教区の歴史

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「東京カリタスの家」賛助会総会ミサ説教要旨

2011年06月25日

2011年6月25日 関口会館ケルンホールにて

 

第一朗読 エフェソの信徒への手紙(エフェソ2・14-22)

福音朗読 マタイによる福音(マタイ8・5-17)

 

今日はこの御ミサを『東京カリタスの家』をご指導ご支援くださり、帰天された方々を追悼する意向をもってささげます。

今日の福音でイエスは百人隊長の信仰を賞賛し言われました。

「イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない。」

イエスが人の信仰をほめたもうひとつの例はカナンの女性の信仰です。

「そこでイエスはお答えになった。『婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように。』そのとき、娘の病気はいやされた。」(マタイ15・28)

百人隊長もカナンの女性もいわゆる異邦人でした。使徒パウロはローマの信徒への手紙で言っています。

「しかし、イスラエルは義の律法を追い求めていたのに、その律法に達しませんでした。 なぜですか。イスラエルは、信仰によってではなく、行いによって達せられるかのように、考えたからです。彼らはつまずきの石につまずいたのです。」(9・31-32)

東日本大震災から3ヶ月半たちました。いまは特に「神を信じる」ことが難しい時代かもしれません。

7歳の日本の少女エレナさんが教皇様に質問し教皇様がお答えになったという話をみなさんご存知だと思います。エレナさんでなくとも「神は本当にいるのか」「神は愛である、とは本当か」と多くの人が疑問をもったかもしれません。

「神様は皆さんと一緒におられます。皆さんを愛しています」と教皇様はエレナさんにお答えになりました。イエスの生涯は神の愛のあかしでした。また使徒パウロの生涯も、神の愛を説く信仰の戦いでした。

『東京カリタスの家』も、日々、戦っています。それは信仰の戦いです。わたしたちが日々、神の愛(カリタス)を実行するとき愛である神の存在を人々に指し示すことになります。わたしたちの信仰を増してください、強めてください、と祈りましょう。