世界召命祈願の日・復活節第4主日説教

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    2014年5月11日 東京カテドラルにて

    聖書朗読箇所

    第一朗読 使徒言行録2・14a、36-41
    第二朗読 一ペトロ2・20b-25
    福音朗読 ヨハネ10・1-10

    説教 

    今日は復活節第4主日で、「良い牧者の主日」と呼ばれ、毎年、ヨハネ10章から「羊と羊飼い」のたとえが読まれます。

    イエスは言います。「わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである」(ヨハネ10・10)、また10章11節では「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる」と言われました。

    良い牧者イエスは羊であるわたしたちが豊かな命を得るために来られました。そのためにいのちすら惜しまれませんでした。イエス・キリストは、十字架にかかり、自らその身にわたしたちの罪を担い、わたしたちに罪の赦しをもたらし、わたしたちを神のいのちに与らせてくださったのです。本日の第二朗読で使徒ペトロが教えるとおりです。

    「(キリストは)十字架にかかって、自らその身にわたしたちの罪を担ってくださいました。わたしたちが、罪に対して死んで、義によって生きるようになるためです。」(1ペトロ2・24)

    旧約聖書は牧者の役割を繰り返し説き起こしています。イスラエルの民、とくに弱い立場に置かれた人々を守り、その訴えを聞き、貧しい民に奉仕することがイスラエルの指導者、とくに王たちの役割でありました。しかし、彼らの多くは神から託された任務には不忠実であり、「神の目には悪とされることを行った」と聖書のなかでたびたび非難されています。

    エゼキエル34章で次のような牧者は災いであると非難されています。

    その牧者とは「群れを養わないで自分を養う牧者、弱いものを強めず、病める者を癒さず、傷ついたものを包まない牧者。追われた者を連れ戻さず、失われた者を捜し求めず、かえって力ずくで、苛酷に群れを支配する牧者」(エゼキエル34・2-4)のことです。

    今日は世界召命祈願の日です。召命とは神様からの呼びかけです。わたしたちはきょう、あらためて神様がわたしたちに何を呼びかけているのか、神様の呼びかけは何であるのか、ということをよく考え、神様の呼びかけによく応えることができますよう祈らなければなりません。

    今日の福音の続きでイエスはこう言われています。

    「わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしに従う。」(10・27)

    わたしたちは皆、イエス・キリストの羊です。羊は飼い主の声を聞き従わなければなりません。主キリストの声を聞くとはどういうことかといえば、何よりまず「祈る」ということだと思います。

    「祈る」とは神の声を聞く、ということです。それはまた聖書を読み味わい、そして神のみ旨を実行するということです。

    み言葉はわたしたちの、心という土地にまかれた種です。それはしばしば「悪い者に奪い取られたり、苦難に阻まれたり、世の思い煩いや誘惑のために枯れたりする」(マタイ13・19-22参照)ことがあるとイエス自身が忠告しています。」(「第51回世界召命祈願の日教皇メッセージ」より)

    召命はすべての人への神様の呼びかけです。召命のない人はいません。すべての人に神様は呼びかけています。

    「みことばに耳を傾け、みことばを受け入れ、みことばを生き、実りを育むことによって、自分自身の心が『よい土地』となるよう備えましょう。」(同教皇メッセージより)  

    現代の荒れ野で多くの人が孤立し孤独に苦しんでおります。現代の荒れ野において多くの人が迷い悩み、生きがいを失いつつあります。無縁社会と呼ばれる現代の荒れ野において、わたしたち教会は、一人一人のいのちの尊さを訴え、守り、人々のための希望のしるしとなりたいと思います。砂漠のオアシスとなりたいと切望します。苦しみ嘆き迷う人々の友となり、癒し、包み、力つけるという牧者の働きをしたいと願います。

    皆さん、ご一緒にこの教会の使命に励むことができますよう、聖霊の導きを祈りましょう。