教区の歴史

教区の歴史

チェレスティーノ・カヴァニャ神父納骨式ミサ説教

2014年05月29日

2014年5月29日 府中墓地にて

[聖書朗読箇所]

説教

2014年4月14日、聖週間の月曜日、チェレスティーノ・カヴァーニャ神父は突然帰天されました。まだその日から一ヵ月半しか経っていませんが、本日ここにチェレ神父のご遺骨を埋葬することとなりました。

チェレ神父の60年の生涯の中で36年が日本における宣教にささげられました。36年の中で24年間は東京教区のために働かれました。11年間は教区本部で事務局長・秘書として直接、東京大司教を助ける任務に携わりました。思いがけない急逝で本当に残念です。

チェレ神父は教区事務局長としては、長年の懸案であったカテドラル構内再構築(ペトロの家の建設、カテドラルの大改修、教区本部移転など)のために多大なエネルギーが求められる日々を過ごし、その間2年以上、構内に仮住まいをしていました。立川教会に転任しても、長年の懸案の司祭館・信徒館の建て替えに取り組み、工事期間中は近くの借家に仮住まいでした。本当に、仮住まいの多い日々でした。ストレスが多く、ゆっくり体調を整える暇とてない慌しい日々を送っていたと思います。

やっと、建築の課題も終わり、これかからは日本における福音宣教に専念できる、とチェレ神父は考えていた、と思います。

福音宣教者としてチェレ神父は福音を日本文化で咀嚼し説明するために努力しました。遺品の中に「道元と聖フランシスコの比較研究」いう修士論文が見つかりました。

それにもかかわらず、まだ道半ばで、主のもとへ旅立たなければならなかったのは、かえすがえすも残念であります。

地上の人生にはどうしても解決できない不幸や病気、災害などがあります。イエスは、病気の苦しみはもちろんですが、人間の生きる辛さ、悲しみ、苦しさを受けとめ、分かち合って生きた人でありました。イエスは、この世界と人間に刻みこまれている「ゆがみ」を凝視し、ゆがみを背負いながら、神の子として生きる道を示し、復活への信仰と希望を説きました。

今日のヨハネの福音でイエスは言います。

「はっきり言っておく。あなたがたは泣いて悲嘆に暮れるが、世は喜ぶ。あなたがたは悲しむが、その悲しみは喜びに変わる。」(16:20)

イエスの言われた「喜び」とは「復活の喜び」です。いま教会は復活節を過ごし、まもなく、主の昇天、そして後10日で聖霊降臨の祭日を迎えます。

わたしたちの使命は、この困難な現実の中で、主イエスの福音を宣べ伝えながら、日々復活の光と希望を灯し続けることであります。

聖霊の導きを願って祈りましょう。

わたしたち教会が日々復活されたキリストを指し示し、人々への励ましと希望を伝えることができますように。

アーメン。