教区の歴史

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府中教会設立25周年ミサ説教

2015年07月12日

2015年07月12日 年間第15主日 府中教会にて

[聖書朗読箇所]

説教

府中教会設立25周年、おめでとうございます。

今日の聖書朗読のなかよりエフェソ書の次の言葉が目に留まりました。

「天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。」(エフェソ4・2)

誰にとっても大きな問いかけ、それは、次のような問いではないでしょうか。

「わたしたちは何故この世に生まれてきたのか。」「わたしたちは何処から来て何処に行くのか。」「わたしたちの終わりはどうなるのか。」

この問題へ答えるために、今日のエフェソ書の教えは助けとなります。

「わたしたちの存在は神の計画のよるのです。天地創造の前に神はわたしたちを選びました。それはイエス・キリストによってわたしたちを神の子とするためです。わたしたちはキリストの血によって贖われ罪の赦しを受けています。神の救いの業が完成するとき、すべてのものはキリストにおいて一つに集められます。聖霊によってわたしたちはすでに神の国を受け継ぐ保証を受けているのです。」(エフェソ1・3-14の要約)

このような壮大な神の計画の中で、イエスは12人を選び出し、12人を派遣しました。マルコ福音書3章12節、13節の言葉に基づけば、彼らは、悔い改めるようにと、福音を宣べ伝え、また多くの悪霊を追い出し、多くの病人に油を塗って癒したのでした。

この宣教の働きは、人々を愛する神の御心を伝え示すため、また神の愛を実行するためでありました。

すべての存在は神から出ています。神は存在するものをすべて愛しています。知恵の書は言っています。

「あなたは存在するものすべてを愛し、お造りになったものを何一つ嫌われない。」(知11・24-25)

神はわたしたちをご自分の幸せに与かるように招いています。・・・わたしたちが生まれてきたのは神を知り、神の幸せに与り、神のいのちに与り、神の至福に入るためです。(『カトリック教会のカテキズム』1718-24参照)

わたしたちはこの神の計らいを堅く信じ、その証しを立てなければなりません。

とはいえ、この神の愛を信じる、ということは易しくはありません。わたしたちはたえず種々の難しい現実、つまり病気、災害、貧困、飢餓、紛争、人権侵害、差別・・・などの悪の問題に取り囲まれています。

しかし、だからこそ、わたしたちはこの現実の中では神の愛の証人とならなければならないのです。

教会の使命はイエス・キリストの復活と救いの「しるし」となることです。「しるし」とは救いの完成の状態そのものではありません。それを指し示し、人々に、信仰と希望を呼び起こす何か、です。

イエスは言われました。

「あなたがたは、地のであり世の光である。」(マタイ5・13-14)

東京教区は、現代の荒れ野における泉、オアシスであり、また迷い悩やむ人々のための「地の塩」「世の光」であるという使命を受けていると、わたしは考えます。

この使命をよく果たすことができますよう、聖霊の照らし、導き、助けを求めて祈りましょう。