聖母の被昇天説教(西千葉教会)

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    2012年8月15日 18:00 西千葉教会にて

     

    第一朗読 黙示録11・19a、12・1-6,10ab

    第二朗読 一コリント15・20-27a

    福音朗読 ルカ1・39-56

     

    (福音本文) 

    そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。そして、ザカリアの家に入ってエリサベトに挨拶した。マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。

    エリサベトは聖霊に満たされて、声高らかに言った。「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」

    そこで、マリアは言った。

    「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。

    身分の低い、この主のはしためにも目を留めてくださったからです。

    今から後、いつの世の人もわたしを幸いな者と言うでしょう、力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから。

    その御名は尊く、その憐れみは代々に限りなく、主を畏れる者に及びます。

    主はその腕で力を振るい、思い上がる者を打ち散らし、権力ある者をその座から引き降ろし、身分の低い者を高く上げ、飢えた人を良い物で満たし、富める者を空腹のまま追い返されます。

    その僕イスラエルを受け入れて、憐れみをお忘れになりません、わたしたちの先祖におっしゃったとおり、アブラハムとその子孫に対してとこしえに。」

    マリアは、三か月ほどエリサベトのところに滞在してから、自分の家に帰った。

     

    (※以下の文章は、岡田大司教が当日のミサで語った説教を、西千葉教会の信徒の方が録音し、文字化してくださったものです。)

    今日は8月15日、日本のカトリック教会にとって、特に皆さんの西千葉教会にとって大切な日でございます。8月15日は聖母の被昇天の祭日であり、この教会は被昇天の聖母の教会となっております。

    また、同時に先の世界大戦、第二次世界大戦が終了した日であります。

    そして、日本のカトリック教会は、8月6日から10日間、平和旬間の行事を行なっております。今日が平和旬間終了の日でございます。

    第二次世界大戦において、実に多くの尊い生命が失われました。戦争で亡くなられたすべての方々、戦争で戦って生命を落とした方だけでなく、戦争にともなって家を焼かれ生命を奪われた人々、すべての戦争の犠牲者のことを思い、永遠の安息を心からお祈り申し上げましょう。

    平和旬間につきましては、東京教区は原子力発電と核兵器の問題を取り上げました。この問題を今わたしたちはしっかりと学びながら、わたしたち自身が自分の生活をより簡素な、より質素な生活とし、そして祈りと犠牲の生活に立ち戻ることが非常に大切ではないかと思います。

    今日は、聖母マリアの被昇天の日、福音朗読はルカの1章でございます。

    エリザベトは聖霊に満たされて声高らかに言いました。「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子様も祝福されています。わたしの主のお母様が、わたしのところに来てくださるとはどういうわけでしょうか。主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は何と幸いでしょう。」(ルカ1・42-43,45)

    マリアが幸いであると言われたのは、主がおっしゃることは必ず実現すると信じた方であるからであります。その深い強い信仰のゆえに、聖母マリアは幸いな方と呼ばれています。

    今年の10月11日から「信仰年」が始まります。聖母の生涯に学びながら、聖母が示した深い強い信仰に学びながら、わたしたち自身の信仰をより深くより強いものにして下さいますように、聖母の取り次ぎを願って祈りたいと思います。

    今日の第二朗読の中で次のような言葉がございます。

    「キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となりました」(1コリント15・20)

    わたしたちの教会は、キリストの復活という信仰に基いて成立し、存続し、発展してきました。復活というのはどういうことかというのを、わたしたちは日々、特に主日ミサを献げながら、ミサに与りながら、主の復活を記念し、そして復活の信仰を深めようと努めております。

    聖母の被昇天という信仰は、カトリック教会だけの信仰ではなく、他の教会でも同じ信仰理解がございます。聖母の生涯がどういうものであったのか、特にまたその最後がどうであったのかと、人々は大きな関心を持っておりました。そして次第に今日いうところの「聖母の被昇天」という教えが確立されてきました。

    原罪の汚れを免れた処女マリアは、その死に際し身体も魂も共に天の栄光に上げられたと、わたしたちは信じております。

    今、2012年の日本の社会で、わたしたちはイエス・キリストの復活を信じ、復活の栄光を人々に表し、伝えようとしております。

    多くの人が人生の途上で、迷い、悩み、そしてややもすれば生きる力を失い、そがれようとしております。そのような状況の中で、わたしたちがこの復活という信仰の光を掲げることは非常に大きな意味があると思います。

    そして、そのイエス・キリストの復活の喜びに与った最初の方が聖母マリアであるということも言えるのではないかと思います。

    その生涯を見ますと、マリアは御子イエス・キリストが十字架にかけられるという、非常に悲しくつらい場面に立ち会っておられました。「あなたの心も剣で刺し貫かれるでしょう」(ルカ2・34)というシメオンの預言が実現した時のことであります。

    自分の愛する息子が、むごたらしく十字架の上で死んでゆく場面を目の当たりにしながら、マリアはそこに留まっておりました。そして、その愛する息子イエスの生涯のことを思い、この出来事がどんな意味があるのかということを深く思いめぐらしたに違いありません。

    わたしたちが自分の人生において出会う様々な困難、疑問、そして挫折の機会に、もう一度わたしたちは自分の信仰を確かめてみなければならないと思います。

    そして、聖母の生涯に倣い、失敗、挫折、苦悩の中に、神の力、そしてイエス・キリストを死者の中から復活させた神の力が働くことを信じ、復活の光を受け、そして人々にイエス・キリストが復活したこと、そして神はこの世界の中で今も働き、この世界を完成に導いて下さるという信仰をさらに強くし、人々に伝えてゆきたいと思います。

    わたしたちの人生は、一人一人異なるものではあっても、同時に様々な困難が伴うという点では共通しているのかもしれません。実に受け入れがたい、理解しがたい不条理な出来事が沢山あると思います。そのような人生の日々の中で、聖母の生涯を思い、そして聖母が被昇天に導かれたように、わたしたちも主の復活の恵みに与ることができるという信仰を新たにしてゆきたいと思います。

    わたしたちの信仰を強め、深めて下さいますよう、聖母マリアに祈りましょう。