三位一体の主日・堅信式説教

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    2012年6月3日、松原教会にて

     

    第一朗読 申命記4・32−34、39−40

    第二朗読 ローマ8・14−17

    福音朗読 マタイ28・16−20(福音本文以下に引用)

     

    十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った。そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた。イエスは、近寄って来て言われた。

    「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」

     

    今日の福音はマタイの福音の結びの部分です。十一人の弟子たちはガリラヤのある山の上で復活したイエスに会いました。「しかし、疑う者もいた」とあります。ある弟子は信じ、ある弟子は疑った、ということでしょうか?あるいは全員半信半疑だったのでしょうか?

    弟子たちにとってもイエスの復活は信じがたい出来事でした。トマスが復活したイエスの出現を信じなかったことをヨハネの福音が伝えています。弟子たちがイエスの復活を堅く、強く信じるようになったのは、聖霊降臨の恵を受けてからでした。聖霊の恵みによって信じたのです。

    イエスは弟子たちに命じて言いました。

    「だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。」

    イエスは全世界の人々、すべての人々をイエスの弟子にするように命じました。現代の日本においてイエスの弟子をつくることはわたしたち教会の重大な任務であります。

    弟子をつくるとは「彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えること」に他なりません。洗礼を授けるとは、古い人が死に、新しい人となって生まれ変わる恵みを授けることです。そして父と子と聖霊の三位一体の命に与らせるということです。

    また、イエスの命じたこととは、「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい」という掟を実行することに集約されます。

    「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」

    イエスはどのようにしてわたしたちと一緒に世の終わりまでいてくださるのでしょうか?

    イエスの言葉が告げられるとき、イエスはそこにいます。イエスの名前で二人、三人が集まって祈るときにイエスはそこにいます。感謝の祭儀を祝うときにイエスはそこにいます。ご聖体とともに復活したイエスはおられます。貧しい人、苦しんでいる人、居場所のない人、「もっとも小さい人」の中にイエスはいます。

    わたしたち教会は、実際、イエスの復活を指し示し証しするしるしであります。さらに、より明るいしるし、輝く灯火になっていかなければなりません。わたしたちを見て、人々が、確かにイエスは復活し、教会の人々と共にいる、と信じていただけるようなわたしたちの教会でありたいものです。

    わたしは次の教皇パウロ六世の言葉を思い出します。

    「主は御父のもとに行かれましたが、教会はイエスの新しい現存、イエスの別離と恒久的現存のしるしとして―ときにはほの暗くときには輝かしいしるしとして―とどまっています。教会はイエスを延長させ継続させます。実際何よりもそうしてこそ、教会は自分の使命を果たしている、といえるし、また福音宣教者である、といえるのです。」(教皇パウロ六世『福音宣教』15より)

    先週わたしたちは聖霊降臨を祝いました。イエスがわたしたちと共にいてくださるのは、ご自分の霊である聖霊の派遣によってであります。

    ご存知のように教皇ベネディクト十六世は2012年の10月11日より「信仰年」が始まると宣言しました。

    わたしたちが聖霊の照らし、導き、助けを受けてこの使命を力強く実行できますよう祈りましょう。