教区の歴史

教区の歴史

東京カテドラル献堂記念・白柳枢機卿追悼ミサ説教

2012年12月08日

2012年12月8日 無原罪の聖マリア 東京カテドラルにて

 

第一朗読 創世記3・9-25,20

第二朗読 エフェソ1・3-6,11-12

福音朗読 ルカ1・26-38

 

(福音本文)

天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。 ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。 天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。 すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。 あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。 その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。 彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」 マリアは天使に言った。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」

天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。 あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。 神にできないことは何一つない。」 マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。

 

今日は無原罪の聖マリアの祭日です。わたしたちはミサをささげて、東京教区のカテドラルである、関口教会聖マリア大聖堂の献堂を記念し、あわせてまた3年前に主に召された故ペトロ白柳誠一枢機卿様の追悼を行います。

すべて人は原罪という弱さと汚れから免れることができません。ただ、神の母である、おとめマリア、聖母マリアだけは神の特別な恵みにより、その受胎のときからこの原罪の汚れを免れていました。教会はこの教えを聖マリアの「無原罪のやどり」と呼び、その教えを教義として宣言しました。

原罪はすべての人類が陥っている罪の状態です。自分の意思で犯す自罪とは区別されます。わたしたちはしみじみ、自分の中に、罪への傾き、どうしようもない弱さ・脆さがあることを認めないわけには行きません。罪を犯してしまう弱い自分を認めざるを得ないのです。

人間は誰でも自分の力で神の求める正しい状態に達することができないのです。人は生まれたときに、神の求める正しくふさわしい状態を実現するために必要な恩恵を失っている状態に置かれています。そこでこの世界の悪である世の罪の攻撃から自分を守ることができません。悪の誘惑と攻撃にさらされたときに、神の義に反する状態に陥ってしまうのです。原罪はわたしたち人間が自分自身の欲望をふさわしくおさめることのできない弱さ、人間性の中にある脆さであります。

この世界には人間の罪が蓄積して、いわば構造となっている「構造的悪」と言うべき悪があります。わたしたちはこの構造悪に抵抗し克服できる状態には置かれていません。この悪に対して無防備の無力な状態が原罪であると思います。

今日の朗読は、最初の女とされるエバとおとめマリアを対照的にあつかっています。エバは神に対して不信仰であり不従順です。マリアは神への信仰と従順によって、神の母となります。聖霊によって妊娠するというお告げを受け入れるということはどんなに辛く難しいことでしょうか。それでも彼女は「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように」(ルカ1・38)と言って神の御心に従ったのでした。

わたしたちは「信仰年」を過ごしています。聖母の生涯から、聖母の信仰から、信仰を学び信仰を深めるようにいたしましょう。わたしたちの信仰を強めてくださるよう、聖母の取次ぎを願って、祈りましょう。

今日はこの東京カテドラルの献堂記念の日です。カテドラルは1964年12月8日に聖母にささげられました。あと2年すると献堂50周年を迎えます。この2年間、献堂50周年の祝いを迎えるためによい準備をしたいと思います。

今日はあわせて白柳誠一枢機卿様の追悼を行います。枢機卿様は3年前、2009年12月30日に神のもとへ召されました。重責をになわれた枢機卿様の生涯を主なる神様がいつくしみ深く受けとり、永久に安らぎを与えてくださいますよう祈りましょう。