マリア・モニカ和泉真佐子さん(ロゴス点字図書館創立者)追悼ミサ説教

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    2011年6月21日 ニコラ・バレ聖堂にて

     

    聖書朗読 テモテへの手紙(一テモテ2・4-7)

    福音朗読 ヨハネによる福音(ヨハネ3・16-21)

     

    今日は、今年の3月18日亡くなられましたマリア・モニカ和泉真佐子さんを偲びながら、和泉さんの永久の平安を願ってごミサをおささげます。

    和泉さんは1924年にお生まれになり、1945年、戦争の終わった年に昭和女子薬学専門学校を卒業され薬剤師になられました。(卒業後就職されましたが薬剤師としてお仕事をされたのかどうかわかりません。)

    1949年に洗足教会で塚本昇次神父から洗礼を受けました。1953年に塚本次神父から「点字の本づくりを手伝ってほしい」と頼まれてから以後58年の長きにわたり一筋に、点字図書館のために働き、生涯を点字図書館のためにささげられました。ただ一筋、目の見えない人々のために生きられた泉さんの生涯にあらためて敬意をささげたいと思います。

    和泉さんと塚本昇次神父のお二人が創立した『カトリック点字図書館』は現在、「ロゴス点字図書館」となっています。そしてロゴス点字図書館はカトリック会館の部屋をお借りしておりますが、会館の隣はカトリック潮見教会です。潮見教会は蟻の町のマリアといわれる、エリザベット・マリア北原怜子さん縁の教会です。

    そこで気がついたのですが、北原さんも和泉さんが学ばれた、おなじ昭和女子薬学専門学校を卒業され、薬剤師の資格を取得されました。しかし、薬剤師の仕事にはつかないで、蟻の町に住み、廃品回収業の人々と共に生き、28歳で生涯を終えられたのです。同じ学校で学ばれ、薬剤師の資格を取得したが薬剤師としてのお仕事を選ばないで、貧しい人々あるいは障がい者のために生涯をささげられた、という点が和泉さんと北原怜子さんお二人に共通しています。

    ちなみに和泉さんは北原怜子さんより5年前にお生まれになっています。(1924年) 

    お二人の間にもちろん相違点があります。北原さんの生涯は短く、また彼女は生前から有名になりましたが、和泉さんの86年の生涯は地味でありました。和泉さんは有名になることもなく、ただひたすら奉仕の日々を神様におささげになりました。そのような生涯を本日はしみじみ偲びたいと思います。

    ところで北原怜子さんは短い生涯の間に点字を学んだことがあるそうです。松井桃楼さんの残された『点字と蟻の町のマリア』という文章によれば、蟻の町の食堂で働いていたおばさんの娘さんが目の見えない子でした。その子からくる点字の手紙をお母さんが読めないので、代りに読むために北原さんは点字をならったそうです。奇しき縁(えにし)と言うべきでしょう。

     

    先ほど読まれましたヨハネの福音で次のように言われています。

    「神は、その独り子をお与えになるほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」

    和泉さんは主イエスを信じ、信仰のあかしとして、点字図書館に生涯をささげるという召命の道を選ばれました。

    仏教に、「一隅を照らす」と言う言葉がありますが、和泉さんは点字図書館のお仕事を通してキリストの復活の光を灯し続けて周囲の人々を照らし、また同時に、すべての人が救われて永遠の入ることを望まれる神様がおられるということを静かに伝えられたのだ、と思います。

    今は生涯の労苦から解放され、主キリストのもとで、永久の安らぎに与り、神様を目の当たりにする幸せにあずかられますよう祈りましょう。