教区の歴史

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荘厳司教ミサ(アクション同志会)説教

2014年11月08日

荘厳司教ミサ(アクション同志会)説教
―東京カテドラル献堂50周年記念―

東京カテドラルにて

[聖書朗読箇所]

説教

先日わたくしは「臨時世界代表会議」(シノドス)に参加するためにヴァチカンに行き、三週間ほどヴァチカンの中にあるサンタ・アンナという宿舎に滞在しました。

サンタ・アンナは聖ペトロ大聖堂の隣、南側に位置しています。毎日、ミサやお祈りのために聖ペトロ大聖堂の中に入りました。実に立派で壮麗な大聖堂です。

ヴァチカンは使徒ペトロの殉教の地で、ペトロを記念するためにこの聖ペトロのバジリカが立てられています。大聖堂の前、東側は、聖ペトロ広場で、ここで教皇様の司式するミサがささげられ、また一般謁見もこの広場で行われていました。
 
ところでこの聖ペトロ大聖堂は、使徒ペトロが使徒たちの頭であるというカトリック教会の信仰理解を主張し、現している大聖堂です。その信仰理解の根拠とされる聖書の箇所の一つが実に今日の福音の箇所なのです。

イエスはペトロに言われました。

「わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。」(マタイ16・18)

わたしたちの教会はペトロという岩の上に建てられました。

ところで同じマタイ福音書の16章の、今日の朗読箇所のすぐ後をみますと、ペトロはイエスから「サタンと言われて、激しく叱責されています。

「イエスは振り向いてペトロに言われた。「サタン、引き下がれ。あなたはわたしの邪魔をする者。神のことを思わず、人間のことを思っている。」(マタイ16・23)

またご存知のようにペトロはイエスのご受難に際して脆くも「イエスを知らない」と言って、イエスを否んでしまった人なのです。このような人がどうして教会を建てるための基礎である岩となりうるのでしょうか。

殉教者のミサの叙唱で司祭は唱えます。

「弱い人間の中にあなたの偉大な力が示され、十字架の道を行く者の中に、人の知恵をはるかに越えるあなたの愛が輝き出ます。」

ペトロが教会の岩となったのは、ペトロの力によるのではありません。実にイエスが彼を選び、彼に力を与え、「陰府の力もこれに対抗できない」(マタイ16・18)といわれて、ペトロとその教会に、悪に打ち負かされない力をお与えになっているからです。

教会の弱い人間の集まり、罪人の集まりです。弱い罪人を通してはたらかれるのは、父と子と聖霊の三位の神様です。

使徒パウロは、今日の朗読箇所で、以下のような趣旨を言っています。

わたしたちはキリストという土台の上に神の神殿を建てるのです。キリスト以外の土台は意味がありません。まったく無効な神殿であります。わたしたちはそれぞれ聖霊を受けて、聖霊の神殿となり、教会がキリストのからだ、父なる神にささげられた壮麗な神殿となるのです。

わたくしは2000年に東京大司教に就任しましたときに皆さんに申し上げました。

「わたしたちの教会がすべての人に開かれた共同体、とくに弱い立場におかれている人々、圧迫されている貧しい人々にとって、やすらぎ、なぐさめ、はげまし、力、希望、救いとなる共同体として成長するよう、力を尽くします。」

またたびたびいろいろな機会に次のようにも申し上げました。

「東京教区が現代の荒れ野のオアシスあるいは泉となるように務めましょう。」

今日はさらに申し上げます。

神はキリストの死と復活においてわたしたちへの限りない愛を示されました。神は信者をいつも新しくし、あたらしい力を与えてくださいます。預言者イザヤは言っています。

「疲れた者に力を与え、勢いを失っている者に大きな力を与えられる。若者も倦み、疲れ、勇士もつまずき倒れようが主に望みをおく人は新たな力を得、鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない。」(イザヤ40・29-31)

キリストはいつもわたしたちとともにおられ、わたしたちに力を与え、新たにしてくださいます。この信仰と希望によってこれからも一緒に歩んでまいりましょう。(教皇フランシスコの使徒的勧告『福音の喜び』11番などを参照)

今年12月8日に東京カテドラルは献堂50周年を迎えます。

このカテドラルは東京教区の中心の教会です。カテドラルを通して、キリストの光、キリストの恵み、力が人々に伝えられ、悩み悲しみ病み苦しむ人々を癒し慰め励まし、キリストを信じて歩む喜びで満たしてくださるよう、聖母の取次ぎによって主キリストに祈ります。アーメン。