六本木教会Franciscan Chapel Center堅信式・初聖体説教

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    2012年5月13日 六本木/フランシスカン・チャペルセンターにて

     

    第一朗読 使徒言行録10・25-26、34-35、44-48

    第二朗読 一ヨハネ4・7-10

    福音朗読 ヨハネ15・9-17

     

    きょうは復活節第6主日です。ミサの中で堅信の秘跡が授けられ、また初聖体が行われます。

    洗礼、堅信、聖体はともに入信の秘跡とよばれ、同じキリストの働きであり、同じキリストの恵みを伝える秘跡です。

    洗礼はわたしたちをキリストの死と復活にあずからせます。わたしたちはキリストと共に死に、キリストと共に復活の命に与かるものとなります。すべての罪がゆるされて神の子として誕生することができます。

    堅信は、わたしたちを聖霊降臨の恵みにあずからせ、教会の一員として、神の愛を力強く宣べ伝える使命を授けます。

    聖体は、パンとぶどう酒の形であるキリストのからだと血をいただき、キリストとひとつの体となり、キリストとより深く一致させる秘跡であります。

    さて、本日のイエスのお言葉を味わってみましょう。イエスは言われました。

    「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。」(ヨハネ15・12-13)

    誰でも知っていることですが、キリスト教は愛の宗教であり、イエス・キリストの教えの中心は愛であります。

    日本にキリスト教を伝えたキリシタン時代の福音宣教者(宣教師)たちは、キリスト教の愛をどのような日本語に訳したらいいのか、迷い困りました。

    聖書が伝える「愛」のギリシャ語の原文はαγάπηアガペーです。現在日本語の聖書はアガペーを「愛」と訳しています。「愛」ということばは多義的でありますが、アガペーの愛も含んでいます。

    しかし四百年以上前の宣教師たちは、「愛」を使うことを望みませんでした。当時「愛」はむしろ悪い意味でした。自分の欲望を充たそうとする人間の心の状態を指す言葉とされていたからです。

    当時バテレンとよばれた司祭たちは、結局アガペーを「ご大切」と訳し、動詞は「大切にする」としたのでした。これは現在にも通じる立派な翻訳でした。

    イエスは言われました。「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。」

    「愛する」とはイエスのように生きることであります。

    イエスの愛とは敵をゆるし罪をゆるす愛です。

    ペトロをはじめ弟子たちはイエスの十字架に際し、恐怖に襲われ、イエスを裏切り、イエスを見捨て、イエスから離れてしまいました。復活したイエスは弟子たちの所へ現れ、彼らをゆるし、罪のゆるしを伝える力を彼らに授けたのでした。また、イエスは敵を愛するようにと教え、自ら十字架の上で自分を迫害する者のためにとりなしの祈りをささげたのです。

    「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」(ルカ23・34)

    イエスの愛、それは一人ひとりの罪をゆるし、欠点のあるまま受け入れ、新しい人として生まれ変わらせ、人々に生きるための勇気と希望を与えることを意味しています。神の愛、それは人を神の子として生きるようにし歩むように導く 神の力 であります。

    きょう、堅信を受け、はじめて御聖体を受ける皆さん、どうか忘れないでください。

    皆さんは聖霊のたまものを受け、主のおん体をいただき、いっそう主キリストと深く結ばれ、キリストの愛を実行する者となります。

    皆さんが「人を大切にする」というキリストの愛を生きるならば、そのような皆さんを見る日本の人々は、愛である神の存在をみとめ、キリストの弟子となりたい、と望むようになるでしょう。

    神の愛、イエス・キリストの愛をより深く知る恵みをわたしたちひとり一人に与えてくださいますよう、聖霊の恵みを祈りましょう。

     

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