教区の歴史

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ベタニア修道女会シスター藤原初誓願式説教

2013年10月16日

2013年10月16日 徳田教会にて

[聖書朗読箇所]

初誓願者 
シスター ラファエラ藤原貴子
(たかこ)

 

説教

「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。」(ヨハネ15・12)

わたしたちの守るべき掟は結局のところこの主イエスの言葉に要約されます。「愛する」とは「大切にする」ということです。たとえその人を好きになれなくとも、その人を大切にする、ということです。「愛する」とは「好きになる」ということではありません。

一般的には、人間として、好意を持てる人にはよくしてあげたい、と思いますが、嫌いな人にはよくする力がわいてこないものです。

しかし、イエスは言われました。「自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな報いがあるだろうか。徴税人でも、同じことをしているではないか。自分の兄弟にだけ挨拶したところで、どんな優れたことをしたことになろうか。異邦人でさえ同じことをしているではないか。」(マタイ5・46-47)

「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。」(ヨハネ15・12)

キリスト者はこの掟を日々守って生きるものです。この掟は決して易しいものではないと実感します。自分は本当に弱い者であり、このイエスの教えからは遠い者だ、としみじみ感じることがあります。

ところで 一昨日の10月14日、札幌で司教叙階式がありました。ベルナルド勝谷太治神父が札幌の司教となったのです。彼の司教としてのモットーは「力は弱さの中でこそ十分に発揮される」(2コリント12・9) でした。

聖パウロには何かの弱点、何か辛いことがあったようです。彼はそれを「とげ」(2コリント12・7)と呼んでいます。彼はそれを取り去ってくださるように主に願いましたがその願いはかなえられませんでした。

主の答えは「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さのなかでこそ十分に発揮されるのだ」(2コリント12・9)でした。

そこでパウロは言います。「だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。・・・わたしは弱いときにこそ強いからです。」(2コリント12・9-10)

勝谷司教叙階の二日後に、初誓願を立てられるシスターラファエラ藤原貴子さん、このパウロの言葉を心に刻んでください。困難に出会い、行き詰まってしまうことがあるかもしれません。どうにもならないと感じることがあるかもしれません。そのとき祈ってください。神の力は人間の弱さを通して働きます。

シスター藤原の今日からの修道生活と使徒職の上に主なる神の豊かな恵み―支え、導きと照らし、励ましがありますよう祈ります。