聖パウロ女子修道会終生誓願式説教

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    2012年6月29日 聖パウロ女子修道会本部聖堂にて

     

    立誓志願者・終生誓願 Sr.Piermaria 近藤ルミ子 ※1

     

    第一朗読 イザヤ43・1-5a

    第二朗読 コロサイ3・12-17

    福音朗読 ヨハネ15・1-8

     

    (福音本文) イエスはまことのぶどうの木

    「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。 わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる。

    わたしの話した言葉によって、あなたがたは既に清くなっている。わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。

    ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。

    わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。

    わたしにつながっていない人がいれば、枝のように外に投げ捨てられて枯れる。そして、集められ、火に投げ入れられて焼かれてしまう。

    あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば、望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる。

    あなたがたが豊かに実を結び、わたしの弟子となるなら、それによって、わたしの父は栄光をお受けになる。

     

    Sr.Piermaria近藤ルミ子さんの終生誓願式に当たり一言申し上げます。

    教皇ベネディクト十六世は2012年10月11日より『信仰年』が始まると宣言しました。この呼びかけにわたしたちはどう応えたらよいでしょうか?司教協議会でも東京教区でも、この課題を真剣に受けとめ、この呼びかけに真摯にお答えしたいと考えております。

    『信仰年』は第二ヴァチカン公会議開催五十周年を記念して定められました。

    第二ヴァチカン公会議の教えを実行に移すために、また教皇パウロ六世の教え『福音宣教(Evangelii Nuntiandi)』の「福音化」の教えに強く影響され、さらに1981年の教皇ヨハネ・パウロ二世の訪日に励まされ、日本の司教たちは、1987年、第一回福音宣教推進全国会議(NICE-1)を開催しました。これは日本における福音宣教を活性化し発展させることを目的としていました。

    開催に先立ち、「当時の日本のカトリック教会で何が問題であるのか」・「何が重要な課題であるのか」について調査と考察が行われました。

    そしてすべての問題に共通している要素は「遊離」である、と結論しました。また遊離とは、「信仰が生活から遊離していること」・「教会が社会から遊離していること」という分析が行われました。

    その結果、全国会議の方向を、「生活から信仰を、日本の社会の現実から福音宣教のあり方を考えて行く方向を選択する」と定めました。

    この方針に基づいて数々の提案が司教団に提出され、司教たちはそれを受けて『ともに喜びを持って生きよう』というメッセージを発表しました。

    その中に次のような表現が見られます。

    「信仰を、掟や教義を中心としたとらえ方から、『生きること、しかも、ともに喜びを持って生きること』を中心としたとらえ方に転換したいと思います」

    「典礼を単なる義務の対象、順守すべき儀式ではなく、いつもわたしたちとともにいてくださる神と交わり、『ともに生きる喜び』を体験し、分かつ場にしていかねばなりません」

    この表現について懸念と疑義を持った人たちがいました。しかしこの表現は、教義自体、掟自体、儀式自体を否定するものではありませんでした。

    この表現は、「ともに信仰の喜びを生きる」ことの大切さを強調する趣旨を述べようとしているのです。

    人生は充分に苛烈であり、社会の現実は充分に過酷です。現実に飲み込まれ現実に押しつぶされてしまう人々が数多いのです。この現実の中で「いかに信仰の喜びを生きるのか」という課題は実に大切です。

    過酷な現実の中に埋没せず未来に向かって希望をもって歩むためには地上を超えた世界、超自然の世界との交わりが必要です。

    わたしたちは、上から光を、上からの力を、聖霊の導きをいただかない限り、この過酷な現実のなかで、無私の愛の行為を実行することはできないでしょう。この光、この力は復活した主イエスからいただく恵みです。

    きょうのヨハネの福音で主イエスは言われました。

    「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。」

    わたしたちは、イエスにつながっていなければ何もできないのです。この現実の中で、現実に埋没せず、天上の世界とつながっていなければならないです。そのためには、祈り、典礼、黙想などが大切であることは今更言うまでもありません。

    ぶどうの木につながっているわたしたちが受ける実りは何でしょうか?

    その答えはきょうの第二朗読の中にあります。

    「あなたがたは神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されているのですから、憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。 互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたも同じようにしなさい。 これらすべてに加えて、愛を身に着けなさい。愛は、すべてを完成させるきずなです。 また、キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい。この平和にあずからせるために、あなたがたは招かれて一つの体とされたのです。いつも感謝していなさい。」(コロサイ3・12-15)

    「愛」・「平和」・「感謝」というキーワードをしっかり心に留めながら、日々、この聖パウロの諭しを実行できますよう祈りましょう。

     

    ※1 「Sr.Piermaria 近藤ルミ子」という表記ですが、今回、聖パウロ女子修道会で行われた終生誓願式の式次第に掲載された表記に従っています。