教区の歴史

教区の歴史

カトリック岩手県大会講演

2012年07月16日

2012年7月16日 盛岡白百合学園にて

 

(以下は、2012年7月16日、岩手県・盛岡白百合学園で開催された「カトリック岩手県大会」の講演記録を、カトリック岩手県連絡協議会の菅野耕毅氏より諒解いただき、ここに転載するものであり、原文は『カトリック岩手県連協ニュースレター』2012年7月25日、No,3 に掲載されています。)

 

〔1〕今日、仙台教区の多くの皆様方が参加されているこの集いに、講師としてお招きいただき、大変嬉しく、また光栄に存じます。昨夜は大雨だったそうですが、今は雨も上がり、この集いが神の祝福の下に置かれているような思いがいたします。

岩手県大会ですが、他の県からも参加される教区の大切な大会として、よく準備されている集まりであり、このような機会に参加できますことは、私のためにも励みになり、元気が出ると思います。

ご存じのように、教皇様は、今年の10月11日から来年の11月24日までを「信仰年」とお定めになりました。第2ヴァチカン公会議の50周年を記念してのことであります。今は、3.11東日本大震災という未曾有の震災に襲われ、その復興のために尽力しているところであり、日本のカトリック教会としては、日本再宣教150年(26聖人列聖150年)という年を迎えております。この2012年は、仙台教区の皆さんだけでなく、日本の教会にとっても非常に大切な記念すべき年であります。日本の教会の歩みのために大きな意味をもつ年となりますように、私たちの祈りを捧げたいと思います。

教皇様は信仰年ということを提示されましたが、教皇様の『信仰の門』という冊子に信仰年を設けた意味や趣旨が書かれていますので、ご覧ください。信仰年というのは、次の3つのことをする年だろうと思います。その第1は、それぞれの信者が、私は何を信じていますか、なぜ信じるのですか、イエスを信じているとはどういうことですかなど「自分の信仰を確かめること」であります。第2は「その信仰を、より深い、より強いものにするように努めること」であります。そのためには、祈りが大切でしょうし、ミサなど典礼への参加も欠かせない大切なことと思います。第3は「その信仰を、他の人びとに表し、伝え、証しすること」ではないかと思います。すなわち、信仰を確かめ、信仰を深め、信仰を伝えることであります。

 

〔2〕東日本大震災が起こって間もなく、日本の少女エレナさんが教皇様に質問をしました。「私たち日本の子どもたちが、大地震、大津波によって恐く悲しい思いをしなければならないのは、どうしてですか。教皇様は、いつも神様とお話しているそうですが、このことを教えてください」という趣旨の質問です。教皇様はテレビで「私には答えることはできません。しかし、神様は、その苦しみをわかっておられます。イエスさまは、あなた方のそばにいつもいらっしゃいます。なぜこういうことが起こったのか、いつかわかるときが来るだろうと思います。私もあなた方の苦しみに心寄せながらお祈りしています」と答えられたということです。質問にすぐ答えられたことから、教皇様は、世界の人びとに関心をもち、こういう問題も真剣に受けとめておられることがわかります。なぜ、このようなことが起こるのかという問題は、私たちが信仰に入るときに学んだことと関係があります。神がいらっしゃるということはどういうことなのか、神は全能全善の神であると学びましたが、全能の神とはどういう意味ですか。全能の神がいるのに、どうしてこのような災害が起こるのか、どうして災害が起こらないようになさらなかったのでしょうか。災害は、宇宙の形成の中で必然的に起こっていますが、神がこうしたことが起こるように指令を出しているとは考えられません。

しかし、原発事故は、津波に関連して起こったけれども、私たち人間の側と結びついているために、もっと悲劇的な結果を招いています。これは人間である関係者に責任があります。津波自体については人間にはどうすることもできず責任はありませんが、津波が起きたことに対して取った措置については、責任が問題になりうるでしょう。

