四旬節第1主日・洗礼志願式説教

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    2012年2月26日 東京カテドラル関口教会にて

     

    第一朗読 創世記9・8-15

    第二朗読 一ペトロ3・18-22

    福音朗読 マルコ1・12-15

     

    今日のマルコの福音は実に簡潔です。

    「それから、“霊”はイエスを荒れ野に送り出した。イエスは四十日間そこにとどまり、サタンから誘惑を受けられた。その間、野獣と一緒におられたが、天使たちが仕えていた。」

    とマルコは伝えています。

    まことの人間であったイエスはサタンから誘惑をうけました。マタイ、ルカの福音書ではイエスは三回の誘惑を受けたことが記されていますが、マルコはただ、「サタンから誘惑を受けられた」とだけ告げています。

    荒れ野は野獣の住む危険なところです。東京というところも現代の荒れ野ではないでしょうか。わたしたち教会はその荒れ野に置かれ、日々悪霊の誘惑にさらされています。

    他方、イエスには天使が仕えた、とあります。イエスは天使の助けを受け、誘惑に打ち勝ちました。わたしたちも天使に助けられて誘惑に打ち勝たなければなりません。

    わたしは、天使といえば、さりげない励ましの言葉、優しい笑顔、親切な行い、思いやりと同情など、そして何よりも祈りを連想します。このような日々の善意がどんなにかわたしたちを助けてくれていることでしょうか。このような善意がわたしたちを孤独から救い、一つの神の民、人類としてつないでくれていると思います。

    大都会のオアシスであろうとする教会は、天使に導かれて、日々互いに支えあい励ましあわなければなりません。

    今日は四旬節第一主日です。主イエスに倣って誘惑を退け互いに助け合って、この四旬節を過ごしましょう。

    今日はこれから洗礼志願式が行われます。

    洗礼は信仰の旅の入り口、いわば「信仰の門」であります。この信仰の旅は、死による永遠の命への過ぎ越しによって終了します。永遠の命とは主キリストの復活によってわたしたちにもたらされる復活の栄光の恵みであります。

    最終的に永遠の命へ至るまでは種々の試練に出会います。喜びの体験と共に苦しみの体験もあります。多くの聖人は孤独を経験しました。また多くの信者は慰めを望んでも神の沈黙という試練にあわなければなりませんでした。

    人生の試練は主イエスの十字架の神秘への参与であります。イエスも十字架の上で、父なる神から見捨てられるような苦しみをお受けになりましたが、父への信頼のうちにすべてを神にお委ねになったのです。

    洗礼志願式では信条の授与が行われます。信条はわたしたちの信仰告白を、簡潔な文章にまとめたものであり、日々唱えて信仰を深める縁にすべき大切な祈りです。

    その最初の部分は

    「天地の創造主、全能の父である神を信じます」

    という信仰告白です。

    この世界は神によって創られました。神の創造の働きは今も続いています。神は聖霊を送り、常に地上を新たにしています。

    わたしたち人間も聖霊の働きを受け、日々新しい人として生まれ変わることができます。信仰の旅は日々生まれ変わり新たにされる体験の連続であります。

    神の創造の働きはやがて完成の時を迎えます。その時とは主キリストの再臨の時です。

    洗礼志願者の皆さんは、日々この信条を唱えながら、信仰を深めてくださるよう、祈ってください。

    なお、教皇ベネディクト十六世は、自発教令『信仰の門』を発表、2012年10月11日より2013年11月24日の王であるキリストの祭日までを「信仰年」とすると告示しました。

    「信仰年」の年に洗礼を受けられる皆さんは、「信仰年」を深く心に刻み、日々信仰を深めるよう努めていただきたいと思います。