聖香油のミサ説教

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    2013年3月28日 東京カテドラルにて

     

    第一朗読 イザヤ61・1-3a、6a、8b-9

    第二朗読 黙示録1・5-8

    福音朗読 ルカ4・16-21

     

    (福音本文)

    イエスはお育ちになったナザレに来て、いつものとおり安息日に会堂に入り、聖書を朗読しようとしてお立ちになった。

    預言者イザヤの巻物が渡され、お開きになると、次のように書いてある個所が目に留まった。

     「主の霊がわたしの上におられる。

      貧しい人に福音を告げ知らせるために

      主がわたしに油を注がれたからである。

      主がわたしを遣わされたのは、

      捕らわれている人に解放を、

      目の見えない人に視力の回復を告げ、

      圧迫されている人を自由にし、

      主の恵みの年を告げるためである。」

    イエスは巻物を巻き、係の者に返して席に座られた。会堂にいるすべての人の目がイエスに注がれていた。そこでイエスは、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と話し始められた。

     

    皆さん、今日は聖木曜日、わたしたちはカテドラルに集まりともに聖香油のミサをささげ、三種類の油の聖別を行います。また今日は、カテドラルにおいて、わたしたち司教・司祭が自分の受けた使命と任務を思い起こし、決意を新たにし、叙階を受けたときの約束を更新し、司教・司祭の務めを忠実に果たすことが出来ますよう励ましあい、そのために祈る日でもあります。

    わたしたち司教・司祭の使命は主イエスから受けた使命、主イエスから託された任務です。

    イエスはナザレの会堂で預言者イザヤの書を手にされました。そこには次のように書かれていました。

     「主の霊がわたしの上におられる。

      貧しい人に福音を告げ知らせるために

      主がわたしに油を注がれたからである。

      主がわたしを遣わされたのは、

      捕らわれている人に解放を、

      目の見えない人に視力の回復を告げ、

      圧迫されている人を自由にし、

      主の恵みの年を告げるためである。」(ルカ4・18-19)

    イエスは主の霊である聖霊を豊かに受けた人でした。むしろ聖霊がイエスご自身の霊である、と言えるでしょう。イエスは聖霊の導きに従い、神の国の福音を宣べ伝え、病人を癒し、悪霊を追放し、十字架の死と復活によって罪に打ち勝ち、父のもとにのぼり、弟子たちの上に聖霊を注ぎ、教会を設立しました。いまイエスは教会を通してご自分の使命を継続し発展させておられます。

    このイエスの使命は現代においては何を意味するでしょうか?

    司教は使徒の後継者であり、司祭は司教の協力者です。司教と司祭は使徒の受けた使命を現代世界において遂行し実行するという任務を受けています。

    わたしたち司教・司祭は弱い人間でありながら、神の力である聖霊の助け・導きをうけ、キリストの使命に与り、いわば「神の仕事を行う者」となりました。それが可能であるのはひとえに聖霊の働きを受けているからです。

    したがって、司祭は自分の存在と任務はすべて神の霊の働きによることを深く悟り、人々の前に、自分の存在とすべての働きを通して神の栄光が現れるよう努めなければなりません。

    神は、主を畏れ、主に祈り、主に信頼する、信仰深い、そして謙遜な人を通してその力を現されます。司祭はそのような意味での「神の人」であることが期待されています。

    司祭は自分の務めを実行するに際して試練に出会い、また誘惑を受けることが少なくはありませんが、主イエスに倣い、試練に打ち勝ち、誘惑を退け、互いに赦しあい、励ましあい、互いに祈るようしなければなりません。

    今日は司祭・助祭候補者認定式が行われます。

    認定を受けるのは次に三名です。

      ミカエル 泉 雄生(ゆう)

      ヨハネ・ボスコ 伊藤英樹(ひでき)

      パウロ 野口邦大(くにひろ)

    この三人はこれより司祭への道を歩む決意を神と教会の皆さんの前で表明します。

    司祭は主イエスの名においてその任務を執り行います。司祭の言うこと、行うことは主イエスの言うこと、行うことでなければなりません。

    おそれおののきながらこの尊い任務を受ける準備をしてください。困難に出会ってもいつも共にいてくださる主イエスへの信頼を新たにし、希望を持って共に歩みましょう。

     

    3月19日、聖ヨセフの祭日に、新しい教皇フランシスコが就任されました。わたしたちは多いなる喜びと期待を持って新しい教皇様をお迎えいたしました。

    教会はいま危機に瀕しているといっても過言ではありません。引退された教皇ベネディクト十六世は信仰の危機を憂慮され、『信仰年』を公布しました。

    信仰の危機はわたしたち教会の中にある種々の問題・課題と無関係ではありません。人間はいつも、権力、金銭、性(セックス)からの誘惑にさらされています。わたしたちは、主イエスに倣い、この誘惑に打ち勝たなければならないのです。

    まことに残念ですが、私たちの教会をめぐって、さまざまな疑惑とスキャンダルが世界中で報道されています。多くの人が傷つき、また、教会への信頼が多いに損なわれました。

    教皇フランシスコの指導のもと、わたしたちは自分の教会を刷新し、主イエスにふさわしい姿になるよう、自らを清め再生させ、新たにし、教会への信頼を回復させなければならないと思います。

    教皇は就任のミサ説教で言われました。

    「教皇は、聖ヨセフと同じように、つつましく、具体的に、また忠実に奉仕することを目指さなければなりません。そして、ヨセフと同じように、手を広げて神の民全体を守り、愛と柔和をもって全人類を受け入れなければなりません。とくに貧しい人、弱者、小さい人、マタイが愛のわざに関する最後の審判について述べた人々を受け入れなければなりません。すなわち、飢えている人、のどが渇いている人、旅をしている人、裸の人、病気の人、牢にいる人です(マタイ25・31-46参照)。」

    教皇フランシスコはこの言葉を実行し、人々の信頼を勝ち得てくださると信じます。

     

    国内外の社会を見るに、国際平和を脅かす新しい民族主義への動きが露わとなり、また経済的に弱い立場の人々をさらに非人間的な状況に追い詰める動きが加速しているように思われます。

    いわば現代世界に存在するこのようないわば「構造悪」に対してわたしたち教会は主イエスの姿勢をより明確にしなければならないと考えます。

    ことしはヨハネ23世の回勅『地上の平和』発布五十周年に当たります。この機会にキリスト者として、現代世界の悲惨な現実に対するわたしたちの責任の取り方を考えるべきだと思います。

    聖霊の導き、励ましを祈りましょう。