成城教会ミサ説教(年間第20主日)

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    2012年8月19日 年間第20主日 成城教会にて

     

    第一朗読 箴言9・1-6

    第二朗読 エフェソ5・15-20

    福音朗読 ヨハネ6・51-58

     

    (福音本文) 

    〔そのとき、イエスはユダヤ人たちに言われた。〕わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」

    それで、ユダヤ人たちは、「どうしてこの人は自分の肉を我々に食べさせることができるのか」と、互いに激しく議論し始めた。

    イエスは言われた。「はっきり言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。

    わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物だからである。

    わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる。

    生きておられる父がわたしをお遣わしになり、またわたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる。

    これは天から降って来たパンである。先祖が食べたのに死んでしまったようなものとは違う。このパンを食べる者は永遠に生きる。」

     

     

    7月29日の年間第17主日より連続して5回の主日のミサで、ヨハネの福音6章が読まれます。

    第1回の17主日ではヨハネの6章初めの部分で、五つのパンの奇跡の話が告げられました。その後でヨハネ福音書の内容は、地上の命を養う食べ物であるパンではなく、永遠の命を与える食べ物の話へと推移します。

    イエスは、自分こそ、永遠の命のパンである、と宣言します。この言葉を聞いた人々は、戸惑い、驚き、躓(つまず)きました。

    さらにイエスは、「神がお遣わしになった者を信じること、それが神の業である」(ヨハネ6・29)と言われました。

    つまり「神のお望みは、神が遣わしたイエスを信じることだ」と言ったので、人々は「わたしたちが見てあなたを信じることができるように、どんなしるしを行ってくださいますか。どのようなことをしてくださいますか」(ヨハネ6・30)とイエスに迫りました。

    驚きは続きます。イエスが、「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしのまたいつもその人の内にいる」(ヨハネ6・56)といったときに、人々の驚きは頂点に達し、「もう聞いてはおられない」という衝撃となったのでした。

    「ユダヤ人たちは、『どうしてこの人は自分の肉を我々に食べさせることができるのか』と、互いに激しく議論し始めた」(ヨハネ6・52)とあります。「肉を食べ、血を飲む」という表現に人々は躓いたのです。

    人々は、イエスの言葉の意味を、文字通り「イエスという人間の血肉を食する」と言う意味にしかとれませんでした。

    しかしイエスは霊的な世界を話したのです。イエスが言ったのは永遠の命を与える霊のことでした。「命を与えるの“霊”である。肉は何の役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、命である。」(ヨハネ6・63)

    ヨハネの福音の中心の教えは「永遠の命」ということです。

    イエスは言っています。「信じるものは永遠の命を得ている。」(ヨハネ6・47)

    「永遠の命とは、唯一のまことの神であるあなたと、あなたがお遣わしになったイエス・キリストを知ることです。」(ヨハネ17・3)

    「永遠の命」とはイエスを信じる者に与えられる神の命です。

    したがって、ヨハネ6章の最も重要な問いかけは「あなたはイエスを信じるか」ということです。

    ミサのなかで聖体拝領が行われます。聖体を受けるものは、このイエスの言葉を心から信じるものでなければなりません。「イエスを信じます」と信仰宣言し、「キリストの体」という司祭の言葉に「アーメン」と答えるものだけが聖体をうけることができます。

    イエス・キリストを信じるとは、イエス・キリストの心を自分の心として歩むこと、イエス・キリストと一致して生きようと努める、ということに他なりません。

    ミサのときに司祭はパンとぶどう酒を聖別すると、パンはキリストの御体に、ぶどう酒は御血にかわります。

    その場合、化学変化が起こってパンはもうパンではなく、ぶどう酒はもうぶどう酒ではなくなるわけではありません。

    キリストの言葉に従って、キリストの霊が働き、復活したキリストがパンとぶどう酒の形態において、そこにキリストが現存されるのです。

    聖体拝領するとは、主イエス・キリストへの信仰を告白することであり、キリストと一致することですから、聖体拝領前に自分の信仰と生活をよく調べ確かめなければなりません。

    「ふさわしくないままで主のパンを食べたり、その杯を飲んだりする者は、主の体と血に対して罪を犯すことになります。だれでも自分をよく確かめた上で、そのパンを食べ、その杯を飲むべきです。」(コリント一 11・27)

    10月11日より『信仰年』が始まります。主イエスへの信仰を深めてくださるよう聖霊の助けと照らしを祈りましょう。