パウロ古川正弘神父葬儀ミサ説教

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    2011年8月12日 東京カテドラル関口教会聖マリア大聖堂にて

     

    第一朗読 ヨエル書(2・12-18)

    第二朗読 ヨハネの手紙一(4・7-10)

    福音朗読 ヨハネにより福音(12・23-26)

     

    「あなたたちの神、主に立ち帰れ」(ヨエル2・12)

    会葬御礼のお手紙と一緒にお渡ししたカードに書かれている聖書の言葉です。

    古川神父様はことしの四旬節を迎えるに当たり、カリック高輪教会の月報(“Zakurozaka”4月24日発行、vol.78 )に、「神に立ち帰れ」という巻頭言を寄稿しています。その要旨を紹介します。

     

    四旬節のテーマは「あなたたちの神、主に立ち帰れ」(ヨエル2・12)である。断食し、施しをし、祈りをささげて主に立ち返りなさい。しかしイエスは「見てもらおうとして、人の前で善行をしないように気をつけなさい」と言われた。

    人は誰かから評価されたいという願望を持つ。そのような願望は人が生きていくために必要である。人は評価により慰められ励まされる。他方、人から評価を求められてその期待に応えられないという悩みもある。人を評価するとは難しいことだ。

    イエスは言われた「隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる。」

    御父が正しく評価してくださる。人の評価にやきもきする必要はないし、自分で自分の価値を決め付けることもないのだ。

     

    これが古川神父さんの文章の趣旨だと思います。そしてこれが、40年の司祭の務めを果たし、死を目前にしていた古川神父様が抱いていたご自身の心境ではないでしょうか。

    わたしたちはどんなにか、人の目を気にしていることでしょうか。人に認めてもらいたいと願っていることでしょうか。正当に評価して欲しいと願っていることでしょうか。人の悩みの多くは自分への評価に関するものではないでしょうか。

    古川神父さんも人の評価のことで悩み傷ついたことがあったと思います。人は認めてもらい励ましてもらって元気を出して困難に立ち向かえるのであり、理解されなかったり、貶されたり、不当に評価をされると傷つき、意気消沈し、不快に感じ、やる気を殺(そ)がれてしまうものです。誰かに認めてもらうことで元気が出るのです。

    他方、ほかの人の評価で一喜一憂している自分は何者であるのか。人の一言でがっくりする自分がいるのも事実です。人の一言で有頂天になる自分もいます。

    神は愛です。神はありのままのこのわたしをゆるし、わたしを受け入れ、わたしをわたしとして評価してくださいます。この信仰によってわたしたちは自分への評価と言う拘りから解放されるのだと思います。次のイエスの言葉はそのことを示唆しているのではないでしょうか。「自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎むものは、それを保って永遠の命にいたる。」(ヨハネ12・25)

    高輪教会の皆さんに、「神に立ち帰れ」と説かれた神父様のほうが先に神のもとへ旅立たれました。いつくしみ深い神が神父様の40年にわたるご苦労に豊かにお報いくださいますよう祈ります。