十字架のヨハネ井上洋治神父通夜説教

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    2014年3月17日 東京カテドラルにて

     

    十字架のヨハネ井上洋治神父様は3月8日、主のもとに召されました。今夜は、神父様の生涯を偲びながら、神父様が生涯かけて求め続けたことが何であったのか、静かに思いをめぐらし、静かな祈りと黙想のひと時をすごしたいと存じます。

    2011年7月11日のことです。麹町教会にて井上洋治神父さんとわたくし岡田との公開対談会が行われました。多くの方々が参加し、井上神父さんは大変お元気に、かなり乗ってお話になりました。

    対談と言っても実はインタヴューだったということになりますが、井上神父さんは自分が生涯かけて取り組んだ課題について、分かりやすく砕けた表現で熱をこめて語られました。ほぼ三年足らず前のことです。

    わたくしが神父さんと初めてお会いしたのは、たぶん1964年ころ、50年も前のことです。当時神父さんは真生会館の司祭で、学生の指導をしていました。その後東京カトリック神学院で神学生の指導を担当され、わたくしはちょうどそのとき神学生だったので、同じ建物で一緒に生活することになりました。当時はたぶん著作の構想を練っておられたのかも知れません。

    1976年(昭和51年)、神父さんは『日本とイエスの顔』と言う著書を持ってご自分の思索と祈りの結果を世に問われました。そのときわたくしはローマで「宣教の霊性」ということを勉強しておりました。早速取り寄せて熟読したものです。

    井上神父は「キリスト教の日本風土への植え付け」と言う課題に生涯をささげたと言えるでしょう。「植え付け」ととりあえず言いましたが、この課題をどのような表現で表現するかが、まず問題です。今日の用語で言えばinculturationでしょうか。

    『日本とイエスの顔』のなかでわたくしがもっとも引かれた部分は次の表現です。

    「キリスト教は文字を媒介として入ってきたのではなく、西欧のものの考え方や文化の歴史をその血の中に受けついでいる、宣教師という生きた人間を媒介として日本に入ってきたのでした。したがってキリスト教だけは、これを日本的に受けとめるということが許されず、ヨーロッパ人が受けとめてきたその西欧的形態のまま日本人はこれを受けとめることを強いられたのでした。そこに日本人が・・・キリスト教だけは頑強にこれを拒否し続けてきたもっとも大きな理由があると思います。カトリック、プロテスタントの別なく、明治来のキリスト教は、いわば苗を植えつけるのではなく、西欧という土壌で育って西欧キリスト教と言う大木をそのまま日本の土壌に植えつけようとしていたと言えるでしょう。」(同書63ページ)

    大木の移植は容易ではありません。種まきから、あるいは苗植えからはじめなければならないのです。

    日本では聖書はかなりの部数が売れているのです。問題はいかにして現代の日本に住む人々に、「ナザレのイエス」をプレゼンテーションするか、と言うことだと思います。 

    2010年7月15日、わたくしはて井上神父さんとお会いしお話をお聞きしました。そのとき神父さんは、わたくしの前任者であった白柳大司教の任命書を私に返されたのです。そのもう茶色に変色している任命書には、1986年、井上師を「インカルチュレーション・オフィス」担当司祭に任命する旨が記されていました。

    そして「自分は『風の家』を主宰してきたが高齢のためにその任に堪えないので退任したい」言われました。

    今夜井上神父さんを偲びお別れする通夜の祈りにおいて、神父さんの生前の言葉を思い起こし、静かに、日本のこれからの福音宣教(福音化)の在り方を考えてみたいと思います。