合同祈祷会説教

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    2012年3月11日 麹町教会にて

     

    第一朗読 哀歌3・17-26

    第二朗読 ローマ8・18-30

    福音朗読 マルコ4・35-41

     

    ちょうど一年前の2011年3月11日に勃発した東日本大震災はわたしたちに多大なる苦悩と課題をもたらしました。

    地震は天災であり、わたしたちは地震がおきないようにはできません。しかし地震へ備えて被害を少なくすることはできますし、そうしなければなりません。むしろ、今回反省すべき悲劇は、地震と共に起こった福島の原発事故のほうにあります。

    日本カトリック司教協議会は、「いますぐ原発の廃止を ~福島第1原発事故という悲劇的な災害を前にして~ 」を発表し、原子力発電自体を速やかに廃止することを求めました。その根拠と理由には、信仰者としての反省が込められています。

     

    大地震が起こってまもなくイタリアのテレビが教皇ベネディクト16世の登場する特別番組を放映しました。この番組の中で教皇は日本の7歳の少女エレナさんの質問に答えました。

    質問は、

    「どうしてわたしたちはこんな怖い思いをしなければならないのでしょうか?なぜ子どもたちは深く悲しまなければならないのですか?」

    ということでした。

    教皇の答えはおよそ次のようでした。

    「エレナさん、わたしはそうしてこのようなことが起こるのか、答えることができません。けれども、わたしは知っています。イエスは、罪がないにもかかわらず、わたしたちと同じように苦しまれました。イエスのうちにご自身を現して下さったくださったまことの神は、皆さんのそばにいてくださいます。・・・『神はわたしを愛しておられます。』このことを固く信じなければなりません。神が皆さんを助けてくださいます。」

     

    わたしたちキリスト者にとっても、東日本大震災は信仰の試練であります。神の存在とこの大災害がどうして両立できるのか?これは、古来論じられてきた古典的な問題であります。

    地震という自然現象を科学的に説明することはある程度可能でしょう。しかし全能の神を信じる者にとって、この出来事をどう受け止めたらいいのでしょうか?

    本日の第二朗読で言われていますように、パウロによれば、被造物も解放とあがないの時を待っているのです。被造物もうめきながら、聖霊による解放のとき、万物一新のときを待ち望んでいるのです。

    今日のマルコの福音では、イエスは自然の法則を支配する方、として描かれています。

    「イエスが起き上がって、風を叱り、湖に、『黙れ。静まれ』と言われた。すると、風はやみ、すっかり凪になった。・・・弟子たちは非常に恐れて、『いったい、この方はどなたなのだろう。風や湖さえも従うではないか』と互いに言った。」

     

    天地の創造主、全能の父である神と同一本質の方、神よりの神であるイエスは嵐を鎮めることがお出来になります。自然の運行を支配し、自然法則を停止して奇跡を起こすこともお出来になります。イエスは「奇跡」を起こすことができる神に等しいかたです。しかしその神の全能の働きである奇跡は、通常わたしたちの目には隠されています。

    カトリック教会ではよく「奇跡」という現象を述べます。まだ神の支配が完成していないこの世界に起こる奇跡は、例外的な出来事であり、永遠の世界のこの世への侵入であり、全能の神の働きを現しています。それは、永遠の世界が存在する、ということを指し示すしるしであります。

    この世界には、まだ神の力がまだ及んでいない部分、「不具合」が存在すると考えざるを得ません。神の創造の働きは目下進行中です。

    しかし人間はすでに永遠の世界へ招かれています。わたしたちの真実の奉仕、愛のみ業は永遠の世界へ通じる価値を持っています。

    なぜこのような理不尽な現実があるのか、という問いは大切ですが、この問いを、信仰を深める契機にしたいと思います。そして神の創造の働きに信頼しながら、隣人愛の実践に励みたいと思います。

    わたしたちの信仰と愛を深めて、強めてくださいますよう、きょう、ご一緒にお祈りいたしましょう。アーメン。