「芝の会」設立三十周年記念・粕谷甲一神父追悼ミサ説教

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    2013年4月19日 「芝の会」事務所にて

     

    第一朗読 使徒言行録9・1-20

    (本文)

    さて、サウロはなおも主の弟子たちを脅迫し、殺そうと意気込んで、大祭司のところへ行き、ダマスコの諸会堂あての手紙を求めた。それは、この道に従う者を見つけ出したら、男女を問わず縛り上げ、エルサレムに連行するためであった。

    ところが、サウロが旅をしてダマスコに近づいたとき、突然、天からの光が彼の周りを照らした。サウロは地に倒れ、「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる。」

    同行していた人たちは、声は聞こえても、だれの姿も見えないので、ものも言えず立っていた。

    サウロは地面から起き上がって、目を開けたが、何も見えなかった。人々は彼の手を引いてダマスコに連れて行った。サウロは三日間、目が見えず、食べも飲みもしなかった。

    ところで、ダマスコにアナニアという弟子がいた。幻の中で主が、「アナニア」と呼びかけると、アナニアは、「主よ、ここにおります」と言った。

    すると、主は言われた。「立って、『直線通り』と呼ばれる通りへ行き、ユダの家にいるサウロという名の、タルソス出身の者を訪ねよ。今、彼は祈っている。アナニアという人が入って来て自分の上に手を置き、元どおり目が見えるようにしてくれるのを、幻で見たのだ。」

    しかし、アナニアは答えた。「主よ、わたしは、その人がエルサレムで、あなたの聖なる者たちに対してどんな悪事を働いたか、大勢の人から聞きました。ここでも、御名を呼び求める人をすべて捕らえるため、祭司長たちから権限を受けています。」

    すると、主は言われた。「行け。あの者は、異邦人や王たち、またイスラエルの子らにわたしの名を伝えるために、わたしが選んだ器である。わたしの名のためにどんなに苦しまなくてはならないかを、わたしは彼に示そう。」

    そこで、アナニアは出かけて行ってユダの家に入り、サウロの上に手を置いて言った。「兄弟サウル、あなたがここへ来る途中に現れてくださった主イエスは、あなたが元どおり目が見えるようになり、また、聖霊で満たされるようにと、わたしをお遣わしになったのです。」

    すると、たちまち目からうろこのようなものが落ち、サウロは元どおり見えるようになった。そこで、身を起こして洗礼を受け、食事をして元気を取り戻した。

    サウロは数日の間、ダマスコの弟子たちと一緒にいて、すぐあちこちの会堂で、「この人こそ神の子である」と、イエスのことを宣べ伝えた。

     

    福音朗読 ヨハネ6・52-59

    (本文)

    それで、ユダヤ人たちは、「どうしてこの人は自分の肉を我々に食べさせることができるのか」と、互いに激しく議論し始めた。

    イエスは言われた。「はっきり言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物だからである。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる。生きておられる父がわたしをお遣わしになり、またわたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる。これは天から降って来たパンである。先祖が食べたのに死んでしまったようなものとは違う。このパンを食べる者は永遠に生きる。」

    これらは、イエスがカファルナウムの会堂で教えていたときに話されたことである。

     

    「芝の会」(NPO法人)の皆さん、設立三十周年、おめでとうございます。「芝の会」は、使徒ヨハネ・粕谷甲一神父様のご指導によって設立されました。

    神父様は2011年2月9日、主のもとへ召され、2月14日、わたくしが葬儀ミサ・告別式を司式いたしました。

    その際、説教で申し上げましたが、カトリック信者が少ない日本の社会で、どのようにしてイエス・キリストの愛を現し伝えていくのか、ということが、神父様が私たちに残された大きな宿題である、と考えております。

    「芝の会」はこの神父様の遺言の実施に励んでいるNPO法人であるとわたしは理解しております。ますますの、堅実な歩みを期待し、そのためにお祈りいたします。

    今日はこれよりわずかな時間ですが、今日のミサの朗読をご一緒に味わいましょう。

    第一朗読は使徒言行録の伝えるパウロの回心の次第です。信徒言行録はなんと三度も同じパウロの回心の次第を述べています。それは、この出来事が非常に重要であったからであると思います。

    「ところが、サウロが旅をしてダマスコに近づいたとき、突然、天からの光が彼の周りを照らした。サウロは地に倒れ、『サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか』と呼びかける声を聞いた。」(使徒9・3-4)

    イエスの死は紀元30年ころとされています。この出来事、イエスのパウロへの出現は紀元32-35年ころ、使徒言行録の成立は紀元85年ころ、回心の50年後の記録とされています。サウル、後のパウロはステファノの殉教のときに、石を投げてステファノを処刑する人たちの上着の番をしていた人である、と使徒言行録は伝えています。(使徒7・58)

    この出来事をどのように解釈したらよいのでしょうか?

    パウロは激しくキリスト教徒を迫害しているときに、彼らの信仰に接し、次第にキリストへの信仰が彼の心の中で育ち、この「回心」という形で、一瞬のうちに、復活のキリストの劇的な出会いを体験したと考えられます。

    粕谷神父様と一緒に真生会館で宣教されたネラン神父様によれば、この出来事は「回心」というより「悟り」あるいは「目覚め」というほうが適切である、ということです。

    パウロは一瞬にしてイエス・キリストとの決定的出会いを体験し、イエスの死と復活の神秘を悟ったのではないでしょうか。

    キリスト教は、弟子たちの、復活したキリストとの出会い、という出来事を基礎として成立している宗教です。

    復活したキリストは「見ないのに信じる人は、幸いである」(ヨハネ20・29)と使徒トマスに言われました。わたしたちも肉眼で復活したキリストを見たものではありませんが、キリストを信じています。このわたしたちの信仰、復活したキリストへの信仰を深めていただけるよう、祈りましょう。

    次に今日の福音です。イエスは言われました。

    「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。」(ヨハネ6・54)

    わたしたちはこのイエスの言葉をご聖体の教えとして理解しています。わたしたちはミサの中で、司祭がパンとぶどう酒を聖別したあとすぐに「信仰の神秘」と唱えます。まさに聖体に復活したキリストが現存しておられる、という信仰の告白です。

    この信仰告白、ご聖体への信仰告白は、復活したキリストへの信仰と一つになっている、とわたくしは思います。

    パンとぶどう酒の形のもとに、復活の主イエス・キリストがおれます。この信仰を深めていただけるよう祈りましょう。

    6月2日はキリストの聖体の主日です。日々聖体の前で祈りながら信仰を新たにして、この日を迎えられますよう、願っています。

    聖霊の導きを祈りましょう。アーメン。