東日本大震災が起こり、原発事故が起こったなかで、私たち自身の信仰が問われたのではないでしょうか。その信仰の問題は、信仰年の課題であります。私たちは、自分の信仰を確かめる、神様をどういう方であると信じますか、全能の神といいますが、どういう意味で全能であると信じていますか。神様が創造されたこの世界、創世記の冒頭で、神は6日間にわたってこの世界をお造りになった、毎日ご自分の作品を見て、それを良しとされた。そして6日目には極めて良いと言われた。その極めて良いはずのこの世界にどうしてこのような自然災害が存在するのか。極めて良いとされた神の似姿として創られたわたしたち人間の中にどうしてこのような様々な問題、課題、対立、争いなどが存在するのでしょうか。神は、私たちをお造りになったときに、神に似せてお造りになったと記されています。私たちを、判断し、決定し、実行する、人格をもった人間として、神の意志に反することもできる存在としてお造りになった。神は、こうしなさいと命じても、そうしない人間がいることをご存知であるわけです。その人間がいろんなことをするのを強制的にやめさせないで、事が起こることを許しているのも事実です。人間と人間が対立し、争い、そして民族と民族、国家と国家が対立する場合、戦争ということになり、さらに、ある団体がある団体に対して敵意を抱いて相手を抹殺しようというようなことは、人類史上何度も起こりました。ナチス時代のドイツでは、ユダヤ民族を絶滅させようとしてアウシュビッツの大量殺裁を行い、何百万人もの人びとが殺されたのです。そのようなことを、神を信じない人びとではなく、信じていると思っている人びとがしたのです。その事実に対して、私たちは唯一の神を信じるキリスト教徒として、どう考えるか。全能の神を信じるということは、どのように考えたらよいのか。神は、この世界をお造りになり、極めて良いと仰ったのに、このような災害も起こることをどう考えたらよいでしょうか。

  いろいろな方にお聞きしますと、神はこの世界を創造したと記されていますが、創造して終わったのではなく、今も日々創造し、新たにしているというのです。私たちに力を注ぎ、より良い明日を築くための知恵と勇気をお与えくださる。毎日創造し、私たち人間の力を借り、この世界を創造しておられる。その創造の終わりは、新しい天、新しい地として現れる(黙示録)までは、私たちの毎日は創造の日々、悪との戦いの日々であると思います。パウロのローマの信徒への手紙8章には、つぎのような不思議なことが書いてあります。「被造物は、神の子たちの現れるのを切に待ち望んでいます。被造物は虚無に服していますが、それは、自分の意志によるものではなく、服従させた方の意志によるものであり、同時に希望も持っています。つまり、被造物も、いつかは滅びへの隷属から開放されて、神の子供たちの栄光に輝く自由にあずかれるからです。被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっていることを、わたしたちは知っています。被造物だけではなく、『霊』の初穂をいただいているわたしたちも、神の子とされること、つまり、体の蹟われることを、心の中でうめきながら待ち望んでいます。わたしたちは、このような希望によって救われているのです。見えるものに対する希望は希望ではありません。現に見ているものをだれがなお望むでしょうか。わたしたちは、目に見えないものを望んでいるなら、忍耐して待ち望むのです」(18~25)。

私たち人間は、自分の救い、自分の贖いを思い、そのために祈ります。しかし、私たち人間は、他の存在、他の被造物とのつながりの中で人間であり、他の存在とのつながりの中でしか存在できません。生活に必要な食物も衣服もすべて、この大地の産物に依存しています。私たちは、他の存在とのつながりの中ではじめて人間として生きられるし、完成されるのだと思います。壮大な宇宙というものは、神様の作品であり、神様はそのご計画に従って段階的にその完成に導いてくださっているのだと思います。「被造物は虚無に服している」とは、どういう意味なのか、はっきりはわかりません。でも、その人間以外のすべての存在も、やはり今の状態は、神が世界創造を完成する前の状態であり、不完全な問題を含んだ状態であるという意味だと思います。被造物がうめいていると言いますが、このうめくとはどういう意味か。神がお望みになる世界の秩序というものがあることはあるのだが、それが完全に整っているわけではないと思われます。神の支配が完成する新しい天と新しい地がくるときまで、私たちは、この不完全な被造物とともに、私たち自身も不完全な存在として、神に祈りながら、神の導きを受け、日に日に新しくされて、新しい世界の建設のために力を合わせなければならないのではないかと思います。

 

