教区の歴史

教区の歴史

聖霊降臨の主日・築地教会歴代教区長追悼ミサ説教

2015年05月24日

2015年5月24日 築地教会にて

[聖書朗読箇所]

説教

過越祭から50日目の五旬祭の日、弟子たちの上に聖霊が注がれました。弟子たちは聖霊に満たされて力強く主イエスの復活の出来事を証言しました。この日を期して教会が誕生したのです。

教会は聖霊に導かれ教えられて主イエスの福音を宣(の)べ伝えるために設立され、世界中に派遣されました。

聖霊は「弁護者」と呼ばれ、また「真理の霊」と呼ばれます。主イエスの教えである福音をわたしたち人間が宣べ伝えることができるのは、ひとえに聖霊の働きによります。

ところで今日の第二朗読でパウロは「肉と霊の対立」について述べています。
「肉の望むところは、霊に反し、霊の望むところは、肉に反する」(ガラテヤ5・17)と言っています。「肉」とは、「肉体」ということでなく、人間の自己中心の傾向、神の霊の勧めに反する乱れた欲望の動きに支配されている状態を指しています。

肉の業とは、性的な乱れ、敵意、怒り、利己心などを言います。今日の第二朗読のガラテヤの教会への手紙では、16種類の肉の業がリストアップされています。

わたしたちは日々、肉の業の誘惑に曝されています。日々自分の心の状態を調べて、聖霊による清め、励ましを祈りましょう。

「これに対して、霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。これらを禁じる掟はありません。キリスト・イエスのものとなった人たちは、肉を欲情や欲望もろとも十字架につけてしまったのです。 わたしたちは、霊の導きに従って生きているなら、霊の導きに従ってまた前進しましょう。」(ガラテヤ5・22-25)

わたしたちの上にも同じ聖霊の賜物が注がれているはずです。しかし聖霊は機械的・自動的に働くのではありません。わたしたちに信仰がなければ実を結ぶことはできません。

聖霊の導きを受けるための準備が必要です。準備とは信仰であり、節制、欲望を制御すること、よく祈ること、などの霊的生活です。聖霊が注がれても心が欲望で覆われてしまっているならば聖霊の働きが妨げられてしまいます。

人生は困難であり、時として残酷なことにも出会います。誘惑が多い日々です。このすばらしい聖霊の賜物に目覚め、賢明で勇敢に日々を生き抜くことができるよう、いつも祈るように致しましょう。

さて本日は歴代の東京大司教様方を追悼致します。

築地教会は、1874年11月22日、聖霊降臨後最後の日曜日に、聖ヨゼフを保護者として聖堂が献堂されました。築地の宣教が始まって3年後のことでありました。

1877年、築地教会に司教座がおかれ、オズーフ司教が着座し、築地教会は司教座聖堂となり、1920年、司教座が関口教会に移されるまで築地教会は日本の教会の宣教の拠点であり東京大司教区の中心でありました。

第1代東京大司教 ピエール・オズーフ大司教(1891-1906年)
第2代東京大司教 ピエール・ザヴィイーニ・ムガブル大司教(1906-1910年)
第3代東京大司教 フランソワ・ボンヌ大司教(1910-1912年)
第4代東京大司教 ジャン・ピエール・レイ大司教(1912-1927年)

の四人の大司教が築地教会を司教座聖堂として築地教会に居住されてその任に就かれていました。きょうわたしたちは歴代の大司教様方の福音宣教の努力を思い、心からの感謝をお奉げ致します。

教会の使命は福音宣教です。困難の多い現代世界において、人々に福音の喜び、福音の力を伝えることができますよう、ご一緒に聖霊の賜物を祈りましょう。

なお9月12日(土)午後2時と10月17日(土)午後2時に、本郷教会でわたくし岡田による福音宣教の講演会が予定されています。是非ご参加ください。