アレルヤ会クリスマス会ミサ説教

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    2013年12月21日 本郷教会

    [聖書朗読箇所]

    説教

    クリスマスが間近となってまいりました。

    待降節第4主日の「マタイによる福音」が読まれました。

    この中でヨセフという人の話が出てきます。ヨセフはマリアの夫となった人であり、イエスの父・養父とされた人です。

    東京カテドラルの庭にヨセフのご像があります。大聖堂の向かい側・西側の一番端に建っています。ヨセフ像は左の手を胸に当てています。そして像の台座には「受け容れるヨセフ」という銘が入っています。

    ヨセフは自分のいいなずけが妊娠したので大変悩んだに違いないです。そして、秘かに縁を切ろうと決心しました。ところが、天使が夢に現れて「マリアにやどった子は聖霊によるものである」と告げました。

    「受け容れるヨセフ」というのは、その夢の前なのか、夢のお告げを受けた後なのか分かりませんが、「どうしたことだろう」、「どうしたらいいだろう」と思い悩んだに違いないわけです。

    しかし、夢の中でお告げを受けてヨセフは眠りから覚めると主の天使が命じた通り妻を迎えた、となっておりますので悩んだのは夢の後でしょうか。

    夢を私達も見ますけれども、夢の中で告げられたことを信じて行動に移すという事はそうある事ではありません。

    しかし、昔から夢というものは、人間の深い心の中に人間を越えた存在が働きかける場所・機会という考えがあるようです。旧約聖書の創世記で、同じヨセフという名前ですけれども、ヨセフが、王様が見た夢の意味を解き明かすという話が出てきます。

    ヨセフは自分の夢に現れた天使のお告げを信じてマリアを受け容れました。この二人、マリアとヨセフは夫婦となりイエスを養い育てたわけです。この天使のお告げについて二人は話し合ったのかどうしたのか聖書は何も告げていない。

    ルカの福音のほうでは、天使ガブリエルがマリアに現れて、マリアに神の子の母となることを求めたという話が出ています。

    二人はいずれにせよ神様の御心に従い、聖霊によって宿った御子を受け取り、養い、育てました。

    ヨセフという人は教会の歴史の中で次第に多くの人の尊敬と崇敬を集めるようになりました。

    前の教皇様ベネディクト16世のお名前もヨセフでしたが、お辞めになる、辞任される直前だったですけれども、ミサの奉献文の中にヨセフの名前を挿入するようにということをお決めになりました。※1

    第一奉献文にはヨセフの名前があります。しかし第二・第三・第四奉献文にはヨセフの名前がないのです。そこで前の教皇ベネディクト16世はヨセフの名前を挿入するようにとお決めになったのでしょう。

    ヨセフという方は大変誠実で地味な方であったようです。イエスが成長して、そして30才を過ぎた頃、宣教活動を開始し公生活に入ったのですけれども、その時にはもう亡くなっていたようです。

    今日ここで考えたいのは、このヨセフという人の信仰です。幼子イエスを守り、そしてエジプトに避難しました。これはヨセフがいなければできないことです。か弱い女性と幼子にはどうしようもなかったでしょう。ヨセフはマリアとイエスをエジプトまで連れて行った。そしてしばらく滞在してから帰って来て、ナザレに居を定めたわけです。そして静かな日々が流れていった。その間にイエスは成長し、自分の使命についての思いを深めていったのだろうと思われます。

    クリスマスの次の主日は聖家族の祝日です。マリアとヨセフの夫婦は神の御心を受け容れ、そしてイエスを養い育てました。

    来年の秋ですけれども10月にローマで司教の代表者の会議というのがあります。全世界から司教の代表者が集まって話し合いをするのですが、何について話し合うかというと、「家庭」ということなのです。

    「家庭」における、「家庭」を通しての福音宣教という課題を話し合うことになっておりまして、その準備が始まったところであります。

    世界中で「家庭」はどういう状況にあるのであろうか、日本では「家庭」はどうなっていますか、「教会の教え」はどのように伝わっていますか、どういう点で「教会の教え」を守ることに困難がありますか、等についての質問が届いています。

    「家庭」は非常に大切です。人間が最初の教育を受ける所が「家庭」であります。おそらく人間としての教育の基礎の上にわたしたちの信仰生活があります。しっかりとした「家庭」をつくっていかなければならない。結婚前の準備というものは非常に大切であります。

    今日はもう一つのことを申し上げて「結び」とします。今日のミサ、実は明日のミサですが、「各年共通用公式祈願」というのが「聖書と典礼」の最後のページに出ています。今、通常唱えているのは日本の教会が作った「試作の祈り」なのです。それで従来唱えていた祈りは最後のページに出ています。

    「恵み豊かな父よ、わたしたちの心にいつくしみを注いでください。恵みを注いでください。あなたの御子キリストが人となられたことを天使のお告げによってわたしたちは知りました。御子の苦しみと十字架を通してわたしたちも復活の栄光にあずかることができますように。」

    これは「お告げの祈り」の時の祈願文なのです。待降節第四主日の「集会祈願」の文言が「お告げの祈り」の祈願になっております。

    最近はあまり「お告げの祈り」というものをしないのですが、かつては、一日三回鐘の音に合わせて「お告げの祈り」をするという大変美しい習慣があったのです。(今もありますが。)

    天使のお告げを受けておとめマリアは神の母となった。「お言葉どおり、この身に成りますように」と言ったことを思い起こすわけです。その後で更に「(御子イエス・)キリストの受難と十字架を通して復活の栄光に達することができますように」と祈るのです。

    ですから、イエス・キリストがわたしたちと同じ人間となってくださったことを、そして十字架にかかってくださってわたしたちの罪を贖い、私達を復活の栄光に招いて下さるという、わたしたちの信仰の中心・根幹を毎日祈るわけであります。

    今日は、この「お告げの祈り」がミサで唱えられていたことを皆さんに思い起こしていただきたい。

    なお、第二朗読で使徒パウロは、「イエス・キリストは、肉によればダビデの子孫とされていますが、聖なる霊によってわたしたちを復活の栄光にあずからせる神の御子とされました」という教えを述べていると思います。

    わたしたちが日々、主イエスの受肉・受難・十字架・復活の神秘に生きることができますように、祈りましょう。

     

     ※1: ミサの奉献文で、「ヨセフ」の名前を唱えるようにという教皇の決定に関して、日本の司教団は、そのタイミングを見計らっているところですので、日本の教会として、ミサの中で、「ヨセフ」の名前を唱えると言う確認は、これからです。ですから、現時点では、教区や教会によって、あるいは、司式司祭によって、まちまちです。