板橋教会ミサ説教(年間第16主日)

    image_pdfimage_print

    2012年7月22日 年間第16主日 板橋教会にて

     

    第一朗読 エレミヤ23・1-6

    第二朗読 エフェソ2・13-18

    福音朗読 マルコ6・30-34

     

    (福音本文) 

    〔そのとき、〕使徒たちはイエスのところに集まって来て、自分たちが行ったことや教えたことを残らず報告した。

    イエスは、「さあ、あなたがただけで人里離れた所へ行って、しばらく休むがよい」と言われた。出入りする人が多くて、食事をする暇もなかったからである。

    そこで、一同は舟に乗って、自分たちだけで人里離れた所へ行った。

    ところが、多くの人々は彼らが出かけて行くのを見て、それと気づき、すべての町からそこへ一斉に駆けつけ、彼らより先に着いた。

    イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められた。

     

    板橋教会の皆さん、

    ただいま、今井助祭の読んだマルコの福音の結びは、

    「イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められた」(マルコ6・34)

    となっています。

    この6章34節の「深く憐れみ」という言葉はギリシア語の「はらわた」を意味する「スプランクナ」に由来し、この「はらわた」という言葉を動詞にした形が「深く憐れむ(スプランクニゾマイ)」という言葉になります。

    従って、これを「はらわたする」と訳す人もいます。

    「目の前の人の苦しみを見たときに、はらわたがゆさぶられる」ことを表します。相手の痛みをわがことのように感じてしまう深い共感を表す言葉なのです。イエスの愛の行いの動機にはこの深い共感があります。

    沖縄の言葉に「チム」という言葉があります。これは、「こころ、肝、肝臓」などを意味しています。この言葉から「チムグリサン」という言葉が出てきます。これは「気の毒である、かわいそうである」という意味です。このような「体感用語」はどの言語にもあるのかもしれません。

    この深い共感からイエスは人々に「教え始められた」のです。「教える」ということは牧者の大切な務めです。牧者は羊を正しく安全な道を教えて導きます。

    このような良き牧者のことを今日のエレミヤの預言がのべています。主が立てる良き牧者のもとでは「群れはもはや恐れることも、おびえることもなく、また迷い出ることもない」(エレミヤ23・4)のです。

    逆に「災いだ、羊の群れを滅ぼし散らす牧者」(エレミヤ23・1)と非難される牧者もいます。エゼキエル預言者が告げる「自分自身を養う牧者」が思い出されます。(エゼキエル34章参照)

    イエスは「大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められた。」(マルコ6・34)

    「いろいろ」とありますが、原文では「多くのことがら」となっています。神の国の福音についていろいろお話になったのでしょう。

    このイエスの務めを使徒とその後継者、またその協力者である司教・司祭は受け継いでいます。牧者は群れを教え導かなければなりません。教会の牧者である司教、司祭は、何よりもまず「わたしたちの平和」(エフェソ2・14)であるイエス・キリストについて語り、教えなければなりません。

    板橋教会の皆さん、ご存知のように今年2012年の10月11日より翌年2013年の11月24日までの一年余りが『信仰年』であります。

    『信仰年』にあたり牧者が果たすべき務めは何でしょうか。

    『信仰年』の趣旨は次の三項目にまとめられる、と思います。

    1. 信仰を確かめること。

    2. 信仰を深めること。

    3. 信仰を伝えること。

    牧者はこの三項目をよく実行するよう、群れを導き励まさなければならないと思います。

    まず自分の信仰を確かめることです。福音書から信仰について学ぶことが非常に大切です。イエスは誰ですか?神を信じるとはどういうことですか?

    わたしたちは毎日「主の祈り」を唱えます。主の祈りは福音の要約といわれています。主の祈りの内容を深めることは信仰を深めることです。

    またわたしたちはミサのなかで『信仰宣言』をいたします。主日あるいは祭日のミサのなかでわたしたちは『信条』を唱えます。

    現在ミサで唱える信条は『使徒信条』と『ニケア・コンスタンチノープル信条』の二種類です。これは、わたしたちキリスト信者が信じるべき基本的な信仰箇条を簡潔にまとめた権威ある祈りです。『信条』は教会が何を信じているのか、を正確かつ権威を持って示しています。

    他方、『信条』が制定された時代背景が現代の日本と大変異なっていますので、その表現が現代人に理解しやすい、とは言えません。現代の状況と文脈に合わせて信条を学び直す事が必要となります。

    そこで『信仰年』にあたり、現代の視点で『信条』を学び直すようお勧めします。

    わたしたちが『信仰年』にあたり、信仰を深め、立派に信仰のあかしを立てることができますよう、祈りましょう。