教区の歴史

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「信仰年」開始ミサ説教

2012年10月14日

2012年10月14日 東京カテドラル関口教会にて

 

第一朗読 イザヤ60・1-6

第二朗読 ローマ10・9-18

福音朗読 ルカ24・44-53

 

(福音本文)

イエスは言われた。「わたしについてモーセの律法と預言者の書と詩編に書いてある事柄は、必ずすべて実現する。これこそ、まだあなたがたと一緒にいたころ、言っておいたことである。」 そしてイエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて、言われた。「次のように書いてある。『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。エルサレムから始めて、あなたがたはこれらのことの証人となる。 わたしは、父が約束されたものをあなたがたに送る。高い所からの力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい。」

イエスは、そこから彼らをベタニアの辺りまで連れて行き、手を上げて祝福された。そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた。 彼らはイエスを伏し拝んだ後、大喜びでエルサレムに帰り、 絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた。

 

10月11日から「信仰年」が始まりました。「信仰年」はわたしたちが自分の信仰の歩みを振り返り、自分の信仰を確かめるための大切なときであります。

今日読まれましたルカの福音で次のように言われています。

イエスは、聖書を悟らせるために彼らの心の目を開いて、言われた。「次のように書いてある。『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。また、罪の赦しを得させる悔い改めが、その名によってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる』と。エルサレムから始めて、あなたがたはこれらのことの証人となる。

「彼らの心の目を開いて」という表現が印象的です。イエスの十字架上の死と復活という出来事の証人となること、罪の赦しの福音をもたらすということがイエスの弟子たちの使命であり、わたしたち教会はこの使命を受け継いでいます。

キリスト教はイエス・キリストの復活という出来事によって成立した宗教です。ナザレのイエスは冒涜の大罪をおかしたという理由で十字架にかけられて処刑されました。

しかしこのナザレのイエスが復活して弟子たちに出現した、と信じる人々が現れました。彼らは自分の命をかけてこの信仰を証ししました。

この信仰によって結ばれた人々によってキリスト者の共同体である教会が形成されました。キリスト者とは実に、イエス・キリストの復活の証人であります。復活したキリストは教会の働きを通して罪の赦しの福音をのべ伝え、すべての人を復活の命へと導きます。

キリストの復活という福音はあたかも闇に輝く光であります。わたしたちの心の闇に光にとどくとき、わたしたちの心は罪に穢れた心であることが明らかにされます。その際、わたしたたちは謙虚にありのままの自分の罪の状態を認め、罪を悔い改め、神の憐れみに自分を委ねるのであります。

今日のミサの趣旨は今日の集会祈願の祈りに簡潔に示されています。

 「ここに集うわたしたちに聖霊を豊かに注ぎ、一人ひとりの心に宣教の熱意を燃え立たせてください。わたしたちが自らの信仰の歩みを振り返り、福音をのべ伝える使命に目覚めることができますように。」

わたしはどのようにしてイエス・キリストを信じるに至ったのでしょうか?イエス・キリストとは誰でしょうか?イエスの生涯はわたしにとってどんな意味があるでしょうか?イエスは神の愛をとき、神の愛を生きました。神の愛とは何でしょうか?わたしたち教会はひとり一人が大切にされる神の愛をどのように実行しているでしょ うか?

 何よりまず福音書を読み福音に学び、福音の分かち合いを通して、イエス・キリストをよりよく知るようにいたしましょう。

「信仰年」に際して三つの公文書が出ております。恐縮ですがぜひ読んでいただきたいと思います。

一つはわたくし岡田大司教の手紙「『信仰年』を迎えるにあたり」です。

皆さんが「信仰年」において心がけて実行していただきたい事項を五項目にまとめました。

また日本の司教全員からの「信仰年」を迎えるに際してのメッセージがあります。

日本カトリック司教団「信仰年」メッセージ「―信仰の恵みを見つめ直す旅に招かれて―」です。さらに司教団は「信仰年」を迎えるにあたって日本の教会の課題という文書も出しております。読んでいただきたい文書が多くで申し訳ありませんが、どうかよろしくお願いします。