ミカエル祭・堅信式ミサ説教

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    2014年9月28日 松戸教会にて

    [聖書朗読箇所]

    説教

    今日の福音でイエスは言われました。「はっきり言っておく。徴税人や娼婦たちの方が、あなたたちより先に神の国に入るだろう。」(マタイ21・31)

    徴税人と娼婦はいわば代表的な罪人でした。罪人とは神のおきてを守らない人たちです。彼らは蔑まれ嫌われ,唾棄すべき汚れた者として排斥されていました。 イエスはこの罪人たちと食事をし、一緒に過ごし、罪人の仲間とされていたのです。ルカの福音によりますと、イエスは、「大食漢で大酒飲み、徴税人や罪人の仲間」とされたのです。(ルカ7・34参照)

    徴税人とは取税人とも訳されています。マタイ福音の著者マタイは徴税人でした。彼らは外国の支配者であるローマ帝国あるいは領主から税金を取り立てることを委託され、割り当てられた税額以上の税金を取り立てて、私腹を肥やし、ユダヤ人から憎しみを買っていました。

    娼婦とは遊女とも訳されています。ギリシャ語の原文を見ますと、「売る」という言葉に由来していることが分かります。人々から汚れた罪の女として蔑まれていました。 イエスはこの話を祭司長や民の長老に話しました。 

    ぶどう園は神から遣わされた人間が働くべきこの世界です。祭司長・民の長老たちは洗礼者ヨハネを受入れず、またイエスも信じませんでした。彼らは自分たちになんら回心すべき必要を認めていませんでした。神の律法を守っている正しい人間であると自負していたとおもいます。

    他方、徴税人・娼婦は常日頃から自分たちの所業を罪と認め、後ろめたい思いにとらわれていました。彼らは自分の罪を認めることには吝(やぶさ)かではなかったのです。

    祭司長・民の長老と徴税人・娼婦の間にあった大きな相違は、罪の自覚の有無です。祭司長・民の長老たちは、ヨハネの呼びかけも、イエスの神の国の宣言も、自分のこととしては受け止めていません。

    他方、徴税人・娼婦は、自分からすすんで仲間となってくれ、一緒に排斥を受けてくれたイエスの言葉を信じたのでした。

    ぶどう園に行って働くとは何を意味しているのかと考えて見ますと、イエスによって示された神の愛、罪人の自分を受入れてくださっている神の愛を受入れるということではないか、と思います。

    イエスは神と等しい者でありながら自分を無にして僕の姿をとり、軽蔑されていた罪人の仲間となって、人々の嘲りと蔑みの対象となったのでした。(フィリピ2・6-7参照)

    「何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい。」(フィリピ2・3)

    このパウロの言葉を大切にしたいと思います。今日これから堅信の秘跡を受けられる11人の方は特にこのパウロの言葉を心に深く刻んでください。 人を蔑み見下す心から救ってください、と祈りましょう。