〔3〕信仰年は、第2ヴァチカン公会議50周年を記念して制定されました。第2ヴァチカン公会議は、1962年10月11日から1965年まで開催されました。そして終了閉幕から10周年の1975年12月8日(無原罪の聖マリアの日)に、パウロ六世教皇は、新しい教え『福音宣教』Evangelii Nuntiandiを発表されました。そのころは、この世界を神様のみ心にかなった世界にして行くために、信者は努力しなければならないという考えが非常に強く主張されていた時代であります。そういう時代の影響を受けて、パウロ六世教皇が出された教えが『福音宣教』です。1981年にヨハネ・パウロニ世が来日されました。1984年に、日本司教団は、日本の教会の基本方針と優先課題というものを定めたのです。その基本方針は二つあり、福音宣教の強化と、社会・文化の福音化ということでした。公会議から20年を経た1985年、公会議はどうであったかを振り返り評価するために世界代表司教会議(シノドス)が開催されました。集まった司教たちから教皇様へ一つの願いが提出されました。それは公会議の教えを取り入れて新しい教理の指導書を編纂していただきたいというものです。それまでの教理はトリエント公会議(1545年)の教えであり、刷新された新しい教えに基づいて各国でそれぞれ信仰入門書などを作っていたが、教皇が認める権威のある信頼できる指導書が必要だということを教皇に進言したのです。教皇はその進言を受け入れて新しい要理(信仰指導書)を編纂するよう関係者に命じられました。

1987年には、現代の日本で宣教するのにどうしたらよいかを話し合う第1回福音宣教推進全国会議(ナイス)を開きました。日本社会の中でイエスの教えをどのようにして伝えて行くか、どのように受け入れてもらったらよいのかについて、私たちはいろいろ考え話し合いました。日本の現実に即し、それを踏まえて、日本の人びとに通じるような、受け入れてもらえるような宣教をしようというものです。しかし、真理を曲げることはできないし、安売りの宣教はできないわけです。これを受けて日本司教団は『ともに喜びを持って生きよう』というメッセージを発表しました。やがて、シノドスの進言により編纂が進められていた新しい要理が完成し、1992年に『カトリック教会のカテキズム』として発行されました。日本司教団は、1995年に、戦争について日本の教会が負わなければならない責任について明言する『平和への決意』を発表し、2003年に『カトリック教会の教え』を刊行し、2005年には『非暴力による平和への道』を発表しました。このような流れのなかで、2012年を迎えたのです。

今、私たちが自分たちの信仰を伝えるときに、どういうことがあるか。まず、私たち自身、自分の信仰を確かめる。全能の神を信じるとはどういうことか。神は創造において神に似せて人間をつくったため、人間はロボットではなく毎日神の指示のもとに行動しているわけではないのであり、人間の良心を通して神は実現させようとしたので、人間はある範囲で自由に判断し決断できる存在となっているわけです。私たちに委ねられた判断・決断というものを、大切にしなければならないと思います。

日本という風土で私たちが受け継いできた文化・言語は私たち固有のものですが、その中でナザレのイエスをどのように受けとめて行くか。これは、昔は土着化という言葉で表されていましたが、今はインカルチュレーションという言葉で表しています。ただし、現代の日本の教会は、著しく国際化、多国籍化し、いろんな文化を生きている人びとが日本の教会を作っているのですから、何でも日本というのは、もう不適切であります。それぞれの人が自分を作ってくれた文化をもっているので、それぞれの文化を大切にし尊重しながら、新しい文化を作っていく時代がきているといえます。そのようにして日本の教会を作っていかなければならないでしょう。大震災は、そのきっかけを与えてくれているような気がします。東京教区も、仙台教区も、いろんな国の言葉でミサを捧げるようになってきています。それぞれの国の人がお互いに認め合い、それぞれ良いところを受け入れながら新しいものを作っていかなければなりません。信仰を確かめ、信仰を深め、信仰を伝える場合に、自分の体験をとおし自分の言葉で、自分の信仰理解をどのように他の人びとに伝えることができるか。神が私たちと共にいてくださる、共に苦しんでくださる、そして最後の日に向かって歩んで行きましょうと、そう言うことができるように。そのために、仙台教区は、日本全体に向かって、全世界に向かって、勇気ある信仰の発信をし、伝達をすることができると思います。そうして行くことを期待しております。