました、マタイの福音25章は、「最も小さい者の一人にしたことは、わたしにしてくれたことなのである」(マタイ25・40)と述べています。
さて、わたくしどもの教皇フランシスコは、「いつくしみの特別聖年」を公布する大勅書のなかで、このマタイ福音書25章の教えを引用しております。
「いつくしみの特別聖年」にあたり、イエスの弟子たちは、より深く神のいつくしみに触れ、そして、神のいつくしみを実行するように強く求められております。
教皇はいつくしみの技について、身体的な(corporal)行いと精神的な(spiritual)行いに分けて説明しております。
両者は、はっきり峻別できるものではなく、本来、お互いに通じ合うものであって、実(じつ)は一つのものであるとは思います。
身体を通して行ういつくしみの御業とは
飢えている人に食べ物を用意すること、
渇いている人に飲み物を与えること、
着るもののない人に衣服を与えること、
宿のない人に宿を提供すること、
病んでいる人を訪問すること、
受刑者を訪問すること、
更に、死者を埋葬すること
と述べられております。
また、精神的なスピリチュアルないつくしみの技と言えば、例えば次のような行いであります。
疑いを抱いている人に助言すること、
無知な人に教えること、
罪人を戒めること、
嘆き悲しんでいる人を慰めること、
いろいろな侮辱をゆるすこと、
煩わしい人を辛抱強く耐え忍ぶこと、
生者と死者のために神に祈ること
などであります。

この教えは本日の第一朗読イザヤ書58章の教えと一致しております。
わたくしには特に次の箇所が強く心に響いております。
「軛を負わすこと、指をさすこと
呪いの言葉をはくことを
あなたの中から取り去るなら
飢えている人に心を配り
苦しめられている人の願いを満たすなら
あなたの光は、闇の中に輝き出で
あなたを包む闇は、真昼のようになる。」(イザヤ58・9-10)

日々、このような神の愛を生き、神のいつくしみを実行するためには、自分自身を無にし、たえず古い自分に死に、新しい人として生まれ変わる努力が必要であり、そのための祈りが献げられなければならないと思います。
たまたま、わたくしは、マザーテレサの祈りという祈りを見つけました。長い祈りですがその冒頭の部分だけ紹介いたします。*

イエスよ、どうか、わたしを解放してください。
評価されたいという思いから、わたしを解放してください。
イエスよ、重んじられたいという思いから、ほめられたいという思いから、他の人よりも好まれたいという思いから、相談されたいという思いから、認められたいという思いから、どうかわたしを解放し、救ってください。

聖テレサは、この祈りを献げながら、毎日古い人に死に、新しい人として生まれる努力をしておられたのではないかと思います。
わたくしは、同じようにこの祈りの趣旨をもっと深く理解し、そして自分自身のための祈りとして大切にしていきたいと思いました。

*祈りの英語原文の全文は以下のとおりです。

“Deliver me, O Jesus:

From the desire of being esteemed
From the desire of being loved
From the desire of being honored
From the desire of being praised
From the desire of being preferred to others
From the desire of being consulted
From the desire of being approved
From the desire of being popular.
Deliver me, O Jesus:
From the fear of being humiliated
From the fear of being despised
From the fear of being rebuked
From the fear of being slandered
From the fear of being forgotten
From the fear of being wronged
From the fear of being treated unfairly
From the fear of being suspected
And, Jesus, grant me the grace
To desire that others might be more loved than I
That others might be more esteemed than I
That in the opinion of the world, others may increase and I decrease
That others may be chosen and I set aside
That others may be preferred to me in everything
That others may become holier than I, provided that I, too, become as holy as I can.”

(Mother Theresa,  A Simple Path)