東京教区修道女連盟新年会ミサ説教

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    2013年1月4日 麹町教会主聖堂にて

     

    第一朗読 一ヨハネ3・7-10

    福音朗読 ヨハネ1・35-42

     

    今日の福音ではイエスの弟子たちの召し出しが告げられています。イエスに呼ばれてイエスに従った弟子たちは聖霊降臨の後、全世界へ派遣されました。

    教会とは派遣されたもの、父と子と聖霊によって派遣されたキリストの弟子たちのことであります。そして、わたしたちはこの東京と千葉県に派遣されています。

    それでは何を行うために派遣されているのでしょうか?わたしたちの使命は何でしょうか?

    わたしは大司教に就任以来ずっとこのことを考え続けてきました。

    教皇様は就任のミサの説教で「現代の荒れ野」ということを言われましたが、わたしはまさに東京には、現代の荒れ野があると思います。現代の荒れ野に福音というオアシスをもたらすことが東京教区の使命である、と考えています。

    おりしも、教皇様は2012年10月11日より2013年11月24日の期間を『信仰年』であると宣言されました。

    現代は信仰の危機の時代と言われます。わたくしは、自分たちの信仰を確かめ、深め、信仰をあかし伝えるよう、皆さんに呼びかけました。(以上はちょうど一年前の1月4日の皆さんの研修会のミサ説教で申し上げたことです。)

    昨年9月30日、「『信仰年』を迎えるにあたり」という大司教書簡を発表し、わたくしは教区のすべての皆さんに、信仰年をどのように過ごして欲しいかについて、5項目をお願いしました。

    (1) イエス・キリストをより深く知る。

    (2) 第二ヴァチカン公会議と『カトリック教会のカテキズム』を学ぶ。

    (3) 「信条」を学ぶ。

    (4) 典礼と秘跡、日々の祈りと黙想を大切にする。

    (5) 信仰と愛の証に努める。

     

    今日はさらに二つのことを付け加えてお話ししたいと思います。

    1) 第一回福音宣教推進全国会議NICE-1の反省

    1987年(第二ヴァチカン公会議開催からちょうど25年目)に開催されたNICE-1は、当時の教会のすべての問題の根底には、「信仰の生活からの遊離、教会の社会からの遊離」があると分析しました。

    そして、この「遊離」を克服することが日本の教会の根本的な課題であり、そのためには「生活から信仰を、社会の現実から福音宣教を見直す」ことが必要であるとして、会議の課題を「開かれた教会づくり」としたのでした。

    ところが、25年たって振り返りますと、この「遊離」した状態に関して、新たな別な課題が浮上してきているように感じます。それは、著しい世俗化ということです。世俗化に立ち向かうためには、「遊離」というより「離脱」が必要ではないかと思うのです。

    NICE-1のときに、「遊離」について論議した際、「ある意味で遊離も必要だ」という意見もあったのでした。今思いますに、「ある意味での遊離」とは言い換えれば「離脱」のことでした。「遊離」と「離脱」、このふたつの言葉が表す状態は、表面的にはよく似ていますが、実はまったく内容が異なっているのであり、「遊離」ではなく「離脱」が必要ではないか、ということだった思います。

    わたしたちは世俗化が著しくすすんだ社会のなかで生活しています。わたしたちの生活と教会はこの世界の現実に深く強く結び付けられています。わたしたちはしっかりと社会の在り方に組み込まれています。消費、管理の社会、利益、能率、便利さ、快適さを優勢する社会のただなかでどうしたらイエスの福音を実行できるでしょうか?

    一昨年3月11日の東日本大震災を受けて日本の司教団は一致して「いますぐ原発の廃止を」という声明を出し(2011年11月8日、仙台にて)、原発の即時廃止を訴えると共に、わたしたち自身が、さらなる簡素で清貧は生活、離脱した生活の証しが必要である、という決意表明をしたのでした。

    わたしたちの生活と教会は、あまりにも社会の現実に捉えられ、現実に埋没し、この世の風潮に影響され汚染されているのではないか、と思います。

    現実から離脱し、心を上にあげ、神の声、呼びかけに心を向けるときがもっともっと必要です。

    わたしたちはあまりにも多忙な生活に追われ、物と制度、組織に振り回されているのではないでしょうか?この現実の中で信仰を生きていかなければなりません。信仰を通して生活と社会に福音の光を当てることが必要です。「下からの福音化」は「上からの福音化」、いわば「超自然の恵みによる福音化」によって保証されなければならない、と思います。

    いまこそ、生活と社会の現実を福音の光で照らす、という信仰者の使命をいかに実行するのかが問われていると思います。

    2) 信仰年にあたり

    教皇様は信仰年を告げる自発教令『信仰の門』でヘブライ書12章2節を引用、イエスは「信仰の創始者また完成者」であるといっています。

    信仰の対象であるイエスだけではなく、信仰の師であるイエスに学ぶことが大切です。イエスは、絶えず父のみ旨に従い、安息日に癒しをおこなったためにユダヤ社会指導者の敵意を引き起こした、逆らいのしるしとなったのでした。

    このイエスの生き方にわたしたちは、さらに学ぶ必要がありはしないかと思います。

    わたしたちは降誕祭を祝い、いま降誕節の典礼に与っております。わたしたちの信仰の模範はいうまでもなく聖母マリアの信仰であります。

    ところで12月30日は、聖家族の日でした。イエスの養父となった聖ヨセフの信仰に学ぶことも多いと思います。

    彼は夢のお告げでマリアの聖霊による妊娠を信じたのでした。ヨセフはマリアとイエスの誠実で、賢明かつ勇気ある保護者として生涯を全うしました。ヨセフの生涯にみられるのは、清貧、貞潔、従順の生涯です。

    いまの社会では、生活は便利で快適になりましたが、世俗化がすすみ、性は乱れ、家庭は崩壊に瀕し、利己主義と個人主義が蔓延しています。この状況でわたしたちがイエスに従っていくためには、かなりの強い決意と明確な信仰の証しが必要でしょう。若い人に、生涯をかける自分をささげよう、という気概を起こしてもらうためにも、わたしたちの決然とした福音的な証しが求められています。

    わたしたちも世の風潮に汚染されているのではないか、と自己反省しながら、日々上からの光、キリストの復活の光を受けて歩むことができますよう、聖母の取次ぎによって祈りましょう。アーメン。