聖ペトロ聖パウロ使徒の祭日説教

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    2015年6月29日ペトロ・パウロ聖職者の集い 東京カテドラルにて

    [聖書朗読箇所]

    説教

    今年は、日本の司教団の使徒座定期訪問(アド・リミナ)の年となりましたので日本の司教たちは3月にローマへ行き、聖ペトロと聖パウロのお墓参りをしてきました。  
    聖ペトロと聖パウロ、両使徒は教会の礎、柱とたとえられる偉大な使徒です。二人は異なる使命を受け、ペトロは12使徒の頭となり、パウロは異邦人の使徒となりました。  
    しかし、二人の生涯を振り返りますと共通している点は、二人はともにローマで殉教したことです。  
    またもう一つ大切な共通点があります。それは、二人ともイエスに対して重大な過ちを犯している、という点です。言うまでもなく、それは、ペトロのイエスに対する裏切り、とパウロのイエスへの敵対行為です。  
    このような重大な問題を過去に持つ二人が偉大な殉教者となったことを、わたしは励ましと慰めと感じます。  

    さてこの日を迎えるにあたり、わたくしは、東京教区、いや日本の教会は大きな試練の中に置かれている、と感じます。  

    わたしたちが日々唱える主の祈りは「わたしたちを誘惑に陥らせず、悪からお救いください」という祈りで結ばれます。  
    ミサではその後、司式司祭は副文で次のように祈ります。「いつくしみ深い父よ、すべての悪からわたしたちを救い現代に平和をお与えください。あなたの慈しみに支えられ、罪から解放されて、すべての困難にうち勝つことができますように。わたしたちの希望、救い主イエス・キリストがこられるのを待ち望んでいます。」  
    これはわたしたちの真摯な日々の願いです。  
    使徒パウロの出会った困難は実に多大なものでした。パウロは自分の労苦を列挙しています。(二コリ11・16-30)   
    それは筆舌に尽くし難い試練の数々でした。パウロは不屈の力をもってこの困難に耐え抜きました。何が彼を試練に立ち向かう動機と力となったのでしょうか。  

    それはパウロの自己理解、すなわち、「自分は復活した主イエスと出会った者であり、イエスから使徒の召命を受けた者である」という強い意識であったと思います。イエスは自分の内に生きておられると彼は強く自覚していました。  

    パウロは断言しています。「生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。」(ガラ2・20)  
    パウロは地上のイエスには出会っていません。それどころか、激しく神の教会を迫害したものです。  
    イスカリオテのユダの後継者を選出する際の選ばれうる者の資格は「主イエスがわたしたちと共に生活されていた間、つまり、ヨハネの洗礼のときから始まって、わたしたちを離れて天に上がられた日まで、いつも一緒にいた者の中」(使1・21-22)の者でなければならなかったのです。  
    明らかにパウロはこの条件に該当しません。パウロの回心はイエスの処刑の数年後だと考えられます。  

    しかしパウロは復活したイエスに会い、そのイエスから「異邦人の使徒」に任じられたと主張し、ペトロを初めとするイエスの使徒たちはパウロの使徒職の正当性を認めることになったのです。  
    パウロのローマ書の冒頭のことばは、キリスト・イエスの僕、神の福音のために選び出され、召されて使徒となったパウロ」(ロマ1・1)となっています。ここでパウロは自分の使徒職の正当性を強く主張しているのです。  

    さて、わたしたちは自分を何者と認識しているでしょうか。自分の召命は何である、と考えているでしょうか。  

    わたしたちは21世紀の日本で福音を宣べ伝え、キリストの弟子をつくるために選ばれ派遣されています。主イエスは、ご自分が再臨する決定的なときまで、わたしたちと共にいてくださいます。弱いわたしたちを強め、罪深いわたしたちに赦しと癒しを与え、悪との戦いへと励ましてくださいます。  
    わたしたちもパウロに倣って次のように言える者でありたいと思います。  
    「わたしは戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、信仰を守り抜きました。今や、義の冠を受けるばかりです。今や、義の冠を受けるばかりです。正しい審判者である主が、かの日にそれをわたしに授けてくださるのです。しかし、わたしにだけでなく、主がこられるのをひたすら待ち望むひとには、だれにでも授けてくださいます。」(きょうの第二朗読二テモ4・7-8)  
    わたしは、東京教区の召命は、現代の荒れ野における泉でありオアシスであること、また迷い、悩み、苦しむ人々のための「地の塩」、「世の光」である、という使命を遂行することであると考えています。  
    その召命のなかででわたしたち司祭はどのような役割を担うものでしょうか。  

    今年の秋10月の「司祭集会」でこの課題を取り上げて、皆さんと一緒に考え話し合いたい、と思います。万障お繰り合わせの上、是非ご参加ください。また集会の成果のために教区の皆さんのお祈り、ご支援を切にお願いする次第です。  

    なお7月14日より、司祭・助祭の皆さんと個人面談を行います。日ごろお考えになっていることについて直接お話を伺います。お忙しい中恐縮ですが、よろしくご配慮くださるよう、お願いします。